第三話 無茶ぶり
「あ、あの、例えばさっきの戦闘みたいに、僕の体をそっちで操ってもらうとかは無しですか? て、手本とか見せてもらいたいんですけど」
「面白く無いからな。それに、今後は何度も行う事だ。最初は失敗しても問題無いだろう。何事も慣れだ」
赤い眼の剣は、実に慣れた対応である。
さすがに何人も召喚した人間と行動してきた事はある。
これまでに何人もの人間が、同じことを言って来たのだとは思うが、赤い眼の剣にとっていつもの事であっても、翔英は初めての事だ。
「俺が知る限りの情報を与えておくが、この犬とヒトガタ、前の奴はオークとか言っていたが、この心臓を換金すれば、少なくとも今日の寝床と飯、ついでに言えば簡単な装備くらい整える金になる。それが出来ない限り、お前は飯も食えないだろうし、この山の中で野宿って事になるだろう。そうすりゃまたこんな奴らに襲われるかもしれないし、換金も出来ない毒虫や毒蜘蛛にやられるかも知れない。もちろん、それ以上のリスクだってあるだろうな。さあ、どうする?」
もちろん嫌だ。
と言うより、不可能だ。
確かに翔英のやっていたゲームの中では、入手確率の低いレアアイテムの中にはそう言ったモノが含まれている事はあったが、それはあくまでもキャラクターがやっていた事であり、プレイヤーが実際に行っている訳ではない。
それに赤い目の剣はそれなりの長さがあるので、剥ぎ取り用のナイフのようには使いづらい。
とはいえ、野宿と言うのも冗談ではない。
せめて寝袋やテントなどの最低限の装備がない限り、こんな山中の藪の中で野宿など、それは野宿と言うよりただの遭難である。
「なら、目とか耳とか舌にしておくか。それなら簡単に抉り取れるだろうし、切り取れる。サイズも小さいし、ポケットにも入るだろう。贅沢しなければ、今日の寝床も飯もどうにかなると思うぞ」
溜息でもつきそうな雰囲気で、赤い眼の剣が言う。
その部位であれば、心臓の摘出よりどうやればいいかは翔英でも予想はつくが、ハードルが低くなった訳ではない。
むしろ高くなっている
原型を留めない肉片から心臓を取り出すのも十分キツいが、顔と分かるモノから指を突っ込んで目を抉り取る方が気持ち悪い。
どちらにしても、素手でやらないといけない。
「む、無理ですよ、そんな事」
翔英は絶望的な状況で泣きそうになりながら呟く。
おそらく翔英の同級生達の中には料理を趣味にしている者もいただろうし、包丁を使い慣れている者も少なくないだろう。
だが、そんな者達でも調理として魚を下ろしたり、肉を切ったことくらいはあるだろうが、生物、しかも人間大の大きさのものを解体した経験のある者はいないはずだ。
いたら大問題だ。
飛び級に飛び級を重ねて外科手術が出来るようになりました、と言う人物でもない限り、その人物は凶悪犯罪者だと言ってもいい危険人物と言う事になりかねない。
人間大でなく、犬の方でも大差無い危険人物である。
当然翔英はそんな経験は無い。
ハンティングゲームをかなり長時間ハマってプレイしていたとしても、想像もした事が無かった。
もしゲームの世界に入り込んだとしても、狩りをする自分は想像したとしても剥ぎ取り場面をリアルに想像する事など、頭の中をかすりもしなかった。
「ぼ、僕、素材とか興味無いんで」
「それは一向に構わないが、俺は素材を集めろと言っている訳ではなく、生活に金がかかるから、小銭でも稼いでおけと勧めているのだが?」
それは分かるが、出来ないモノは出来ない。
情けないと思うなら変わってくれ、と翔英はこの場には誰もいないのに泣き叫ぼうとしてしまった。
「小銭稼ぎと言うなら、その、何か無いんですか? キノコ的な何かとか」
「知らんよ。俺が知っているのは、魔物の部位の中では心臓が破格に金になると言う事だ。大抵の奴らは最初こそお前の様に抵抗するし苦戦もするが、そのうちに慣れて鼻歌交じりに出来るようになるものだぞ」
それは凄まじい精神力の賜物か、どうしようもなく壊れてしまったかのどちらかであり、健全で繊細な精神の翔英には真似出来ない事である。
「慣れれば首でも心臓でも両方いけるようになるが、こんな小物を細かく解体して小銭稼ぐのは、効率の上でも能率の上でもバカバカしい。慣れる頃にはもっと大物と戦っているから、心臓取り出す事に慣れておけば、後の稼ぎは楽になる。首でも良いんだが、大きいし邪魔になるからな」
赤い眼の剣は日常会話のような感じで、猟奇的な事を言う。
(ハンターってこんな事やってるのか。だから鱗とか爪とか、そういう簡単なところばかり持って帰ろうとするんだろう)
翔英はどうでもいい事を考える。
そうやって考えを別の方向に流さないと、とてもじゃないが耐えられない。
むしろ考えないようにしなければ、発狂しそうだった。
「街までは遠いんですか?」
「そうでもない。夜になる前には着くだろう。俺が案内してやる。だが無一文でどうするつもりなのだ?」
それはその通りなのだが、ここで悩み続けていたとしても「よし、思い切って心臓摘出を行って当座の生活資金に当てよう」と言う風にならない事は分かっている。
と言うより、今すぐこの肉片の散乱する場所から離れたかった。
「それじゃ、案内をよろしくお願いします」
「ああ、分かった。飢えるのも苦しむのも俺ではないのだから、そこはお前の判断を尊重するとしよう」
翔英は赤い眼の剣に誘導されるままに移動を始める。
それにしたって、喋る魔剣があったり魔物がうろつく上に倒した魔物の心臓をえぐり出せと言われるような世界観であれば、こんな藪の中であればアイテムの一つや二つ手に入っても良さそうなモノだと思う。
しかし、おそらく換金できるアイテムはあるのだろうが、翔英にはそれに予測も付けられない。
素人がなんとなく拾ったキノコが実は松茸でした、と言う偶然もあるかもしれないが、素人がそれを店に売ってお金に変える事はほとんど不可能なほど難しい。
それが異世界となれば尚の事だ。
赤い眼の剣を右手に持ち、翔英は剣に誘導されるままに移動していく。
既にヘトヘトなので早く街に行きたくて仕方がないのだが、なかなか山から出られない。
騙されたのか、と不安になってくる。
先ほど嘔吐してからうがいもしていないので、口の中には嫌な味が残っているし、喉もひりつく。空腹は気にならないが、喉の不快感を洗い流したかった。
もしこれが夢オチだったら、今、もうここで目を覚ましても良いのではないかと思う。
行った事は誰にも自慢できない様な不気味な場所で歩かされたと言うような、誰にも誇れる内容では無いが、夢の中の話なので別に構わない。
それどころか今なら現実世界に方が圧倒的にマシだと、ちょっとした充実感さえ持って目覚められるのだから、悪くない。
山を降りるとかではなく、早く帰りたかった。
いつもだったら、家に帰りついたらベッドに横になって、漫画かラノベを読んでいるか、ゲームをしているだろう。もしかしたら、学校の課題をやっていたかも知れない。
こんな不気味な剣を持ち山の中を歩いている事など、絶対に無いと言えた。
帰ったらまずはうがいがしたい。手を洗って、シャワーを浴びて、着替えたい。
「どうした? 歩くペースが遅くなっているぞ。そのペースなら山を降りる前に日が暮れるだろうな。俺は構わないが、少し急いだ方が早く休めるのではないか」
この剣を杖にして歩きたいところだが、物凄く怒られそうなのでやめておく。
舗装されている道でもない藪の中を歩くのは、それだけで意外なほど体力を使う。
それだけで体力に自信の無い翔英にはキツいのだが、ここには魔物が現れる事は先ほど見せつけられたので精神的プレッシャーもある。
普通に歩いているだけのはずなのに息が上がり、改めて吐き気が込み上げてくる。
もしここが少し開けたところだったり、切り株でもあったらそこで一休みしたかったが、残念ながらそう言うモノも無い。
適当にその場で腰を下ろしても良かったが、藪の中に何があるかも何がいるかも分からないので、その恐怖の方が強かった。
とにかく、早く帰りたいと言う一心で足を進める。
だんだん薄暗くなっていくのも分かるので、最悪だと本当にここで野宿する羽目になりそうだった。
何でこんな目に合わないといけないんだ、と思う。
異世界に召喚されたと思ったら、相棒は喋る剣。
相棒に不満があるとは言わないが、山の中で目を覚ましていきなり魔物に襲われ、それを撃退したと思ったら解剖して心臓摘出しろと言われ、その後は山を彷徨っている。
こんなみすぼらしい話は面白くもならないだろう、などとも考える。
ここがゲームな世界だとしたら、せめて最初の初期装備を整えるくらいの所持金を用意してくれてもいいだろうと言いたかった。
もしかすると、先ほどの戦闘がチュートリアルだったのかもしれないが、それで心臓の摘出の体験と言うのはハードルが尋常じゃない。
せめて、最低限でも手袋は欲しかった。素手でやる事では無い。
さらに言えば荷物を入れるモノ。黒いビニール袋とか、真空パックでもあれば臭いも抑えられそうなので有難いのだが、さすがにそれは望めないだろう。
魔法の世界なら持ち物制限の無い背負袋とか、未来のネコ型ロボットのポケットとか有っても良さそうなモノなので、それを手に入れるのも悪くない。
言葉とかは大丈夫なのかな、とも不安になる。
少なくとも赤い眼の剣とは会話が成立しているし、日本語的言い回しも巧みだったので、ここは日本語が通じるところなのだと思う。
夢だと考えれば、別に不思議な事でも無い。
一応英語だったら授業で受けているので夢に見ても不思議ではないが、フランス語やスペイン語などはほとんど聞いたことが無いので、経験や体験が見せているらしい夢の中では出てこないのだろう。
翔英はそんなどうでも良い事を一生懸命に考えながら、疲れた足を動かしていた。
今の翔英を支えているのは、より大きな恐怖だった。
何より翔英は、虫が嫌いだった。
蜘蛛や百足やゴキブリなどが好きと言うのは圧倒的マイノリティーだとは思うが、翔英はカブトムシやクワガタ、テントウムシも好きじゃない。
生理的に受け付けないのだ。
ここには確実にその類の虫が大量にいるだろう。
先ほどの戦闘といい、その後の小遣い稼ぎと言われた心臓摘出のオススメといい、ここが現実世界ではなくゲームみたいな世界だったとしたら、それこそゲームみたいな世界の虫がいてもおかしくない。
冗談じゃない。
人間大の蚊や初心者の冒険者なら食い殺せるイモムシが襲いかかってくると言うのは、悪夢以外の何物でもないどころか、翔英にとっては地獄そのものである。
それを避けるためと思えば、無理やりにでも力を絞り出す事が出来た。
と言っても限界はある。
元々翔英は、頑張り屋とか努力家とは言えない。
ほとんどの場合で楽な方に流されてきたし、マラソンなどの持久走などは嫌いだった。
体育の授業の際、球技などであれば目立たないところで目立たないまま終わる事をよしとしていたので、今のように体力的にも精神的にも限界近くまで追い込まれる事など無かった。
もう全てを投げ出そうかと真剣に考えていた時、山から抜けて視界が開けた。
「日が暮れ始めたな。あそこに街があるのは分かるだろう。あそこまで行けば、ひとまず休めるぞ」
赤い眼の剣に言われ、剣が指す方を見ると確かに街の灯りが見えた。
意外と近いみたいだし、何よりヤブを抜けた事で虫から遠ざかった事が実感出来たのが大きい。
「さあ、もうひと踏ん張りだ。街についても俺が案内してやる」
赤い眼の剣は頼りになる事を言ってくれる。