第七話 初クエスト
夢は見なかった。
夢の中だったら当然なのかもしれないし、もしかしたら見ていたが記憶に残っていないのかもしれない。
目が覚めたら、何時もの自分の部屋だった。
と言う事は無く、首にチクチクする藁の感触や馬が唇を鳴らしている音などが耳に入って来ると自分の状況も分かってくる。
当然着替えなど衣服はもちろん、下着類の替えも無い。
翔英は大きく伸びをすると、体の節々が痛み、服についた藁が落ちていく。
「よう、随分と気持ちよさそうに寝てたじゃないか。藁の感触が気に入ったか?」
腰に下げたままだった赤い眼の剣が、翔英に皮肉を言う。
「だが、寝床は確保出来たとしても、食い物に関しては自分で稼ぐしかないぞ」
一眠りして少し冷静になったので、昨日の事をもう一度じっくり考える。
異世界に召喚された、と言う事を事実として受け入れるのはかなりハードルが高いとはいえ、こうなってしまっては信じて受け入れるしかない。
呼ばれた世界は、いわゆる魔王が世界を牛耳っているのでそれを打ち倒す勇者として呼ばれた、と言うわけではなく、ハンティングゲームの一プレイヤーとして召喚されたといった感じだ。
世界を救えというとてつもない重責を背負わされてはいないが、どうすれば終わりになるか、元の世界に戻れるようになるかと言うヒントは無い。
ある意味ここをハンティングゲームっぽくしているギルドのギルドマスターは、翔英と同じく『召喚人』らしいので、その人物がルールを敷いている感じもする。
今のところ協力者と言えるのは、口と口調はあまりよろしくない赤い眼の長剣のみ。
ただ、この長剣が言うには、ここから元の世界に戻った人物もいると言う。
それより多く、ここで命を落とした人物もいると言う。
宿泊だけで百と言う金がかかり、これから食事などでも金がかかるとなると、今日にも新たな稼ぎで金銭を得ないと馬小屋ですら生活出来ないと言う事になる。
うんざりするが、仕方が無い。
ギルドマスターがハンティングゲームをヒントにクエストを用意してくれていれば、素材集めや運搬クエストがあるかも知れない。
もし万が一戦闘になった場合、翔英には打つ手なしではあるが、赤い眼の剣は翔英の体を使って戦闘出来るので、どうにかなるはずだ。
問題があるとすれば、そこで魔物を倒してもその魔物ではクエスト報酬以上の金にならないと言う事である。
死体から部位を摘出して換金すると言うのがこの世界のスタイルのようだが、これは素人にはかなり厳しい精神を擦り切られる作業だと、昨日嫌と言うほど思い知らされた。
一人で考えていても仕方が無いし、何より空腹だった。
昨日この世界で目が覚めてから、何も食べていない。
昨日は疲労感の方が強かったのだが、今日は落ち着いたせいかかなり強い空腹を覚えている。
赤い眼の剣は念を押すようにあんな事を言っていたが、この剣の興味は戦闘に傾いているので、戦闘以外の事にも知識はあるが、興味が無いと言う困ったところがある。
「おはようございます」
エルフのイケメンが馬の世話の為に馬小屋にやって来たらしく、翔英を見て挨拶する。
「おはようございます」
翔英も挨拶を返す。
「あまり人が寝泊りするところでは無いでしょう?」
エルフのイケメンが苦笑いしながら言ってくるが、「そうですね」と答えるわけにもいかず、翔英も笑って誤魔化した。
「とても申し上げにくいのですが、次は部屋に泊まって下さいね」
「はい、そうさせてもらいます」
出来れば顔を洗って歯を磨いて朝食を摂りたいと思っていたのだが、いくらなんでも言えるワガママと言えないワガママがある。
そんな訳で、今日の行動の目標が出来た。
今日の行動は、お金を稼ぐ。目標金額は百以上。いや、百だと宿泊費で全て消えてしまい、やはり何も食べる事もできなくなってしまうので、二百以上。
首周りを触ってみると、昨日天使か女神かと思えるような巨乳の少女から巻いてもらったギルド登録証がある。
これで、ギルドで仕事を受ける事ができ、つまりお金を稼ぐ事が出来ると言うことだ。
換金アイテムとかを集める類の素材収集クエストであれば、おそらく稼げるのでは無いかと思うのだが、この世界の通貨価値がよくわからないのでなんとも言えない。
一口に百と言われても百ドルと百円と百ペソではまったく違う。
一泊で百と言う事は、ドルくらいの価値があるかもしれない。
一日で目標金額二百と言う事は、日当で二万円くらいの仕事と言う事になってしまうので、そうなるとかなり難しいと言う事だ。
ドルくらいじゃ無い事を祈るしかない。
空腹ではあるが、何か食べるお金も無いので、仕方なくギルドへ行く事にする。
とにかく何かクエストを終わらせて食費を稼がないといけない。
少なくともここに来て翔英が口にしたのは、水が一杯だけで食べ物は何も食べていない。それどころか、ここへ来ていきなり嘔吐しているので、スタート時点よりマイナスになっているのでかなりの空腹である。
が、その問題は今すぐ解決する事は出来ない。
いざとなれば盗みと言う手段も無い訳ではないかもしれないが、ここが日本で無いのであれば、どんな刑法が待っているかわからない。
国によって盗みは重罪で腕を切り落とされると言われるので、ここで下手な事は出来ない。
殺した魔物の心臓を換金の為に摘出するような世界観なので、盗みの刑法で腕を切断される事もあるかも知れないのだ。
翔英は空きっ腹を抱えて、ギルドへ行く。
少なくともギルドに行けば、あの天使が待っている。そう考えれば、ちょっとくらいの空腹だったら我慢出来る。
「いらっちゃいましぇ」
と、舌っ足らずに言って来たのは、昨日の羽の生えた巨乳少女ではなく、カウンターから頭だけ出したチビッ子だった。
服装や背中の羽根は昨日の少女と同じだが、ふわふわのピンク髪でどう見ても別人である。
「ちょーかんじんの方れしゅかぁ」
聞き取りにくいが、召喚人かどうかを確かめているようだ。
「あちゃらちいクエストが入ってましゅ」
わざとかと疑いたくなる話し方ではあるが、幼すぎる外見から考えると似合っている。
幼女が頑張ってカウンターに用紙を一枚置くと、そこにクエストが書かれているのが分かった。
宿の看板と比べると、格段に読みやすい。
小型の魔物退治、中型の魔物退治、小型魔物の複数退治と言うのが書かれている。
単純な報酬額で言えば、中型魔物退治と言うのが一番高い。次が小型魔物の複数退治、最も安いのが小型魔物退治と言うところを見ると、リスクも同等だと言う事も予想が付く。
残念ながらこのクエスト表の中には、素材収集クエストは載っていない。
なので、迷わず小型魔物退治を選ぼうとしたのだが、翔英としては強い抵抗のあるクエストでもあった。
ターゲットの名前が『トクダイオオイナゴモドキ』と言うモノだった。
そんな『トクダイ』と『オオ』と言う二重表現が必要な生き物の名前などまったく聞き覚えも無いが、イナゴモドキと言う名前から考えるとあの蝗だと思える。
しかも二重表現から考えると、物凄く大きな蝗の様な生き物と言う事になりそうだった。
そんなモノは見たいとも思わない。
次に気になったのは小型魔物の複数退治で、内容は裏山でオーク退治と言う事だった。
オークと言うのが昨日襲ってきた醜い人型で、赤い眼の剣の能力の前には何体現れても敵ではない。
安全に稼げそうなクエストであるが、退治したオークの数を証明する為にオークの心臓を摘出しなければならない。昨日は出来なかったので練習にはなるかもしれないが、多分今日も出来そうにないと思われる。
残ったのは中型魔物退治と言う事になるが、『ティガー』と言う魔物の報酬が一桁違うのも気になる。
この金額であれば宿泊費はもちろん、食事に困る事も無いだろうし、初期装備を揃えるくらいの買い物なら出来そうだ。
しかし何より『ティガー』と言う響きが怖い。
翔英のイメージで言えば、物凄い勢いで突進してくる特大のトカゲのような化物だが、あれは翔英の常識の範囲で言えば中型ではない。
しかし、ギルドやらこのクエスト制やらを考えたと思われるギルドマスターが『ティガー』と名付けたと言う事を考えると、怖くて仕方がない。
もし『アレ』でなくても、戦車とかもそう言う響きだった気がする。
とにかく、危険な響きである。
「一番高いヤツを受けるのだろう?」
赤い眼の剣はやる気満々だ。
一体で良いと言うのを考えると、それも良いかもしれないが、まったく情報がない状態でそんな危険は冒せない。
ここでやられると言う事はキャンプ地点に戻されるとか、強制リタイヤとかではない。
また裏山に行くのはあまり気が進まないとはいえ、ここは確実に稼ぐ方が良い。
「ここはイナゴ狩りの方が良くないですか?」
「何を言っているのだ? ティガー程度は別に問題にならないぞ」
赤い眼の剣が簡単に言う。
何の情報も無い事が問題だったのだが、その情報を赤い眼の剣が持っていて、しかも戦って倒していると言うのなら、確かに恐れなくて良いかもしれない。
何しろ戦うのは赤い眼の剣であり、確かに体は翔英のモノではあるが、別に翔英が戦う訳ではない。
ティガーは街道に現れるらしいので、場所も山じゃないし、虫はあまり出そうにない。
イケそうな気はする。
けっこう怖いが、それでもイナゴモドキよりはマシだし、オーク狩りよりも少ない手間で多く稼げると思われる。
「途中でリタイヤとかは出来るモノですか?」
「はい、出来ましゅ。れも、ぺなるちーがありましゅのれ、そこは気をちゅけてくらしゃい」
「ペナルティー?」
「はい。信用を回復さしぇるまれ、報酬金がちょっとへりましゅ」
割と厳しいペナルティーである。
どれくらい減額されるかにもよるが、その信用回復をしない限り、妙に優遇されているギルド特典も受けられなくなる恐れもある。
場合によっては馬小屋に泊まる事も出来なくなるかもしれない。
とすると、やっぱり無理せずにイナゴ狩りの方が良いのではないか、と考えてしまう。
しかし、ティガー退治の報酬は美味しい。
オーク狩りで同じだけ稼ごうとすると、クエスト報酬の上にオークの心臓をかなり多数持ち帰る必要がありそうだと予測される。
それはそれで気持ち悪い。
「じゃ、ティガー退治をやってみます」
「え? ちがー、物凄くちゅよいれしゅよ? 貴方れしょう? 昨日行き倒れてたちょーかんじんって」
あの巨乳少女の情報かも知れないが、凄い言われようである。
その通りと言えばその通りなので、文句も言えないし訂正も出来ない。
「お金が無いのはわかりましゅけど、危ないれしゅよ?」
それはクエストの報酬金額を見ればわかる。
翔英だって楽がしたいのでそんな危険な魔物に挑みたいとは思わないのだが、赤い眼の剣はティガーを知っているみたいだし、相手にならないと言うくらいやる気満々である。
勝算が全くない訳ではないみたいなので、翔英はティガー退治を引き受ける事にした。
「はい、わたりまちた。街から離れ過ぎないように、気をちゅけて下しゃい」