表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
45/101

四十四:対峙

 蛇川は集中のために深く息をついた。


 作戦変更だ。

 洗いざらい全て吐き出し、ついで揺さぶりもかけながら安達泰人の出方を伺う。


 そのためには一瞬の表情の強張り、汗のにおい、表皮の温度に至るまで見逃すことはできない。得られる情報は、五感をすべてフル活動させて吸収する必要がある。


 蛇川は閉じていた目をゆっくりと開いた。期待に頬を紅潮させた安達泰人を正面から見据える。


「まず……春川信男だ。何がきっかけかは知らんが、春川はあんたにとって相当まずい情報を掴んだ。その情報とやらが何かまでは分からんが……大方、あんたと愛人のあられもない狂態でも撮られたんじゃないか?」


 安達泰人は肩をすくめ、両手を上げておどけて見せると「続けて」と先を急かした。


「普通の記者なら相手が都知事で、さらに名家の当主と知れば諦めもするだろうが、春川は違った。莫迦だったんだな。己の実力と、相手の実力の差を見極められない青い記者だった。だから深追いした。そしてその結果、自分一人では捌き切れなくなり、上司である谷田部に相談した」


「うんうん。悪くない」


「……ここから推測は三方向に分かれる」


「ほう?」


 蛇川は突き出した拳から、親指、人差し指、中指の三本を立てた。それを一本ずつ折って見せながら説明を続ける。


「一つ、谷田部が常識ある小物だった場合。谷田部は春川をあんたに売り、己の保身をはかっただろう」


「まあ、真正面から歯向かうよりは、よほどか賢い選択だろうね」


「最初はこれだと思った。だが、そうすると奴がまだ生かされていることに説明がつかない。己を頼ってきた部下を簡単に売るような奴だ。請われなくとも、あんたに必要な情報は全て進んで吐き出したろう。そこで二つ目、谷田部が莫迦な熱血漢だった場合だ」


 いつしか安達泰人だけでなく、マミや綿入れを着た男までもが蛇川の口元に注目していた。昏い目の男も、変わらず虚空を見つめながらも、耳だけは済ませている様子だった。


「まさか、女房が安達の犬だったとは思いもしなかったからな。それが分かった今、春川を売ったのが谷田部ではなく、女だった可能性が浮上する。小心者だが部下思いだった谷田部局長は、哀れ惨殺された部下の無念を晴らそうと、春川から打ち明けられた秘密を心深くに押し留め、今も決死の抵抗を続けている……」


「美談だな。聞くだに酔いそうだ」


「だがこの可能性もあり得ない。聞き間違いでなければ、過日の春川は『局長が裏切った』と……そう恨み言を口にした」


 ワイングラスを引き寄せていた安達泰人の手がぴたりと止まった。目を丸め、信じられないといった表情で蛇川を見る。


「……会ったのか? 春川信男と?」


「正しくは、かつて春川だったモノ……鬼と化した春川信男とだがね」


 ちらりとマミを見やると、案の定、マミは白い顔をいっそう青白くさせていた。蓮っ葉に振る舞ってはいるが、鬼や亡霊の類には相当に弱いらしい。あるいは、それらに対してよほどか思い出したくない記憶でもあるのか……


「谷田部に取り憑いていたとかいうアレか。マミから報告は受けているよ。しかし、まさか会話できたとはねえ」


「猛獣遣いというものがいるだろう。およそ人に制御できるはずがない猛獣を、己の意のままに操る芸人が。あれに似ている。

 鬼というのは猛獣のようなものだ。ヒトの道から外れ、ヒトの(ことわり)を亡くし、ヒトの道理が通じないモノ共」


 安達泰人の目がきらりと光を帯びた。唇をひと舐めし、テーブルに身を乗り出す。


「骨董屋。つまり、君はその世界における猛獣遣いということだね?」


「そうかもしれない。だが完全ではない。獣は餌で手懐けられるが、鬼の場合そうはいかん」


「どうすれば鬼を手懐けられる?」


 いっそう身を乗り出してきた安達泰人をいなすように、蛇川は挑発的に鼻を鳴らした。


「知るか。ハンニバルの戦象部隊よろしく、戦鬼部隊でも作り上げるつもりだったか? だとしたら笑止だな。奴らに我々の道理は通じない」


「そんな大それたことは考えちゃいなかったが……しかし、鬼を戦争に用いるか。もし実現したら面白そうだな。まるで陰陽師の世界じゃないか」


「おお、恐ろしい」


 顔を背け、吐き棄てるようにマミが呟く。安達泰人は愛人を労わるようににこりと笑いかけると、蛇川に向き直った。


「話が逸れてしまったな。それで? 君の考える三つ目の可能性というのは何だ?」


 蛇川は最後まで残っていた親指を折ると、拳のうちに握り込んだ。それを口元に押し当てる。


「……谷田部が、愚かな大悪党だった可能性だ」


「ほう!」


「僕はまともな頃の谷田部を知らん。そこにいる女から、ただの小心者だと聞いた程度だ。だからこれは半ば僕自身の思考になるが……

 春川の相談を受けた谷田部が考えたのが、己の保身でも、正義の追及でもなかった場合。悪党なら何を思うか? ――得た情報を、いかにして金の山に化けさせるか、だ」


 安達泰人の眉がわずかに持ち上がる。赤い舌が再び唇をなぞり、乾いたそれを湿らせる。


「ただの莫迦なら、その情報をネタにあんたを直接強請(ゆす)ったろう。記事にされたくなければ誠意を見せろ、とな。しかし、もし谷田部がそうしていたなら春川と同時に、あるいは春川が始末された後、すぐさま谷田部も同じ道を辿ったはずだ。だが、奴はまだ生かされている。なんとしても吐かせねばならない何かを握っているからな。だから、あんたは女に命じて奴を正気に戻させようとした。そうまでしてあんたが聞き出したいこととは何か?」


 蛇川は革手袋の両指を組むと、その上に通った鼻筋を乗せた。口元を隠し、正面の安達泰人を睨めつける。


「谷田部は春川から得た情報を第三者に売ったんだ。己が安達泰人に対峙し得る器でないことを知っていたからな。だから、それに足る人物に情報を売った。あんたがどんな手を使っても聞き出そうとしているのは、その売り先……。


 あんたが谷田部に固執(こしゅう)するあたり、その第三者とやらはまだ表立って動いてはいないのだろう。あるいは、既に接触してきた者もいるやもしれんが、しかし谷田部が情報を売った先は決して一つとは限らない。

 あんたの弱みを手中に収め、虎視眈眈と機会を伺っている者が、なに食わぬ顔をして帝都の闇に潜んでいる……そうなれば、何としても谷田部から情報の売り先を吐かせようとするあんたの行動にも納得がいく」



 ぱち、ぱち、ぱち。


 広い部屋に拍手の音が反響する。


 それまで身じろぎもしなかったくず子が、びくりと肩を震わせて、手を打ち叩く安達泰人を見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ