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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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四十五:対峙

 安達泰人は、その目を爛々と輝かせて手を打ち続けた。

 やがて拍手の間隔が短くなり、手を叩きながら左右を振り返って「さあ、さあ!」と侍従らにも拍手を強要する。


 戸惑ったように顔を見合わせながら、マミと綿入れの男が拍手に加わった。昏い目の男は、後ろ手に手を組んだまま微動だにしない。



 場の空気にはまるでそぐわない盛大な拍手は、数分も続いただろうか。

 あるいはわずかな時間だったかもしれない。


 唐突に止んだ拍手は、しばらく残響したのちにやがて薄れた。


 叩き終えた両手を組み合わせ、安達泰人は頬を上気させて叫んだ。


「素晴らしい! 見事だよ、君! 限られた情報と情況証拠から、よくぞ答えを導いた! まるで目の前にホームズが現れたかのごとき感動だ。いや、総身が震えるとはまさにこのこと」


 感極まった様子で安達泰人が両腕を広げる。狂気を帯びた目に怯え、身を引いたくず子が椅子を鳴らした。


「正解だよ、君。谷田部は情報を売ったんだ、私の政敵にね……あれには本当に困った。大して考えもせず、涎を垂らして接触してきた数人はもう絞めておいたが、しかし君の指摘通り、息を潜めている輩がまだまだいるに違いない」


「手札を見せず、機を伺っている分そちらの方が相当に賢いし、遣り手だろう」


「そうなんだよ。谷田部が受け取った金額の大きさから、おおよその人数は掴んでいるんだけどね……肝心の名前が分からない。マミを内偵にやっていて本当によかった。彼女がいなければ、あるいは窮地に立たされていたかもしれない」


「情婦を谷田部の元にやっていたのはそれが理由か。奴の家を見たとき、その金回りの良さを不思議に思った。いかに新聞局局長とはいえ、一介のサラリーマンごときが文化住宅に住まえるとは考えづらいからな。政治家の弱みを握り、それを政敵に売って金を得るというのは、奴の常套手段だな?」


「その通りだよ、骨董屋。新聞局局長という立場を利用して、副業で荒稼ぎしていたというわけさ。奴は大悪党さ。だが便利な駒でもある。その昔、私も奴から情報を買ったことがあってね」


「……前都知事の情報か」


 氷のように冷えた目を向ける蛇川に、安達泰人は満足げに頷いた。


「君は本当に頭が良い。そうだよ。描いていた将来図よりも早くこの椅子に座れたのは、谷田部のお蔭といっても過言ではない」


 己に利益をもたらした男が、機会さえあれば今度は己自身にも牙を剥くことを見越して、息がかかった女を女房として送り込む。

 改めて安達泰人の周到ぶりを痛感し、蛇川は内心で舌を巻いた。


「聞かせてくれ。あんたの目的はなんだ?」


「私の下で働かないか?」


 蛇川の質問は、さらなる質問でかき消された。その問いに応と答えない限り、その先は教えられないということだろう。


「……もし、是非にと答えたら」


 蛇川はちらりと視線をくず子に向けた。


「その子の安全は保障されるか?」


「もちろんさ。生涯不自由をさせることはないと誓おう」


 くず子が不安げな瞳を蛇川に向ける。蛇川はそれを優しく受け止め、口元に微笑みを浮かべた。力強く、ひとつ頷く。


 再び安達泰人に向き直ると、即座に唇を引き締めた。


「断れば?」


 安達泰人はこめかみの辺りを掻いて、小指を耳穴に突っ込んだ。しばらくの間まさぐった後、抜き出した指にふうっと息を吹きかける。それが答えだった。


(いず)れにせよ、君には役目を果たしてもらわねばならん。まあ、君ほど優秀な男であれば、どちらが賢い生き方か、当然分かっているとは思うがね」


 賢い生き方。


 その言葉が、不意に蛇川の記憶を蘇らせた。ついこの間――今となっては遠い昔のようにも思えるが、蛇川も似たような台詞をギンに吐いたことがあった。


(仁義、か……賢くない生き方だな)


 それに対し、実に気持ちのいい笑顔でギンはこう答えたのだ。


「それが、極道者……」


 蛇川の呟きに、安達泰人が眉をひそめた。


「なに?」


「まったく、生きづらい連中だ」


 組んだ手の下で、蛇川の唇が三日月状に歪む。


「残念だが、都知事殿。僕の望みは二つある。その子の身の安全と、僕自身の牙を折らぬことだ。あんたの申し出を請けた場合、後者は一生叶うまい……」


 自嘲するように吐き出すと、歪められた唇が一転、獲物を前にした獣のそれに変わる。


 歯茎を剥き出しにし、濡れた舌を覗かせ、歯を噛み鳴らし、憤怒を宿した瞳は敵の喉笛に狙いを定め、燃える。


 撫で付けられた髪がぶわりと逆立ち、細身の体が総身に渦巻く怒りと暴力に膨れ上がった。


 (カッ)と開かれた赤い口から、その膨張が音となって吐き出された。


「見くびるな、安達泰人ッ! 死者にたかる蛆虫のようなクズの傘下(さんか)(くだ)ってまで、生き永らえるつもりは毛頭ない!」


「やれやれ……交渉は決裂か」


 安達泰人が立ち上がる仕草を見せると、すぐさま綿入れの男が椅子を引いた。


 腰を上げた安達泰人は、隣に座るくず子の腕を取る。

 くず子は首を振って抵抗したが、子供が大人の力に敵うべくもない。無理矢理に立ち上がらせられ、腕を掴まれて安達泰人の元へと引き寄せられた。


 蛇川が椅子を倒しながら立ち上がる。


 しかし耳障りな複数の金属音がそれを制した。


 撃鉄を上げた拳銃が三本、くず子のおかっぱ頭に照準を合わせていた。

 最初からくず子の背後に控えていたスーツの男と、赤茶けたドレスに身を包んだマミ。そして、昏い目をした男の三人が、瞬時に拳銃を構えていた。


 男の目には、光というものがまるでない。蛇川が一歩でも踏み出そうものなら、男の拳銃は何の慈悲もなく火を噴くだろう。


 己ではなくくず子を狙う敵の浅ましさに、蛇川の奥歯が軋む。


「若者は生き急いでいかん。君は才覚あふれる男だが、しかし処世術というのを知らんな」


「下衆に頭を下げることを処世というなら、そんなものはこちらから御免(こうむ)るさ」


「その意気は買うんだがねえ。だが、この状況でどうするというんだ? 君がどうあっても護りたいらしいお嬢さんは、今まさに死の淵に立っている。君が指の一本でも動かそうものなら、たちまちに足元が崩れてしまうぞ」


 正論だ。くず子を盾に取られ、蛇川は手も足も出せないでいる。


 どうにかして安達泰人から逃れようとくず子がもがく。

 己の腕を掴む手に取り付き、指の一本一本を引き剥がしにかかるが、しかしどれほど力を込めても微動だにしない。


 頰を涙で濡らしたくず子は、きっと目を鋭くすると、安達泰人の手に噛み付いた。蛇川を睨みつけたまま、安達泰人の顔がわずかに歪む。


 次の瞬間、乾いた音と共にくず子の短い黒髪が揺れた。

 マミだ。平手を打ったのだ。


 腕を掴まれているため倒れることも許されず、くず子はか細い体を大きく揺らした。


「お行儀の悪い子だね。(しつけ)はどうなってんだい」


 忌々しげに舌を打つマミは、しかし主人(あるじ)が漏らす底冷えのする笑い声を耳にして顔を上げた。


 燃えるような瞳で蛇川を見据えたまま、安達泰人が囁く。


「……マミ。見てご覧」


 促されて正面を見たマミは、「ひっ」と短く悲鳴をあげて仰け反った。


 そこにいたのは牙を剥いた獣、そのものだった。


 鼻の周りに醜悪な皺をいくつも寄せ、歯を剥き、喉の奥から地鳴りのような唸り声を漏らす、野に住まう獣。誰にも媚びない孤高の獣。


 憎悪の炎が宿った目が、マミを芯から恐怖させる。渦巻く殺意が圧力を持ってマミの体を押す。



 その瞬間、空間を切り裂く鋭い音が、その場にいた全員の鼓膜を揺らした。


 銃声だ。


 それも一度や二度の話ではない。最初の一発を皮切りに、けたたましい無数の銃声の応酬が始まった。


「な、何だッ!」


「襲撃か……!? しかし一体誰が……」


 混乱と焦燥のどよめきが起こる。幾つかの足音が、迷いながらも銃声が聞こえた方向へと駆けていく。


 侍従らが慌てふためく中、蛇川と安達泰人だけは烈火の視線を逸らさない。


「嵐を連れて来たのは君だな? 骨董屋。君は本当に、私を楽しませてくれるね」


「……これからどうするつもりだ」


「少し予定が狂ったが、まあいい。ここへ連れて来られた目的を知りたがっていたね。今、教えてあげよう。ついて来たまえ」


 大仕事が待っている。

 そう言うと、安達泰人はくず子を引き摺りながら歩き始めた。一度蛇川を振り返ってから、拳銃を構えたままのマミがそれに続く。


 逞しいその背中について行く以外、蛇川に道はなかった。

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