中編
駆ける。
駆ける。
駆ける。
そうして、半刻ほども駆けた頃だろうか。
徐々にスピードを落とした魔物は、ある地点で止まった。
くわえられて走られたことにより酔った女の子は、降ろされた当初は反応が薄かったが、復活するとキョロキョロと辺りを見回した。
「ここは…?」
「初めまして」
「え…?」
身近な所から声が聞こえてきた。
そちらを振り向くと、黒髪を高めの位置で一括りにした女性が、膝を折って女の子に笑顔を向けていた。
「あ……。おねえさん、だれ?」
「私? …そうね、私は××」
女性の言った名前に馴染みが無いようで、女の子はきょとんと首を傾げた。
それに淡く笑って、女性は付け足した。
「私がいた村の言葉で、神様につかえる人たちの事よ。君には、少し難しいかもしれないけれど…」
成長すれば直に分かるようになるよ、と女の子の頭を撫でた女性は、ふと女の子の背後を見た。
「どうしたの? おねえさん」
「…いえ、何もないわ。──急にで悪いのだけれど、あなたの弟を少し預けてくれない? …今ならまだ間に合うから」
「え……」
「といっても、初めて出会った不審人物を信用しろって方が難しいんだけれども」
どうしたものかと困った表情で呟く女性を見た女の子は、抱いていた弟を若干持ち上げた。
「あのね…っ! 泰呀が冷たいの。いつもはもっとほかほかなのに…」
必死に弟は大丈夫かと訊ねてくる女の子の目には、涙が浮かんでいる。
「今はまだだけれど、きっとすぐに大丈夫になるわ。一緒に行って、歯車を戻してもらいましょうか」
「はぐるま…?」
「その子はね、元々ここで死ぬはずじゃ無かったの。けれども、私のせいで少しずつ皆の歯車が狂ってしまった。この子は、私が狂わせた歯車の影響を多く受けた人の一人なのよ。死んでしまった者たちはどうしようもないけれど、その被害を必要最小限に収める…──それが、私に科せられた使命なの」
◇◆◆◆
「隊長! №21との連絡も途絶えました!!」
「場所捕捉が途切れた位置から推測するに、標的はこちらに向かってきているものと思われますッ…!」
「標的が通った後の村の状況は!?」
「不明です!」
「このままの速度では、およそ一カ月と経たずに中央部に着くものだと思われます」
「標的だって生き物だ、睡眠くらいはいくらなんでもとるだろう!?」
「それを鑑みて希望的憶測で一カ月です! 早ければ二週間以内にでも……っ」
組織内に響き渡る声はどれも、悲鳴に近かった。
──正体不明。被害状況不明。原因や現在地も予測不可能。
組織内からは「標的」ではなく「化け物」や「アンノウン」にしようとの案もでているが、それでは余計に恐怖を煽るということで、却下されている有り様だった。
「このままでは、この大陸中の人が……」
「滅多なことを言うな!」
上司から叱咤が飛び、軽率な発言をした部下は、ハッと口許を押さえた。
「すいませんでした!」
──だけれども。
その部下の呟きが、この状況を雄弁に物語っているのだった。
◇◆◆◆
「ある方から、弟さんにはこれを飲ませてあげるようにって」
「これは…?」
「さぁ? 私は、詳しいことは知らされてないの。…けど、栄養があるのは確かだから心配しないで」
変わった形の瓶に入れられた白い液体。
問うた女の子に、先ほどの女性は肩をすくめた。毒ではない事は確かだけど、何が入っているかは分からないのだと答える。
「まだ乳呑み児なのね」
「うん」
たわいもない話をしつつ、弟へとそそれの液体を飲ませる。
そうすること十数分、漸く全てを飲み終えた弟は、お腹がいっぱいになったようで、ゲップをするとすぐにスヤスヤと寝始めた。
そこで一息吐く。弟が元気で安心した。
女性は、眠る弟をじっと見つめる女の子の頭を微笑ましげに撫でた。
それから、徐に天を見仰ぐと、やがて立ち上がった。
「おねえさん……?」
「──元気でね、あなたもあなたの弟も。…私は行かなくてはならないから、もう行くけれど」
「え……?」
「ごめんなさいね。詳しいことは教えられないのだけれど…私は、あの人を止めるために猶予を与えられているに過ぎないの。止められなければそれまでだし、止められる保証もない。けれど、止めなければ被害が増えるから……」
元はといえば私のせいだから、償いはしないといけないの。
これが罪滅ぼしになるのかは分からないけれど、せめて。
「もう会うことはないだろうけど──元気でね」
目を瞑って、と言われるままにぎゅっと目を閉じる。
もう一度頭を撫でられた感覚がした後、耳許で、ヒュッと風を切り裂く鋭い音がした。
「おねえさ…?」
開けても良いとは言われなかったけれど、今まで女性がいた所から人の気配が消えたのを察して、女の子はそぅっと片目を開いた。
すると、目の前にはおろか、辺りを見回してみてもさっきの女性の姿はない。
それどころか、一軒家の外に出てみても、人の姿は見つけられなかった。