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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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三十一:微動

 カフェに入ると、ギンがぺこりと頭を下げた。


 どうやら、吾妻は今回の案件をギンに裁かせようという魂胆らしい。

 吾妻は、武闘派として極道界に勇名を馳せる『鴛鴦組』の若頭だ。情報屋として現れる時は日がな一日モンシロチョウでも追っていそうな悠々とした風を装っているが、その実は相当に忙しいはずだ。使える手駒は多いに越したことはない。


 軽く頷いて見せ、中央にあるテーブル席へ。短くなった吸殻をカウンターテーブルに押しつけると、吾妻もその正面に座った。ギンはやはり、後方で立って控えている。

 蛇川はカツカツと革靴で床板を叩いた。


「珍しいな。あんたが『悪シ』の合図を寄越すのは」


 肩をすくめる吾妻の代わりに、顔をしかめたギンが返す。


「すんまへん、ワシが不甲斐ないばかりに……。

 一応、春川の奴がどえらくデカいヤマ抱えてたらしいことまでは掴みましたんや。ただ、そこから先がもうアカン。相当危ないヤマやったらしく、その内容を知るんは死んだ春川ともう一人だけなんですわ」


 怪訝そうに眉をあげる蛇川を、ギンは両手を振って制した。


「勿論その、残る一人にも当たりました。いや、当たろうとしたんですが……どう足掻いても、無理なんですわ。やっこさん、谷田部(やたべ)いいまして、春川が勤めていた新聞局の局長なんですが、ココがいかれてもうて」


 細長い人差し指が、こつこつと己の頭を叩く。そのまま短い髪をぐしゃりと掴むと、悔しそうに歯噛みした。


「それはいつからだ」


「春川の遺体が見つかって二、三日くらい経った頃からやそうです。最初は幻聴やら幻覚やらで騒いでいたもんが徐々に悪化してって、今となってはもう完全な廃人ですわ。嫁はんが話しかけても、肩を揺すってもなァんも反応しよらへん。何人もの医者にかかったり、怪しげな漢方にまで手を出したようですが、てんで効き目はなかったとか」


「幻聴やら幻覚ってのは、具体的にはどんな内容だ。春川絡みか」


「ご明察です。なんもないとこを指差して、しきりに『春川がいる、春川がいる』と言っとったそうです。幻聴のほうは、もはや何を言うとるかさえも聞き取れんかったと」


「そうも怪しいと、真っ先に警察に疑われたろう」


 うっすら無精髭が生えた顎をさすりながら、吾妻が口を挟む。そちらに向き直り、ギンは重々しく頷いた。


「当初、警察は谷田部を犯人と完全に疑ってかかっとったそうです。尋問もあった。ま、そりゃそうですわな。罪の意識が春川の幻覚を見せてるもんやと、誰もがそう考えます。ただ、奴さんの頭はどんどん悪化していきよる。尋問しよう(おも)ても暖簾に腕押しっちゅうやつで、情況証拠も物的証拠もあらへんし、ほとほと困り果てていたと」


「そうこうしているうちに下田が捕まり、谷田部は騒動の舞台から降りた……ついでに、人生の舞台からも半分転げ落ちちまったようだがね」


 両腕を開き、大仰に天井を仰いで見せて吾妻はため息をついた。


「下田の登場により、谷田部に対する見方は大きく変わる。罪の意識に苛まれて気が触れたものと思われていたが、実際のところは真逆だった。谷田部は、次に殺されるのは自分だと恐怖するあまり、ついに狂っちまったんだなあ。例の、二人で追っていた危険なヤマってのが、春川の死に関係していると早とちりしたんだろう」


「待て吾妻。そうと決めつけるのはまだ早い。下田が捕縛された時点で谷田部への懐疑は晴れたかもしれんが、同時に襲われる可能性もなくなったはずだ。なおも谷田部が恐怖し続ける理由はない」


「いや旦那。下田が捕まる頃には、谷田部はもう完全にあっちの世界へ行ってしもとったんですわ」


 蛇川は拳を口元に押し当てた。強く押し当てるあまりに唇がひしゃげているが、気にする様子もない。


 沈黙の時間が過ぎる。吾妻はのっそり立ち上がると、懐から煙草を取り出しながらカウンターの奥へと向かった。すかさずギンが駆け寄りマッチを擦る。

 蛇川はむすりと顔をしかめたまま、鋭い眼光をギンに向けた。


「下田はなんと言っている?」


「死んだよ」


「なんだとっ!?」


 短く答えたのは吾妻だ。煙で作った輪の中に、ふぅーと細い息を吐く。


「死んだ。連行されたその夜のうちに、舌を噛み切って死にやがった」


「下田の春川殺しは、個人的な怨嗟を募らせたもんや。仮に塀の中から出られたとしても、元いた組には帰れんどころか、不義理者として後ろ指を指され続ける……そう思ったんでしょうな。ま、そもそも塀の中から出られる可能性など無いに等しいんやけど」


「都合がよすぎるっ!」


 革手袋が激しくテーブルを打ち、薄く積もった埃が舞い上がる。物音ごときに決して動じない極道達は、しかし蛇川が何を言い出すものかと、その(おもて)を見守った。


「春川は殺され、谷田部は廃人になり、犯人の下田も死んだ。あまりに都合がよすぎるじゃないか」


「誰にとってです?」


「無論、黒幕にとってだ」


 ギンが細い目を見開いた。


 早々に立ち上がり、インバネスコートを羽織りながら、蛇川が早口に言葉を繋ぐ。


「谷田部に会う。会って確かめんことには始まらん」


「せやけど旦那、さっき言うた通りそれは無駄やし、そもそも無理や。

 最初のうちこそ、自称医者やら学者やらの怪しい奴らが谷田部家に押しかけては、瞼をめくってみたり、口を開けさせてみたりだけして不当な『診察料』をふんだくっとったらしいですが、あまりに詐欺紛いの輩が多すぎましてな。今じゃ嫁はん側の親族とやらが居座って、来る奴来る奴門前払いしとりますんや」


「そんなら女房の方から僕を頼りたくなる環境を作り出してやればいい」


 その言葉の意味を判じかね、ギンが小首を傾げて見せる。蛇川はコートのポケットに手を突っ込み、体を前後に揺すってくつくつと笑った。


「噂をばらまけ、ギン。さる骨董屋の主人が、医者にも見放された重病患者をも救う手立てを持っているとな。特に女達を狙って吹聴するといい。女の情報網は、僕らの理解を遥かに超えて大きい」

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