五十二:激闘
「なんだ!? 何者だ!!?」
突然の闖入者に、バルコニー上が混乱に包まれる。
安達泰人は身を乗り出して階下を伺った。階段の下では、既に臨戦態勢を整えた昏い目の男が、銃口を部屋入り口に向けている。
一瞬、入り口の影に短く刈られた髪が覗いた。
鋭い目が素早く室内を一巡する。その左目の上には古い刀傷が縦一直線に走っていた。
刹那、二発の銃声が交錯する。
一発は昏い目の男の肩を掠め、もう一発はギンの髪を数本千切って飛び去った。色素の薄い髪が散る。
舌を鳴らした昏い目の男が、立て続けに銃を発射する。入り口脇の壁が抉れ、廊下の空き箱が割れ、騒々しい音を立てながら木屑を散らす。
飛来する銃弾は七発。
その数を撃ち終えると銃声は一度止み、わずかな間隔を置いてまた七発が撃ち込まれる。
愛用の南部大拳乙型を構えたギンは、しばらく思案顔を見せていたが、やがて隣に屈む吾妻に何事かを囁いた。吾妻は頷き、銃弾の間隔を縫って反対側の入り口脇へと転がりこんだ。すぐさま、銃弾がそれを追う。
刀身についた血を拭い、吾妻はひとつ大きく息を吐いた。
目を閉じ、暴力的な破壊を繰り返す銃弾の数を、心の中で静かに数える。
五発、六発、七発……
七発目の銃声を聞いた途端、吾妻が物陰から飛び出した。わずかに硝煙の残る銃を構えた昏い目の男が目を見開く。
――と見えたのはわずかな間で、次の瞬間、男の昏い目に狂喜の光が灯った。
間隔を置かず、すぐさまもう一発が発射される。
八発目の銃弾が吾妻に迫る。
しかし、拳を突き上げて雄叫びを上げたのはギンの方だった。拳銃が火を噴いた瞬間、身を翻した吾妻は再び物陰へと逃げ込んでいた。
必殺の八発目をかわされ、昏い目の男が怒りの絶叫を上げる。今度こそ部屋に飛び込んだ吾妻が、息もつかせぬ速さでその間合いに踏み込んだ。
斜めに擦り上げられた刃が男に迫る。
男が咄嗟に右手を上げる。
握られた拳銃と日本刀が噛み合う。
高い金属音が響き、火花が散る。
打ち負けた拳銃が弾け飛び、男の人差し指の先を巻き込んで床に転がった。
怒りに歯を噛み鳴らすと、男は腰のサーベルを素早く抜き、そのまま右に振り抜いた。
思いもかけぬ即座の反撃に吾妻が身を仰け反らせ、鍔元で危うくもそれを退けた。
憤怒に燃え狂った目で、男が吾妻を睨め上げる。
「貴様、なぜ見切った……!」
競り合う刃を跳ね返し、間合いを取った吾妻が片唇を歪めた。
「拳銃ってえのは大概が六発、乃至は八発篭めなんだとよ……つまりお前さんの七発撃ちはフェイクだ。悪いが、うちにはその道の玄人がいてね!」
男の目にもう昏さはなかった。ただ満腔の怒りと驚愕、そして狂気が渦巻いていた。
口の両端に泡をふき、男が再度絶叫する。
その背後から銃声が鳴り響き、男と吾妻が揃って身を屈めた。刃物を持った腕を上げ、飛来する銃弾から頭を庇う。
銃撃者はバルコニー上にいた。綿入れの男だ。
部屋の中にはほとんど遮蔽物がない。
全身をさらけ出し、男と対峙する吾妻に向けて立て続けに銃声が響く。
狙いの粗い銃撃が、吾妻、そして昏い目の男の足元を区別なく抉る。
そのうちの一発が吾妻の左腕に命中した。鋭い痛みと衝撃に、吾妻が後方へたたらを踏む。
しかし綿入れの男はあまりに敵を知らなかった。
真に恐ろしい銃撃者が入り口脇に潜んでいることなど、まるで分かっていなかった。
新たな銃声が聞こえるなり、ギンが入り口脇から飛び出した。
廊下の闇を背負い、仁王立ちになるギンに、しかし綿入れの男は気付かない。興奮に血走った目は、吾妻をしか見ていない。
やれやれ、とギンがため息をついた。
「お粗末!」
一発必中。放たれた弾丸は綿入れの男の額を正確無比に撃ち抜いた。
悲鳴を上げる暇すらなく、綿入れの男が絶命する。
ほぼほぼ同時に、女の金切り声が響いた。
「何なのよお前たちは! なぜ、どうしてここにいるのよッ!」
マミだ。駄々をこねる子供のように、両腕をがむしゃらに振り回している。
その手に撃鉄の上がった拳銃が握られているのを見、ギンが再びため息をついた。
顔を真っ青に染めたマミは、呆然として頭を抑えた。
「だってあの子が……レミ……レミがいたはずじゃない……!!」
半狂乱で叫ぶマミに、「ああ、」とギンが軽く受けた。
「あの女狙撃手かいな。なんや見覚えある顔や思ってたけど、あんたやったか……よう似た姉妹や。相当な別嬪やったけど、きっつい目ェした女やったなあ」
笑いを含んだその言葉に噛み付くようにしてマミが絶叫する。自動拳銃を取り上げると、震える両手でギンに銃口を向けた。
リボルバーが激しく回転し、空の薬莢をいくつも吐き出す。
乱射された銃弾は、しかしいたずらに弾痕を増やすばかりでギンには擦りもしなかった。
戦慄く手で次の弾を篭め直すマミ。
右肩を前に半身になり、心臓を庇い、銃撃の狙い目を半減させていたギンは、ゆっくりと片手で拳銃を構えた。
こびりついた手垢が年季を感じさせる愛銃は、南部式自動拳銃乙型。
「あんたにゃ悪いが、あっちの姉ちゃんのほうが……」
一切のぶれを見せない銃口が、マミの眉間に照準を定める。
照準器越しに、細く鋭い目が哀れな女を睨みつけた。
「よっぽどそそるわ」
空間を切り裂き南部弾が飛ぶ。
片手撃ちとは思えない正確な軌道だ。
銃弾が今しもマミの絶叫を途絶えさせようとした刹那、その腕を強く引く者がいた。安達泰人だ。
狙いが外れ、弾はマミの艶髪を数本攫って壁にめり込んだ。
狂ったように喚くマミは、銃撃されたことにも気付いていない。その体を抱きすくめるのが己の主人とも気付かぬ様子で、癇癪を起こした子供のように暴れ回る。
拘束されてなお、喚きながら拳銃を振り回すマミを、安達泰人が平手で打った。
鋭い痛みを訴える頬を押さえ、呆けたようにマミが愛人の顔を見た。安達泰人の顔は静かそのもので、しかし有無を言わさぬ圧力があった。
「我慢なさい、マミ。今は不利だ」
その言葉を待っていたかのように、揃いの角袖に呼吸器姿の男たちが部屋に雪崩れ込んできた。入り口付近に仁王立ちし、バルコニーを睨め上げるギンを庇うようにして立つ。
安達泰人が倒れたままのくず子を顎で示す。マミは人形のように頷くと、大人しくその体を持ち上げた。
マミの息は未だ荒かったが、平手の衝撃が彼女に冷静さを取り戻させたらしかった。
手摺に手をかけた安達泰人が、喚声に満ちる階下を睨みつける。
しばらく無言でそうしていたが、やがて踵を返し、安達泰人はマミを伴ってバルコニー背後に設けられた扉へと消えた。




