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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第一章 がらん堂と、その近辺
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二:童喰らう鬼




 インバネスコートに身を包んだ蛇川(へびかわ)が足早に歩いてくる。


 細く長い脚を蹴りだすように歩くのがこの男の特徴で、それがまた異様に速い。

 見てくれにだけは恵まれているから、近所の女学生らの間では、週の内に彼に何度追い抜かされたかを競いあう者も少なくなかった。


 己が女学生らの喧嘩の種になっていることなどに露ほどの興味もない蛇川は、彼の骨董屋兼自宅が入居している雑居ビル、通称・廃ビルの前で足を止めた。


 一階店舗の入り口横に、二階より上へと続く階段があるのだが、その階段脇に嵌められたタイルの向きが一枚だけ逆転している。馴染みの情報屋からの合図であった。


 タイルは正方形で、間隔を空けつつ数枚が横一列に並べられている。

 そのうちの一枚の隅のほうに、製造過程でなんぞ混ざり物でもあったか、赤黒いくすみがある。それが上寄りに配置されている場合は『収穫有リ』。さらに、それが今あるように左寄りだと『良シ』となる。


 合図があろうがなかろうが、昼時には落ち合い場所である定食屋に向かうのが日課であったし、得た情報の良し悪しは己が決める。

 要するに「無駄なことをするな」というのが蛇川の言い分で、面と向かって本人に伝えたことも何度かあるが、情報屋は毎度律儀に合図を残す。存外まめな男であった。



 蛇川がその定食屋『いわた』の扉を開けると、定位置のカウンター席に長身の男が座っていた。

 蛇川の姿を見つけると、煙草を挟んだ指をちらと振ってから火をもみ消す。その界隈において、蛇川の嫌煙ぶりは有名な話だ。


 グラスから氷をつまみ出し、吸殻に押しつけている男に大股で近づくと、蛇川は鼻に皺を寄せた。


「臭い! 何本吸った、吾妻(あがつま)


「まあ、そう怒んないでよ。蛇川ちゃんがのんびりしてるから本数が増えるんじゃない。せっかく合図残してるのにサ」


 ()は歪に溶けた氷を指で弾き、目を細めた。


 情報屋――吾妻は、優れた体格の大男だ。

 背が高いため細身に見えるが、着物の裾から見える手足には、鍛え上げられた強靭な筋肉が盛り上がっている。


 だが、開いた口から飛び出してくるのは紛うことなき女言葉だ。


 はじめ、その異様さは蛇川をして面食らわせたが、やがて慣れた。

 毎度のことにいちいち驚くという無駄を省けるならば、そのための努力は惜しまない。蛇川はそういう男だった。


「それで。何が分かった」


 必要最低限の言葉だけで話を進める蛇川に、しかし吾妻は慣れたもので、臆することもなく飄然と答える。


「小澤製粉は現社長、小澤正人がたった一代で大きくした会社よ。はじめは小麦だけを取り扱っていたんだけど、最近では蕎麦粉にまで手を拡げている。事業は順調ね」


 小澤正人。先日、がらん堂を訪れた依頼人(クライアント)だ。

 命を狙われている、と青褪めた顔で告げたその男を、蛇川は一切信用していない。それはなにも、小澤に限ったことではなかったが。


 カウンターに肘をつき、もう一方の手で紙片を持った吾妻が顔を顰める。


「ただ、急成長なだけあって、きな臭い話も少なくなかったわね。何人もの従業員がゴミ屑のように棄てられたとか、商売敵を半ば脅迫にも似た形で追い詰めたとか……あれだけのことをしたなら、恨みのひとつやふたつ買っていても不思議じゃないわァ。今回の依頼人(クライアント)、腹の出た狸だって聞いてたけど、けっこうなやり手よ」


「会社を強くする力があろうがなかろうが、腹が醜く出ていることに変わりはない」


 指でカウンターをコツコツと叩きながら「それで」と急かす蛇川に、肩をすくめながら吾妻が続ける。


「小澤正人は、自分の代になって会社の経営が落ち着きだしたころに、一度結婚しているわ。ただし、結婚生活は八年足らずで破綻している」


石女(うまずめ)だったか」


 蛇川の言葉に、着物にエプロン姿の女給がじろりとこちらを睨んだが、蛇川は気にする風もない。


「ううン、二人の間には三人の子どもがいたわ……まあ、男児を授からなかった、という意味では外れちゃあいないんだけど」


「自分の力で財なり会社なりを築き上げた者は、時に、後継者に対して尋常でない執着を見せることがある。離縁理由として、なくはないな」


「それが、今回はそうじゃないのよ」


 蛇川は片眉を上げて吾妻を見る。

 吾妻は先程こちらを睨んできた女給をつかまえ「お紅茶のお代わりちょうだい。檸檬(レモン)はいらないわ」と注文してから続けた。


「原因は奥さんの従兄弟……当時まだ二十歳(はたち)過ぎの、なんの取り柄もない若僧だったんだけど、これが突然小澤製粉の役員に登用されてサ」


「縁故採用か。嫌われるな」


「ね。ただ、引っ張ってきたのは小澤正人その人だから、誰も表立って文句は言えなかったけど。嫌がらせは相当あったみたいね……中年男の嫉妬ほど怖くて醜いものはないわァ」


 吾妻がわざとらしくため息をつく。カウンターを叩く蛇川の指が、拳に変わった。


「ちょっと待て。小澤正人がわざわざその従兄弟に声をかけたってのか? 多少縁があるだけの無能の男に? おかしな話だ。あんたがくれた情報から推察できる小澤正人の人物像と、その行動は一致しない」


「そう、あたしもそこが引っかかったの。ただ、鬼の目にも涙というか……例の従兄弟には自分の境遇を重ねてしまったのね。その子はね、必死に働いて働いて学費を貯めて、なんとか大学に進学したの。だけど、一年と保たず退学になっちゃった。労働と学業の両立ができなかったのよ、若かりし頃の小澤正人と同じように」


 変わらずカウンターを打ち続けながら、もう一方の拳を口元に押しつける。考えこむ時の、蛇川の癖だった。


「まあいい。それで、その無能の従兄弟が何をしでかしたんだ。おおかた、会社の金に手をつけでもしたか」


「正解! さすが蛇川ちゃん、下衆の思考を読むにかけてはピカイチね!」


「莫迦ッ! 僕はただ、得られた情報を元に憶測する能力が極めて優れているだけだ。下衆と一緒にするなッ!」


 ごつん! と拳をカウンターに叩きつけると、蛇川は頭をがしがしと掻きむしった。吾妻は垂れた目を細めて、怒り狂う相棒を見つめた。


「まあ、それが理由で奥さんと別れざるを得なくなったってわけ。小澤正人は早々に若い女を後妻に据えて、今度こそ男児を授かった」


 別れた女房はどうした、と蛇川が問うと、吾妻の口が閉ざされ……一寸の間を置いて開かれた。


「身ひとつで放り出されて、そのまま郷里の青森へと送り返された――らしいわ」


 いつになく歯切れの悪いその言葉尻に、蛇川は眉を(ひそ)め、吾妻の顔を覗きこんだ。


 嫌煙者と愛煙者という相性の悪さは別として、蛇川は情報屋としての吾妻の腕には信頼を置いている。『情報屋・吾妻』として得た独自の情報源、そして彼が持つもう一つの顔(・・・・・・)の効力は、蛇川が望んでも持ち得ぬものであった。


 吾妻は几帳面で、実直な男だ。

 苦労して得た情報であっても、それが不確かであるうちは口にしない。

 その彼が「らしい」などとあやふやに言葉を濁すのは、蛇川が知る限り初めてだった。


「……分からなかったの。恥ずかしいけど、お手上げよ。わざわざ青森に人を()らせて探ったのに、まるで収穫はなかったわ。実家の人間は知らないの一点張りだし、あの辺りは、なんていうのかしら……土地柄、近所同士の関わりが濃密じゃない? だからでしょうね、いくら報酬を匂わせても、誰も口を割らなかったんだって」


 言うなり、吾妻はわっと声を上げてカウンターに突っ伏すと「やっぱりタイルの染み、右上(『()シ』)にしておくべきだったわ!」と叫んだ。


 そのうなじに沿わせるように、蛇川が残りの氷を放りこんだ。

 途端、ぎゃっとひしゃげた悲鳴を上げて吾妻が身を起こす。


「やだッ、冷たい!」


「言ったろう、吾妻。あんたが寄越す情報の良シ悪シは僕が決める……染みの位置は左上で正解だ」


 背中のほうに入りこんだ氷を取ろうと身を捻りながら、吾妻が怪訝そうに首を傾げる。立ち上がり、帯を揺すったり尻を振ったりしているうちに、コツリと小さな音を立てて、氷が床へと落ちた。


「ああ、取れた。もう……相変わらず手癖が悪いんだから」


「臭いものを隠したい時、あんたならどうする?」


 抗議の声には取り合わず、淡々と問いかける蛇川に、吾妻の首が再度傾いた。


「なァにそれ、なぞなぞ?」


「ただの質問だ。あんたならどうするね」


「先人も言ってるじゃない」


 吾妻はカウンター隅にあったお品書きを取ると、灰皿の上に被せた。


「臭いものに蓋をする、って」


「その程度の知恵なら犬猫にでもある。もう少し賢いやつならば……こうする」


 言うが早いか蛇川が手を伸ばし、カウンターテーブルに置いてあった納豆を掴んだ。それを、お品書きで蓋をされた灰皿の横へと据える。


 置いてあった、といっても当然無意味に置かれていたわけではなく、その納豆は吾妻の反対隣の中年男が頼んだものだ。

 突然、伸びてきた革手袋に御菜(おかず)を奪われた中年男は「ああ……」と情けない声を出したが、蛇川の威圧的な背中を前に何も反論できなかった。


 吾妻は灰皿と納豆を交互に見、次いで蛇川へと視線を戻した。やにわに真剣みを帯びたその表情には、どこか凄味があった。


「別の臭いもので、においの元を誤魔化そうってわけ」


「一時しのぎであることに変わりはないがね」


「……従兄弟の横領は、奥さんを体良く追い出すための目くらましってわけね」


「そういうことだ! 吾妻ッ! このままでは小澤製粉からまた新たな(・・・・・)死者が出るぞ!」


 物騒な物言いに、女給と客が揃って肩を跳ねさせる。

 カウンターの奥で新聞を読んでいた亭主が、のっそりと顔を上げた。


 店中の視線を集めた蛇川は、「わはははは!」と滑舌よく笑いながら、勢いよく納豆をかき混ぜた。





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