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 なんだかやけっぱちな気分だった。とりあえず酒が呑みたかった。

 適当な店で軽い夕食を取り、私は梅田の街をぶらついていた。目に入る呑み屋はあるのだが、いまいちピンと来ない。いくらやけっぱちだからといって何処でも良いわけではないのだ。どうせ呑むなら好みの店で呑みたいのである。

 しかしなかなか良い店に巡り会えず、歩き疲れた私は、仕方なくホテルへ戻ることにした。



 チェックインから数時間後のそのときまで、ホテルのはす向かいに建つビルの2階にバーが入っていることに、私は気付いていなかった。まさに灯台下暗し。ロビーへ踏み出しかけた片足の方向を換え、私は向かい側へ渡った。

 階段の先に現れた黒いドアの向こうからは、賑やかな笑い声が聞こえてくる。あまりに盛り上がっているので、ひとりでバーに入ることには慣れている私でも、少し怖じ気付いてしまった。

(常連客で席が埋まってるようだったらやめよう……)

 そう思いながらそっとドアを開けて中へ入る。あまりにそっと開けたので、来客を知らせるために掛けられたのであろうドアベルも、全く音をたてなかった。

 タイムラグ数十秒、私に気付いた店主が会話を止めて、カウンターの1席を示してくれる。

「いや、すみません。気付きませんで」

 そう言いながらおしぼりを差し出してくれた店主は、思わず「なにかスポーツやってます?」と聞きたくなる筋肉質なワイルド系だった。

 店主の好みなのか、店内も黒を基調としたワイルドな内装である。壁際にはダーツが置かれ、天井から下がる大型のテレビではサッカーの試合を流していた。

 ドアの外まで聞こえていた賑やかな声は、ダーツで遊ぶ客たちのものだったらしい。カウンターに座る数人の客と合わせても、店の年齢層は20~30代と見えて、比較的、若いようだった。カウンターの中には店主ともう1人、女性店員が居たが彼女も若い。彼女自身も楽しそうに客と話をしている。弾けるような笑顔とはこういう表情を指すのだろう。元気を具現化したような人だと思った。

 そんな観察をしているうちに注文したカクテルが出来上がる。

「初めまして、だよね?今日はお仕事帰り?」

「いえ……私、観光客なんです」

「えっ」

 店主の問いに答えると、談笑していたサラリーマン風の男性客と女性店員がこちらを向いた。

「観光に来てひとりで呑んでるの?」

「え、はい……」

 寂しい女だとでも言いたいのかと思ったが、女性店員が歓声のような声をあげる。

「私、そういう娘だいすき!」

 そう言った彼女の瞳はキラキラと輝いていて、一瞬前の被害妄想はどこへやら、私はなんだか恐縮してしまった。

「ムタ、引かれてるぞ」

 客が苦笑しながら言うと、ムタと呼ばれた女性店員は「えー」と不満気な声を出した。

「それにしても大阪に観光?」

 きちんとスーツを着て、眼鏡をかけた男性客が首を傾げる。

「失礼かも知れないけど、何を目的に来たの?」

 元よりやけっぱちな気分で来店した私は、恭太郎のことから、大阪に来ようと思った経緯まで、すべて正直に話してしまった。

 恋の話は宴席の華、他人の不幸は蜜の味といったところか。カウンターには十人十色なリアクションが咲き乱れた。

「何その男、ヒドイ!」

 ムタさんは自分のことのように怒りを表す。

「良いなぁ、そんなにモテてみたいなぁ」

 一方で店主と数人の男性客は恭太郎を羨んだ。

 ムタさんが鋭い視線を向けると、彼らはバツが悪そうに酒を呑んだ。

「まぁ、君もひとつ大人になったと思ってさ。そいつのことは呑んで忘れちゃいな」

 そう言って店主が出してくれたカクテルを、私はぐいっと呑み干した。



 心の乱れは酔い方に通じるのか、たいして呑んでもいないのに、私は間もなく悪酔いした。

 狂ったようなハイテンションで下世話なネタにも果敢に喰い付く姿は、親が見たら泣いてしまう代物だろうが、見せないので問題ない。

「じゃあさ!この中の誰かとキスしなきゃいけないとして、誰ならイケる?」

 バーテンダーというより合コン幹事のようなノリで店主が示したメンバーに目を向ける。 ムタさんと話していた眼鏡のサラリーマンに、同じくスーツを着た背の高い男性、その2人より若くラフな服装の男性と、何故か店主も含まれていた。

 4人が興味津々といった風に私の答えを待っている。状況はどうあれ、こんなふうに異性から注目を浴びるのは悪くなかった。

「全員イケますよ」

 私はニヤッと笑って答えた。調子に乗ったのである。場は一気に色めき立った。

「じゃあ、やってもらおうか」

「ええー、本気ですか?」

「当然!」

 店主の言葉に申し訳程度、恥じらって見せてから、店主、眼鏡のサラリーマン、長身のサラリーマン、最後に若い男性客の頬へそれぞれキスをした。

 これこそ親が見たら膝を折って両手で顔を覆い、オイオイ泣いてしまうところだろうが、死んでも見せないので問題は無い。



 私は今でも恭太郎のことが好きである。だから恭太郎の嫌がることや、恐がらせるようなことはしたくない。故に私は恭太郎に会おうとも、彼に対して何をしようともしない。

 けれど、恭太郎を想うことだけはやめられない。向ける宛ての無い想いだけが、日々、私の中に蓄積されていくようだ。

 私はきっとその想いを、ひとりで抱えておくことが出来ない。許容量を越えて尚、行き場の無い熱を受け止めて欲しくて、私は恭太郎の後輩と一夜を共にしたのだと思う。

 あの夜、自分は最低だと思ったけれど、間違っているとは思わなかった。そうしなければもう、自分を保てないような気さえしていたのだ。



 お戯れが済むと、彼らとムタさんは私のガイドブックを興味津々に眺め始めた。自分たちの見慣れた地元も、ガイドブック上で見るとまた新鮮らしい。

「こうして見ても、やっぱり大阪って観光地とはちょっと違うんだよな」

 ページをめくりながら眼鏡のサラリーマンが呟いた。彼はどうしても大阪を観光しようという人間の気持ちが理解できないようである。

「飲食店の情報はいっぱい載ってるけどねぇ。ほとんど知らない店だけど」

 サラリーマンに相槌を打ちつつ、ガイドブックを覗き込んでいたムタさんが「あっ」と声をあげた。

「これがあるじゃん!」

 彼女が指したのは、ページいっぱいに写る太陽の塔である。

「私、太陽の塔だいすきなんだ!」

「お前はなんでもだいすきだなぁ」

「ミニチュアの塔がお土産で売っててね、それがまたかわいいんだよ~」

 呆れたような声で言うサラリーマンには構わず、ムタさんは嬉しそうに笑った。

 あいにく太陽の塔をかわいいと思う感性は持ち合わせていないのだが、太陽の塔は帰る前に見に行こうと思っていたところだ。

「でもやっぱり見るものって言ったらこれくらいかなぁ……」

 そう言いながら、ムタさんが再びガイドブックに視線を落とす。

「大体ここまで来るならもうちょっと行けばもっと良い観光地があるしね」

「神戸とか京都とか」

「わざわざ大阪で見るべきところってあるかなぁ……」

 3人寄れば文殊の知恵と言うが、地元民がこれだけ寄り集まってほとんどなにも出てこないというのも少し面白い。私はグラスを片手に、皆さんの会話を聞いていた。

「グランフロントは?」

 不意に出てきた単語に、客たちの顔色が一斉に変わる。

「ああ、あれか!」

「確かに、あそこなら」

「今いちばんアツいスポットだからな」

 満場一致の同意を集めたのは、先ほど最後にキスをした若い男性客だった。

「グランフロントって?」

 皆さんのリアクションに興味を惹かれ、私は訊ねた。

「一応ショッピングモールっていうのかな。でも店の他に、企業の展示スペースとかも入ってて。その辺は科学館みたいになってて楽しいよ。最上階に入ってる飲食店も人気店ばっかりだし。しかもアルコール出す店は朝4時までやってるんだよ」

 グランフロントの関係者なのかと思うほど流暢にアピールポイントを話す男性に、他の客も同調して言葉を添える。

「最近この辺りに出来たばっかりだから、まだ毎週末、混んでるくらいなんだ」

「大阪人も行きたいスポットなんだから」

「たぶん地元に戻って『グランフロント行ってきた』って言ったら『おおっ』てなると思うよ」

 そこまで言われて気にならないわけが無い。

「良かったら、これから行ってみる?」

 男性のお誘いに、私はひょいと飛び乗った。

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