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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第二章 激動
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二十九:微動

 蛇川は味噌汁に浮かんだネギを摘むと、器用にそれを小鉢によけた。酒の入った猪口を傾けながら、吾妻が苦笑する。


 場所は赤坂、政界の高官もよく利用する高級料亭だ。

 静かな個室は廊下にぐるりと囲まれており、その向こうには見事な日本庭園が見える。敷き詰められた玉砂利は、降り注ぐ陽光のためにいっそ眩しくすらあった。


 二人は畳に胡座をかき、漆塗りの膳を前に向かい合う。今日の吾妻は髪を縛り、洋装に身を包んでいた。


 部屋には同席者があった。

 吾妻の斜め後ろに控えた短髪の男は、最初、蛇川が部屋に入ってきた時に軽く頭を下げたきり動かないし、話さない。開いているのか閉じているのか分からないほど、細い目をした男だった。


「それで……」


 作業を完遂した蛇川は、味噌汁を一口啜って顔を上げた。吾妻と視線を交わすと、そのままそれを背後の男に向ける。吾妻はひとつ頷いた。


「信の置ける男だ。ギン、ご挨拶差し上げろ」


「へい」


 心得た様子で短く答え、ずり、と男が一歩進む。膝の間に拳ひとつ分の間を空けて正座をし、腿の上に手を置くと、蛇川の目を正面からひたと見据えた。


 吾妻と並んでいるからだろうか、随分と細身に見える。鼠色のスリーピースを着込んだ男は、ぱっと見には洒落込んだ堅気(かたぎ)にも見える。しかし細い目の奥に潜むその眼光と、左眼を突っ切って走る一本の大きな刀傷が、男を明らかな極道者たらしめていた。

 その傷を隠すためか、あるいは独特のこだわりがあるのか、前髪は左に向かって斜めに伸びている。男は指で前髪を払い、にこりと笑った。


満ツ前(みつまえ)銀次……鴛鴦組、若頭補佐をやらしてもろうとります。蛇の旦那、と呼ばせてもらいますが、あんたのお話は若頭からよう聞いとります。ま、銀次なりギンなり、呼びやすいように呼んだってください」


 強い訛りの関西弁でそう名乗ると、ギンは笑顔のまま頭を下げた。


「蛇川だ。……なんとも、狐のような男だな」


「ははは! 旦那、そら『ゴン』ですわ。噂通り、面白いお人や」


「いつかお前さんに引き合わせようと思っていたんだ。それなりに頭がいいし、何より強い人脈を持っている。今後、役に立つこともあるだろう」


「よろしゅう頼みます」


 蛇川が軽く頷くと、ギンはもう一度頭を下げた。


「それで、例の件だが」


「ああ、面白いことが分かった。ギン」


「へい、では憚りながら。殺された男――春川と浮浪者はどちらも酷く傷つけられとったんですが、ある筋からの情報によると、どうにも様子が違うんですわ。一方はどの傷からも激しく出血しとるのに対し、もう一方はほとんど血ィが見られへんかった……どういうことか、分からはりますか」


「死んでからわざと傷をつけられたということだろう。拷問する必要がなかったか、あるいは想定しない殺しだったか。いずれにせよ、どちらが本命の殺しかを悟られんための偽装だな」


「さすがです。血ィがぎょうさん出とったんは、春川いう若い新聞記者のほうです。浮浪者のほうは巻き添えでも食らったんとちゃうかと言われとります」


 遠くのほうで足音が聞こえ、男達は一様に押し黙った。軽やかな足音は急ぎ足で進み、障子の開く音の後にぴたりと止んだ。

 仕切り直すように、蛇川が言葉をかける。


「春川が殺された理由は?」


「逮捕された下田いう男、ちんけなヤクザ者なんですが、こいつは婦女暴行・監禁の常習犯でして。こういう場合、女は報復を恐れて泣き寝入りするのが大概やけど、そのうちの一人に春川の奴が近付きましてな。何ヶ月にも渡って親身に話を聞いてやった結果、情が移ったんか安心したんか、ぽろりと下田の名前を出しましたんや。

 それで警察にしょっ引かれましたんやけど、逃げ足だけは大した奴で、隙をついて逃げ出しましてな。警察連中が血眼になって探している合間に、これですわ」


「ヤクザの報復というわけか」


「そうです。よほど興奮しとったんか、下田は二人をバラした後、凶器の包丁を片手に持ったまま、意識を朦朧とさせてふらついとったらしいです」


「…………妙だな」


 蛇川の呟きに、ギンが右目を薄く開ける。拳を口元に押し当て、しばらくの間思考に耽っていた蛇川だったが、ぱっと顔を上げると吾妻を見た。


「吾妻。どうしても憎い相手に報復したい時、あんたならどうする」


「そうさね……まずは魔羅(まら)を潰すかな」


 げえ、とギンが呻き声を上げる。


「面の皮は?」


 その問い掛けに、吾妻の顔が引き締まる。質問の真意を悟ったものらしい。顎を撫でると、鋭い眼光を蛇川に向けた。


「……いや、剥ぎはしない」


「なぜだ?」


「極道者ってえのは、てめぇの命に代えても義理と面子を守るもんだ。報復するなら徹底的にやるし、二度と舐められないよう『成果』を披露もする。顔を潰して仏の身元を隠したんじゃあ、誰がやったか分からねえだろう」


 吾妻の言葉に、一呼吸遅れてギンもそれと察したらしい。はっと息を呑むと、にわかに背筋を緊張させた。


「ほな……真犯人は別にいるってぇわけですか」


「あくまで仮説だがね。下田が半端なヤクザ者で、己の面子よりも鬱憤晴らしを優先しただけという可能性もある。だが、この事件には引っかかることが多い。殺される三週間前から春川が姿を消していたということも気になる」


「何か、新しい事件を追っていたのかもな」


 猪口を取り上げた吾妻に、ギンが膝行してにじり寄る。注がれる澄んだ酒を見ながら、吾妻が言葉を繋いだ。


「ギン、頼めるか」


「お任せください、若頭」


 狐のような男は、傷の入った顔でにやりと笑った。

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