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【旧版】骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第一章 がらん堂と、その近辺
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一二:廃墟ホテル




 等間隔で電気灯が設置されていた廊下とは打って変わって、扉の先の部屋は薄暗かった。


 蛇川(へびかわ)は目を閉じると片手で両目を覆い――やがてゆっくりと開けた。

 いくらかは闇に慣れた目でもって、申し訳程度の明かりを辿り、さらに奥へと進んでいく。そのあとに夏見も続いた。


「寒い……」


 歯の根を鳴らしながら夏見が言う。


 確かに寒い。

 ただしそれが、必ずしも気温の問題だけでないことは明白だった。


 床には、壊れた家具やら食器やらが散乱している。一歩踏み出すたびに埃が舞う。


 これが豪勢なホテルの真の姿であろう。


 割れた食器や硝子の欠片を端へと蹴り寄せながら、蛇川は足を進めた。


 しばらくも行かないうちに、向かう先に大きな影が姿を現した。錆びついた、円筒型の装置だ。同じようなものが四つ並んでいる。

 そのひとつ々々は非常に大きく、仮に蛇川と夏見が手を繋いだとしても、とても抱え切れる大きさではない。


「なんだ、これ」


 辺りに視線を配りながら、不安げに夏見が呟く。

 低く轟くような機械の稼動音が、腹の底まで響いてくる。


「貯水槽だな」


 蛇川はゆるく握った拳を、体の横に垂らしている。貯水槽? と繰り返す夏見には視線もくれず、目の前の円筒を睨み据えたまま頷いた。


「上水道用のタンクらしい。片田舎と侮っていたが、どうしてなかなか、水利設備も整っている」


 だが、と蛇川はタンク下に視線をやりながら続けた。


 視線の先には花束の残骸があった。

 枯れ果てたそれは、まるで蹴られ、踏まれでもしたかのように、無残に花びらを散らしている。


「好奇心旺盛な子どもにとっては、いい遊び場に映ったんだろう」


 はっと夏見が息をのむ。


 よく見れば、その花束は、元々は死者に手向けられたはずのものと思われた。禍々しい鬼の咆哮の中に聞こえた、子供の声。


「下田、悠人……」


 思わず呟いた途端、ひときわ大きく機械音が鳴ったかと思うと、それきり止んだ。


 痛いほどの静寂が辺りを包む。


 蛇川は低く腰を落として周囲を警戒していたが、何もないと分かるとわずかに力を抜いた。

 低く、押し殺したような唸り声をあげる。


「……二度と、軽率にその名を呼ぶな。鬼と気安く目を合わせるのもいかんが、考えもなしにその名を呼ぶのはもっといかん。下手な者なら、たちまちのうちに取り憑かれる。次やったらもう一度ぶつぞ」


 夏見はひどく恥じ入り、押し黙った。


 実力は、備えているはずだった。


 それ相応の修行も積んできたし、誰よりも努力した。

 寝る間も惜しんで研鑽に励んできた。鬼を憎む心が、夏見から睡眠という安らぎを奪っていた。辛さを押し隠すため、笑顔の仮面も身につけた。


 昼も夜もなく己を鍛え上げてきたはずだった。

 確かな名声と自信を得て、それを手土産に帝都東京へと上がり、さらに活躍の場を広げるつもりだった。


 それがどうだ。


 骨董屋を名乗るこの細身の男に、夏見はすっかり圧倒されている。


 無知な子どものように我儘を言い、禁忌を犯してはどじを踏み、すでに何度も救われている。


 蛇川の前にあっては、己がひどく矮小な小者に思えた。


 俯き、泣き出しそうな顔で己を責める夏見の耳に、カリカリ、カリカリ……と耳障りな音が届いてきた。


 はっと顔を上げると、前に立つ蛇川の体が、極度の緊張感に膨らんでいた。


「反省会は大事だがね、夏見くん……そいつは無事、ここを出てからにしたまえ」


 カリカリ、ギリギリという音が、次第に大きくなっていく。


 それが、貯水槽の内部を引っ掻く爪の音であると気付いた瞬間、己の意思とは関係なく夏見の喉が震えた。


 両手で口を押さえ、なんとか悲鳴を殺す。


 屠殺される瞬間の家畜のような声が、押さえた指の隙間から漏れる。


「なぜそれほどに苦しみ続ける? 暗く、冷たい水の中で、なす術もなく死んだことが恨めしかったか? ……違うだろう。あんたを鬼にしたのは、別の何かだ」


 爪の音は、もはや部屋中に響き渡る大音となっている。


 臓腑を恐怖と嫌悪で締め上げるようなその音に、しかし蛇川は動じない。


「見せてくれ。あんたの無念を」


 言い切ると同時に、蛇川の両手から何かが飛んだ。


 球形のそれは、小さな炸裂弾であったらしい。タンクの下にぶち当たると、激しい音を立てて割れた。


 その音に誘われるようにして、貯水槽が破裂する。

 中から黒々とした水が溢れ出し、ふたりの頬に飛沫を上げながら流れていく。夏見は思わず袂で顔をかばった。


 蛇川は飛んでくる飛沫に片目をわずかに瞑ったぎり、その他は一切動かずに前だけを見ていた。


 見つめる先に、何か小さな塊がある。


「ああ……」


 その正体に気付いた時、夏見の口から悲痛な声が漏れ出した。


 その塊は子どもだった。


 顔や手足が青黒く浮腫んでいるが、目立った外傷は見られない。ただ、両の手の指先からは、おびただしい血が流れ出ていた。


 爪の剥がれたその手が、何かを握りしめている。


 夏見に悲嘆の声を上げさせたもの。

 それは、半ば白骨化し、残った肉も崩れきった――大人の女の死体であった。





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