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 年齢も職業も違う、いろいろな人間と酒を酌み交わし、気軽に話が出来るところにバーの醍醐味があると思う。これほど社会勉強に適した場所を私は他に知らない。一見なんの変哲も無いサラリーマンが予想外の一芸に秀でていたり、貴やかな淑女が恋の泥沼で溺れていたり、威厳の備わった顔をした社長が実はとんでもないクソ野郎だったり、一晩バーに居るだけで映画何本分の人間ドラマと触れ合えることか。

 ひとたびカウンターに着いたら警戒心を捨て、相手をまるっと受け入れろ。その相手は、のほほんと生活していたのでは遭遇しようも無い非日常体験へ誘ってくれる可能性がある。恐れずにバンバン飛び込んでいくが良い。そうすればいずれ、一回りも二回りも器の大きい大人になれるだろう。

 これは学生時代から変わらない、私の持論である。ただし、真に自分の身に危険が迫ったときだけは、しっかり警戒しなくてはいけない。



 男性と並んで心斎橋筋商店街を進んでいく。明かりが落ち、シャッターの下りた商店街はゴーストタウンのように暗く、静かだったが、酔いに浮かされた頭ではそれすら愉快で仕方がない。動くと少し、酒が回るな、と私は思った。ちらほら行き交う人々の足取りもどこかふわふわと頼りなく、さしずめ酒にとり憑かれた幽霊のようであった。

「酔っ払いしか居ないみたいですね」

 クスクス笑いながら私は言った。

「時間が時間だからね」

 男性は答えた。

 彼は私より2歳年上の会社員で、就職を機に大阪へ越してきたと話した。なんだか恭太郎と似た境遇だな、と思いながら私は彼の身の上話を聞いていた。

 しばらくすると、暗い商店街のなかに煌々と明るい光が現れた。近付くとそこはラーメン屋の続く一帯で、まばらではあるがどの店にも客の姿があった。そのうち一軒の店の前で、私は思わず歓喜の声をあげた。

「何?どうしたの?」

 男性がビックリして私を見る。模範解答のようなリアクションだ。

「これこれ!」

 私は『かむくらラーメン』と書かれた店の看板を指差した。かむくらラーメンは大阪を発祥とするチェーンのラーメン屋である。私の住む近所にも進出していたのだが、残念ながら1年ほど前に閉店してしまった。探してみたものの、近場に他の店舗は見付からず、以来ずっと、かむくらラーメンの味を恋しく思いながら暮らしてきた。そんなかむくらラーメンと、偶然にもこうして再会できるとは!

「朝まで開いてるみたいだね」

 狂喜する私を意に介さず、男性は冷静に看板を読み、そう言った。

「帰りに寄ろう。呑んだ後のラーメンはまた格別だからね」

「ああ、最高ですね!」

 ぱん、と手を打ち、私は大きく頷いた。


 ラーメン地帯を過ぎ、なんばグランド花月を過ぎ、薄暗い角を曲がったところで、我々はついに味園ビルを発見した。

「ああ、これだこれだ」

 男性が示した建物は古いようだが、洒落た趣があった。何階建てなのか外見からは判断し難いが、さほど高層ではなく、縦より横に広い造りになっている。1階はまるまる駐車場のようだ。エレベーターは見当たらず、ビルの脇に螺旋状につけられたスロープを上って2階へ向かう。スロープに囲われて細く湧き上がる噴水が、柔らかな照明の灯りを受けて、やけに幻想的に見えた。

 スロープを上りきるとフロアが開け、そこには聞いていた通り、たくさんのバーが密集していた。赤い照明の光がぼんやりと満ちている。アンティーク調の扉や和風の引き戸、重厚そうな鉄を模した扉など、さまざまな扉が連なって浮かび上がる。その光景は不思議な夢のなかに居るようだった。

 私たちはさっそく店を物色し始めたが、思っていたより店舗数が多い。なにしろロの字型に作られた通路の他はバーで埋められたフロアなのである。まるでバーのテーマパークに来たような気分になって、私は跳ねるように通路を進んだ。

「少しは他の客も居たほうが良いからなぁ」

 男性の意見に従って入店したのは、某漫画と同じ名前を看板に掲げる、アングラ臭ただよう店だった。薄暗い店内にはアイドルのポスターやらアニメキャラクターのフィギュアやら壊れかけたような玩具やらが、古そうなものも新しそうなものもごちゃ混ぜになって、所狭しと飾られている。入ってすぐのスペースにはテーブルが置かれ、長い髪をした男性客がひとりと、ライブの打ち上げらしいバンドの団体客がそれぞれ席を埋めていた。私たちは奥に設けられた小さいカウンターに通された。

「こんばんは、いらっしゃい」

 Tシャツに短パンという、バーテンダーにしてはラフ過ぎる格好の店主が挨拶してくれるが、そのテンションも近所のおっちゃんのようである。

「何にしよう?」

 訊ねられ、近所のおっちゃん、もとい店主の背後に屹立する酒瓶に目を通す。幾多のスピリッツやウイスキーがずらりと並ぶ中で『ボウモア12年』のラベルが目に入ったとき、私は本屋でガイドブックを見付けたときと同じように、自分を戒めたくなった。



 ボウモア12年は恭太郎が最も好んで呑んだスコッチウイスキーである。

「今までいろんな酒を呑んだけど、これがいちばん美味いと思うな」

 いつものバーで、そう言いながらボトルを撫でた恭太郎の横顔を思い出す。

 またしてもおセンチになりかける心を鼓舞し、むしろここで会ったが100年目とばかりに私はそれをロックで頼んだ。

「はいよ」

 遺憾なく近所のおっちゃんぶりを発揮する店主からロックグラスを受け取り、男性と乾杯する。口に含んだボウモアは、普段、甘いカクテルしか呑まない私の舌にほろ苦さを残した。

「面白いね」 

 男性が店内を見回して言った。

「このフィギュアはアレでしょう」

 彼がそう言って、近くに飾られていたフィギュアを店主に示すと、近所のおっちゃんから一変、少年のように瞳を輝かせた店主のフィギュア語りが始まった。

 私は男性と店主が話しているのを聞きながら、グラスにすっぽり収まる大きな氷を指でくるくると溶かしていく。これも恭太郎がよくやっていた仕草だ。

 会えなくなって2年も経つというのに簡単に思い出せる。どんな些細なことでも、恭太郎のことなら永遠に覚えていられるような気がした。


 いたずらに恭太郎の記憶を手繰る傍らでふたりのフィギュア語りもヒートアップしていく。手持ち無沙汰になった私は手元に飾られていたダックスフントの玩具を弄って遊んだ。人の話を聞いているのも決して嫌いではないのだが、あまりにマニアックな話題に相槌を打ち続けるのは若干ツラいものがある。ここは旅先なので、少々、自分勝手に振る舞ったところで彼らとの間に厄介なわだかまりが残ることもなかろう、と私はダックスフントと戯れることを潔しとした。ダックスフントの腹の部分はふいごになっていて、頭と尻を持ち、伸縮させるとピュウピュウと間抜けな音をたてる。

その音を聞いているうち、トランス状態に入ったように、私は再び恭太郎のことを思い出していた。


恭太郎はバーに居てもあまり人と話さないタイプだった。そよ風のようなやさしい声は最低限の受け答えをするだけで、いつも静かに煙草を吸いながら、グラスを傾けていた。

そんなときの恭太郎は妙に艶っぽく、私は始終ドキドキしっぱなしであった。

この綺麗な青年の隣で酒が呑める。彼の表情も声も仕草も、どの客より近くで見聞きすることが出来る。それはこの身に余る幸福であり、海より深い優越でもあった。恭太郎の傍に居るだけで、私は満たされていたのだった。



 私がうっとりと恭太郎想いに耽っている間に、店主と男性の会話も一段落ついたらしい。せっかくなので他の店でも呑んでみようということになり、店主とダックスフントに別れを告げて私たちは店を出た。


 続いて入った店では、呑みながらゲームを楽しむことが出来た。ゲームといってもダーツやテーブルゲームの類ではない。今は懐かしいスーパーファミリーコンピュータである。

 ファミコンなら私にも多少の覚えがある。フィギュアからファミコンに熱を移した男性と共に、とりあえずビールならぬとりあえずマリオカートに興じた。

 幼い頃は、そのいかにも女の子らしいビジュアルからピーチ姫一択だったが、今では経験によって自分では彼女を使いこなせないということが解っている。

(いつまでもお姫様に憧れているだけでは、栄光のゴールまで辿り着けないのである!)

 そんな悟りじみたひとりごとを胸中で呟きつつ、私はコントローラーを操作した。もともと上手いほうではなかったが、数年間のブランクも手伝い、私は惨敗を喫した。私に選ばれたばかりに障害物という障害物に激突する羽目になった哀れなヨッシーが画面のなかで頭を垂れている。

「可哀想に!」と男性が笑った。

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