表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
42/101

四十一:鴛鴦組の男共

 後ろ手に手を組み、吾妻はじっと緊張感に耐えていた。

 (てのひら)に浮いたねばつく手汗を、両の手をこすり合わせて拭う。


 少しでも気を抜こうものなら、たちまち張り詰めた空気に()されそうになる。肩幅に開いた足を踏ん張り、奥歯を噛み締めてただただ耐える。


 場所は新橋にある鴛鴦(おしどり)組の事務所だ。


 ビルは全体が半ば鴛鴦組の所有物と化しており、一階には食堂、二階には若衆の詰め所、最上階の四階には酒も提供してくれるカフェがあって、ここ三階が事務所になっている。


 吾妻は革張りのソファに向かって立っていた。窓を背にして置かれたソファの向こうから、午後の陽光が差し込んでいる。

 上質な革の三人掛けソファは、そこに座る巨躯の体重で大きく軋んでいた。


 巨躯の持ち主は初老の傑物だ。


 歳を重ねていっそう威圧感の増した眼光は鷹のように鋭く、老いという言葉とはまだまだ縁遠く見える。

 雪のように白い髪は後頭部に向けて撫でつけられ、毛先はうなじのあたりで外向きに軽く跳ねている。


 仕立てのいい和装に身を包んだその姿は、その目の異様な鋭さを除けば、地元の名士と紹介されても違和感がない。


 しかし六十を超えて少し肉のついた体には、かつての抗争の痕が其処此処(そこここ)に残っている。


 幾度もの熾烈な争いに勝ち抜き、大きな利権が絡む銀座の半分をそのシマに持つ武闘派集団・鴛鴦組の現組長。鴛鴦呉壱(ごいち)、大正の怪物だ。



 鋭い目付きはそのままに、口元だけで笑いながら呉壱は目の前のローテーブルを指で叩いた。


 硝子製の天板には、封筒が二枚並べられている。白いそれには、墨の薫る字で「絶縁状」と書かれていた。


「陽光うららかないい午後だぜ。なのにまた……絶縁状たァ穏やかじゃねえなあ。え? 吾妻よ」


「……申し訳ありません」


 (かしこ)まって腰を折る吾妻に、呉壱は大柄な体を揺すり、ぐつぐつと低い声で笑った。


 長年の抗争と過剰な喫煙量のために、呉壱の喉はいつしか潰れ、常に痰が絡んだかのような枯れた声しか出なくなった。しかしそれが、また一種異様な貫禄と凄みを醸し出している。


 人払いをした部屋には、吾妻と呉壱の二人しかいない。

 普段は若衆らで溢れかえっている手狭な部屋が、今日ばかりはいやに広く感じられる。


「お()ェらしくもねえ。俺がそんなどうでもいい言葉を聞きたがってると思うか……えぇ? どういう了見だって聞いてんだよ」


 吐き出される言葉に合わせ、太い指が封筒を叩く。


「全て話します。ただ、組員として話せばきっと組に迷惑がかかる……親仁(オヤジ)、お願いします。先にそいつを受け取ってください」


「そいつぁできねえ相談だ。ほいと出されてはいと気軽に受け取れる類のもんじゃねえぞ、こいつァよ」


「…………」


 背凭(せもた)れに深く身を沈めていた呉壱は、緩慢な動きで上半身を起こした。左腕を腿に乗せ、体重を前にかけると、下から吾妻を睨めつける。

 どうあっても先に受け取りはしない。そういう構えと取っていいだろう。


 元より、筋の通らない話だとは分かっていたことだ。目を閉じ、深く息を吸い込んでから、吾妻はその視線を真正面から受け止めた。


 腹の底から絞り出すように、一息に吐き出す。


「――俺はこれから、安達泰人を殺します」


 呉壱は動じない。


 ただ、僅かにその白い眉を持ち上げて先を促しただけだ。


「奴を社会的に抹殺する必要があるんです。いま、すぐに。

 警察にぶち込むなんて手ぬるいやり方じゃ駄目だ。奴ほどな力があれば、上層部を買収して檻を逃れることなど訳もねえ。それに……泣いて命乞いする奴の喉笛を、この手で掻き切ってやらなきゃ気が済まねえ」


「穏やかじゃねえなあ」


 くっと喉を鳴らし、先程の言葉を繰り返す呉壱に、吾妻も苦笑を返す。しかし瞬時に顔を引き締めると、言葉を繋いだ。


「この世界に身を置いてから、命のやり取りは腐るほど経験してきました。奪いもしたし、奪われもした……。ですが、今回ばかりは相手が悪い。当然、刺し違える覚悟は出来ていますが、下手をすりゃあ親仁や組にまで迷惑が及ぶ」


「安達泰人……東京都知事、か」


 腕を伸ばして両切り煙草を取ると、その一本を口に咥えた。すかさず吾妻がマッチを取ろうとするが、それを片手で制して自ら火を付ける。


 うまそうに目を細めて、まずは一吸い。

 口を歪めて白い煙を吐き出すと、厚い胸板を揺らしながら笑う。


「吾妻。お前ェ、いつから暗殺者に鞍替えしたよ」


「……誰の依頼でもありませんよ」


 吾妻も思わず苦笑を返す。


「安達を()るのは俺自身の意思です。だからこそ、組に迷惑は掛けられねえ」


「金絡みじゃねえ、ただの私情で安達家に戦争を吹っかけようってのか? 莫迦だ莫迦だとは思っていたが、突き抜けた莫迦だな。……で、もう一人の莫迦はどいつだ?」


 その言葉を待っていたかのように扉が開き、ギンが部屋に進み入る。


 血の跡はすっかり拭われていたが、頭には巻かれた白い包帯が痛々しい。左手にも白いものが見えるのは、倒れた際に酷く指を突いてしまったためだ。

 ギンは吾妻の背後に立つと深く一礼し、同じように後ろ手に構えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ