6
土地勘ゼロの観光客が、行き当たりばったりで観光するには少々、難易度が高い土地だったらしい。今度はガイドブックで行きたい店の目星をつけ、道順を入念に脳内シュミレートしておいたのでおそらく大丈夫であろう。カフェで地図を再確認しつつHPを回復した私は、再び中崎町へ足を踏み入れた。
初めに入ったのは小さな雑貨屋である。といっても元家屋を店にしている地帯なのだからどの店もそう広くは無いのだが。
年配の女性がひとり、奥に座って雑誌をめくっている。店内は客が3人も入れば窮屈になってしまうだろう。幸い、客は私ひとりだったので悠々と見ることが出来た。
「ご旅行ですか?」
女性が穏やかな声で話しかけてくれる。
「ええ」
私は笑顔で答えた。
「連休ですものね。先程いらしたお客様もそう仰っていましたわ」
「多いでしょうね。こちらへ来るときの新幹線も混んでいましたから」
「中崎町は初めてですか?」
「はい」
「迷いませんでした?」
「かなり迷いました」
「そうでしょう」
女性が小さく笑った。
「だけど大人になってから迷子になるというのも、貴重な経験ですよ」
「そうかも知れませんね」
私が同意すると、満足したのか飽きたのか、女性はゆっくり視線を落とし、再び雑誌をめくり始めた。このマイペースさも、小さな雑貨屋の主人という感じでとても良いと私は思った。
帰りしな、ピアスをひとつ購入した。方耳のピアスには傘のパーツが下がっており、もう片方では雨粒を模した水色のガラス玉が、ゆらゆらと揺れている。
「こちらは神戸にお住まいのアクセサリー作家さんの作品です。こういう繊細なデザインがお得意なんですよ」
買ったピアスを包みながら女性が説明してくれた。この綺麗なピアスのように、華奢で美しい大人の女性を思い浮かべながら、私は包みを受け取った。
「此処は素敵な町です。風情があって。面白いお店もたくさんあって。迷子になるのを楽しむつもりで、どんどん歩いてごらんなさい」
女性の言葉に頷いて答えると、私は町に繰り出した。
○
どんどん歩いていくと、次第に慣れてきたのか、家屋と店舗が見分けられるようになってきた。
客に人生論を説いている洋服屋の主人、『シンデレラのドレスから解れた糸』や『眠り姫が使った羽毛布団の羽毛』など実に夢のある瓦楽多を扱う雑貨屋、水田に立つ、寝たきりの老人に跨がるなど様々なシチュエーションで撮られた女性の写真を展示したギャラリーなど、巡り合うものすべてがキラキラと光るように目に映る。万華鏡のような町だと思った。
次に買い物をしたのは、動物をモチーフにした雑貨を専門に扱う店だった。
店の入り口に並べられた、小さな木製のスプーンに一目惚れし、足を止めた。いろいろな動物の中から、ラッコを模した1本を手に取り、レジへ向かう。
動物っぽいと言ったら失礼だろうか。しかし映画『マダガスカル』に出てくる動物のような、どこかコミカルで愛嬌のある店主が応対してくれた。
「以前こちらでお買い物して頂いたことあります?」
会計の間、店主にそう訊ねられ、私は首を傾げた。
「いいえ、初めてですが」
「あ、すみません。随分と迷い無くお買い物されてたから、一度いらして頂いたことがあるのかと」
店主の言葉に私は笑って答えた。一目で惚れて買ったのだから迷いが無いのは当然なのだが、それを伝えるのはなんだか気恥ずかしいものがあった。
「このスプーンは何に使うご予定ですか?」
店主の第2問に、私はまたも首を傾げた。贈答用か自宅用かということだろうか。そう思い至り、一応、自宅用である旨を伝える。
「家で使おうかな、と」
「ああ、アイスとか食べたり?」
「そうそう。プリン好きなので」
「良いですね。そういうときにこのスプーンはピッタリだと思います」
商品を手渡してくれながら店主は続ける。
「うちね、買い物してくれたお客さんの写真をHPにあげてるんだけど、良かったら1枚、撮らせてもらえませんか?」
少し迷ったが、思えば一人旅なので、ここまで旅の記録らしいものがなにも無い。別に無くて構わないのだが、せっかくなのでここは撮ってもらうことにした。
スプーンも映るように顔の横に合わせて持ち、笑顔をつくる。やはり恥ずかしいが、旅の恥はかき捨てである。
「うん、可愛く撮れましたよ」
店主がデジカメを確認しながら言った。
「『プリン用にご購入いただきました』ってコメント付きで載せさせてもらいますので。是非チェックしてみてください」
あの質問はそのためだったのか、と思いつつ、私は礼を言って店を出た。
○
足の疲れと喉の渇きを感じてきたので、この辺りで休憩を取ろうと、次に入ったのは遊郭をイメージしているというカフェだった。
雑居ビルの2階、アパートのように並んだ扉のひとつを開けると、真っ赤な壁に囲まれた部屋が現れる。
黒く塗られたカウンターと、同じく黒い小さなテーブル席が3つ程あるだけで、店内は実にすっきりしたものである。
壁際には大きな砂時計の如きガラスの容器が並んだ棚が置かれている。砂時計の上半分には珈琲豆と氷が入れられ、そこから抽出された珈琲が下半分に落ちるようになっているらしい。ぽた、ぽた、と一滴ずつ落ちていく珈琲以外に、この毒々しい空間で動くものは、髪をお団子に結い上げた女店主ひとりだと思われたが、彼女は必要以上に動くことを良しとしないのか、あまりカウンターから出てこなかった。
扉ひとつ越えただけでこれほど妖しい世界と繋がることが出来るとは。遊郭の雰囲気を存分に味わい、私はひとつ大人になったような気がしていた。もちろん本物の遊郭に行ったことなど無いので、あくまで気分の話である。
注文した和紅茶がくるのを待っている間、私は隣室のギャラリーを拝見した。
店の外には扉が無いのでわからなかったのだが、入って右手の壁に、人が四つん這いになってやっとくぐれる小さな扉があり、そこから隣室へ抜けることが出来た。
店内同様、毒々しい雰囲気の漂うその部屋には、女性の生足を写した写真のパネルが数枚、展示されていた。このような写真、または絵画等を見たとき、芸術的な何かを感じ取る努力をすべきなのか、素直にエロいと思っていれば良いのかはいつも迷うところだ。
ギャラリーから戻ると、女店主が和紅茶を運んできてくれた。小さな急須にお猪口、お茶請けの小鉢を乗せた盆が置かれ、店主が砂時計をひっくり返す。
「砂が全て落ちきったら、飲み頃で御座います」
最後の一粒がくびれたガラスの中で滑り落ちるのを見届けて、私はお猪口に茶を注いだ。
和紅茶というのはその名の通り、日本国内で栽培、収穫された葉でつくられた紅茶である、とはこの店のメニューから得た知識である。
初めて飲んだ和紅茶は、フルーティなほうじ茶とでも言えば良いだろうか。外国製の紅茶のような、ほのかに甘い良い香りがするのだが、味はとてもすっきりしていて飲みやすい。砂糖もミルクも入れずとも、お茶そのままの味が充分に美味しく感じられた。
○
テーブル席にひとり座し、静かに茶を飲んでいると、不意に現れ出でたのは、艶やかな遊女である。
「お待たせ致しました」
そよ風のようなやさしい声だ。私は猪口を置き、彼女に近付く。そして三つ指をついて頭を下げている彼女の頬へ、そっと手を伸ばした。
「……ッ……」
くすぐったかったのか、小さく息を吸う声と共に、滑らかな肌がピクッと跳ねた。その仕草がいじらしく愛おしく、もっと見たいと、撫でるように手を這わせる。遊女は低頭の姿勢のまま、抵抗することも無かった。
(嗚呼、綺麗だなァ……)
だんだんたまらなくなってきて、私は我ながら可笑しくなるほど慣れた手付きで彼女の顎に指を添え、顔を上げさせた。彼女は真っ直ぐな瞳で私を見据える。私はその瞳から逃れることが出来ない。
「どうなさったのです?」
彼女は私の手に自分の手を重ね、ニッコリと微笑んだ。
「こんなところまで来てしまって、悪い子」
そう囁いた彼女、否、彼は恭太郎であった。