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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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四十三:対峙

 磨き上げられたテーブルを挟み、蛇川と安達泰人が向かい合う。


 左右の長辺にはそれぞれ十人ずつは掛けられようかという大きなテーブルだ。長く垂れ下がったテーブルクロスが、上質な光沢を放っている。

 そこに蛇川と安達泰人、そしてくず子の三人だけが着席していた。


 最も距離が離れた位置、対面する短辺に陣取り向かい合う蛇川と安達泰人。くず子は角を挟んで安達泰人の右隣りに座らされている。


 安達泰人の背後に控えるのは三人。


 一人は例の綿入れを着た男で、席に着いた時からずっと蛇川に鋭い視線を向けている。


 もう一人は漆黒のスーツに身を包んだ壮年の男だ。その生地を通して盛り上がった筋肉がありありと感じられる。両耳は潰れて餃子のようになっており、柔道、あるいは拳闘(ボクシング)に通じているらしいことが見て取れた。

 どこか茫洋とした昏い瞳は、対面の敵ではなく虚空を眺めている。


 最後の一人、安達が座る椅子の高い背凭れに手を添えているのは、洋装に着替えたマミだ。身を包む少し茶けた赤いドレスは、やはり安達泰人の趣味に合わせたものだろう。

 少しうねりのある長い髪は服装に合わせて結い直されている。右肩に垂れた黒髪はどこか煽情的だった。


 蛇川とくず子の背後にもそれぞれスーツ姿の男が二人控えている。うち一人の手には拳銃が握られており、銃口はぶれることなく二人の後頭部に向けられていた。



 黒の革手袋をはめた指をゆるく組み、蛇川は目を閉じている。ゆっくりと胸を上下させ、肺に新鮮な空気を送る。

 静かに目を上げると、笑みを浮かべた安達泰人の視線とかちあった。


 剃刀のように鋭い目付きを正面から受け止め、安達泰人は肩を揺すって笑った。


「参ったな。こんなに熱烈に見つめられたのはいつぶりだろうね」


「あら。私だって負けていませんわ、先生」


 軽口を叩き合う安達とマミにも、蛇川は姿勢を乱さない。眉の一つも動かさない蛇川に、安達泰人が好奇の声をかけた。


「拳銃を突きつけられてなお平然としているとは、ますます底の知れん男だ。君は一体何者だ? ただの骨董屋の亭主というわけじゃあないだろう」


「客人に拳銃を突きつけておきながら、愛人と軽口を叩き合っていられる都知事というのも大概だろう」


「ふふ。確かにそうかもな」


 穏やかでない空気の中、安達泰人が立てるわずかな食器音だけが室内に響く。さすがは名家の当主だけあって、その所作には品がある。

 蛇川らの前にも温かな食事が用意されていたが、手もつけられないうちに湯気が力なく消えていく。


 くず子の前には、子供好きしそうな洋食が数種類、小盛りになって置かれている。山状に盛られたご飯の頂点には、爪楊枝と紙でできた旭日旗(きょくじつき)が立てられていた。


 腫れぼったい目でちらりと旗を見るくず子の視線に目ざとく気付き、安達泰人が身を乗り出した。薄く指毛の生えた人差し指が旭日旗を指差す。


「御子様洋食だよ。君のために特別に用意させたんだ。登山家はね、山の頂上に登りきったら、自分の偉業を広く知らしめるために旗を立てる。それを模しているんだよ」


 優しく教え聞かせる安達泰人の言葉に、くず子は何の反応も見せなかった。


 しかし安達泰人は気を悪くした風もない。微笑みを浮かべたまま対面に座る男へ目を転じると、好人物然とした微笑みが、一種凄みを帯びた笑みへと変わった。


 蛇川の姿勢は先程と変わらない。しかしそのこめかみには青筋が走り、獣のような瞳は安達泰人を捉えて離さない。薄い唇がぴくぴくと痙攣し、わずかに白い歯が覗いている。

 くず子の後頭部を狙う銃口さえなければ、今にも安達泰人の喉元に迫ってきそうな。そんな顔だ。


 渦巻く怒りを水面下に抑え込んでいた先程から一転、怒りどころか殺意まで垂れ流す男の形相に、安達泰人は満足げに微笑んだ。


 冷ややかで明確な殺意を孕んだその目。これだけの護衛に囲まれていても、見据えられただけで肝が震える。ただ、その震えも安達泰人にとっては心地いい揺れにすぎない。


「いい目だ。察するに、君、人を殺したことがあるだろう?」


 右手に持ったナイフで蛇川を指し、安達泰人がにやりと笑う。ナイフの先から肉汁が一滴落ちる。


 薄く開かれた蛇川の口から、ぞっとするほど暗い声が漏れた。


「……谷田部はどうした」


「本当にせっかちな男だな! しかし立場を履き違えてもらっちゃあ困る。質問するのは私だ。君じゃあない」


 蛇川を差したナイフが、今度はくず子に向けられる。その先から再び肉汁が滴り落ち、テーブルクロスに染みを作った。


 安達泰人に胸を押し付けるようにして身を乗り出したマミが、絹のハンケチでそれを拭う。にっこりと安達泰人を振り向き、その口髭にぶら下がる食べカスを指で摘むと、吸い付くようにそれを己の口に含んだ。


 口元をナフキンで丁寧に拭い、安達泰人は食器を置いた。


「谷田部は生きているよ。奴にはまだ役目があるからね」


「……役目?」


「ああ。彼には話してもらわねばならんことがある」


 安達泰人の腕が伸び、仏飯器(ぶっぱんき)に似た形の器を手に取る。硝子製の器の中にはアイスクリームが入っていた。


 明治に創業した氷水屋を皮切りとして、日本におけるアイスクリーム産業はうなぎのぼりに成長した。帝都でも銀座を中心に風月堂、開新堂、資生堂などのパーラーが次々と店を開き、アイスクリームは庶民らのちょっとした贅沢として根付きつつあった。


 掬ったアイスクリームを口の中で転がし、満足げな表情を見せる安達泰人を、蛇川が変わらぬ冷たい目で見据えた。


「そこが解せない。今更、あんたが谷田部から何を聞き出す必要があるというんだ?」


「んんん」


 ねぶったスプーンを口から出して、安達泰人は首を振った。その仕草にわずかな苛立ちを感じ取り、蛇川が押し黙る。


「君の考えを知りたいな。どこまで掴んでいる?」


「ほとんどが推測だ」


「構わんさ」


「……少し、情報を整理させてくれ」


 にっこりと笑い、安達泰人は次の一口を口元に運んだ。

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