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2/12

 ぼんやりと新幹線に揺られているうち、新大阪に到着した。そこから地下鉄御堂筋線に乗り換え、なんばへ向かう。三連休を前にしてどこか浮わついた雰囲気は、やはり日本全国共通らしい。満員電車に折れかける心を強く持ち、乗り切った。

 なんば駅14番出口を出ると、頭のなかで山本譲二と都はるみの『ふたりの大阪』が流れ出す。そう、そこは恭太郎と『ふたりで歩いた御堂筋』である。

 思い出を振り切るようにずんずん進み、道頓堀を横目に宗右衛門町のビジネスホテルを目指すが、燦然と輝くグリコの大きな看板が視界の端をちらりとかすめたとき、ついに封印していた記憶が鮮やかに蘇ってきた。



 初めて歩く御堂筋。初めて見る道頓堀にグリコの看板。テレビや雑誌で見たものが実際に目の前に現れたときの気持ちは、大学入学を機に地元を離れたばかりの頃とよく似ていた。あの頃は知り合いも無く、ひとりでこっそりと感動していたものだが、今は隣に恭太郎が居る。私は思うさまはしゃいでみせた。

「これがあの有名な道頓堀?」

「そうだよ」

 穏やかに微笑んで、恭太郎が答えてくれる。

「思ったより小さいね」

「俺も初めて見たときはそう思った」

「グリコの看板は想像通り!」

「誰が見ても観光客だなぁ」

 携帯電話のカメラで写真を撮り始めた私を見て、恭太郎が笑う。そして思い出したように言った。

「あの裏にグリコ本社でもあると思うだろ?」

「違うの?」

「違うんだよ。看板だけ」

「へぇー知らなかった!」

 私が感心すると、恭太郎は得意気な顔をした。いつもクールな彼の少し子どもっぽい表情に、私がもれなくときめいたのは言うまでもない。

 このとき撮ったグリコの写真は、今でも私の携帯電話に、大切に保存されたままである。



 ホテルでチェックインを済ませると、私はすぐに着替えて夜の街へ繰り出した。

 風俗店が並ぶ宗右衛門町通りには照り輝くスーツを着込んだ男性やセクシーな衣装に身を包んだ女性が溢れている。その光景は、かつて一度だけ行ったことがある新宿の歌舞伎町を思わせた。そのときと同じように、内心ビクビクしながら歩いていく。

 三連休なのだから翌日の朝に出発しても良かったのだが、わざわざ会社から直行し、この辺りに宿を取ったのは、かねてより行ってみたかった店があったからである。そこは所謂サブカルバーで、ネット音楽を好む人々が集うという。ホテルからそう遠くないはずだと、地図を頼りにうろうろと探すうち無事に見付けたその店は、地味な雑居ビルの5階でひっそりと営まれていた。

 しかしひとたび扉を開けると、店内は大盛況で私は思わず後退った。

「あ、お一人ですかー?」

 店員のひとりが私に気付いて声をかけてくれる。一瞬、帰ろうかとも考えたが、せっかくここまで来たのだから、という思いが勝り、頷いて見せた。

「ちょっとすいませんねー。ここ座って待っててもらえます?」

 示されたカウンターのいちばん端、入口すぐの席に座り、私は店内を見回した。カウンター内には3人、奥にキッチンもあるようなので、そちらにも人がいると考えれば店員はけっこう多い。それでも注文がたて込んでいるのか、対応しきれていないようだった。客はほとんどが常連客と見え、各々が慣れた様子で楽しんでいる。店内に流れるBGMと、さりげなく飾られたポスターやフィギュアが、その空間のテーマを主張していた。

 席に通されてから軽く10分ほどは経っていたと思うが、ようやく店員が注文を取りに来てくれた。なにか、ぱっと作ってもらえるカクテルを1杯だけ呑んでもう帰ろうと、カシスウーロンを頼んだ。目の前で慌ただしく動き回る店員たちはなるべく気にしないようにして、BGMに聴き入りながらグラスを傾けていると、視界の端にチラチラ動くものが現れた。顔を向けると、こちらに向かってひらひらと手を振る男性と目が合う。相手が誰であろうと目が合えば会釈してしまうのは私の癖だ。そしてどんな相手であろうとその後は十中八九、話しかけてくるのがお約束だ。

「お一人ですかー?」

 数十分前に店員からされたばかりの同じ質問にも愛想良く答える。

「ええ、一人です」

「じゃあ、隣いこ」

 椅子を持ってさっと隣に移ってきた男性は、およそ40歳前後と見えた。

「ユバです。よろしく」

 求められるまま握手をしたが名乗られた名前が引っ掛かる。

「ユバ……さん?」

「うん。あ、本名と違うよ?いわゆるハンドルネーム。ここでは大体みんなそうしてる」

 なるほど、さすがはネット音楽愛好者の集うサブカルバーだ。私は納得して、しばらくユバさんと他愛もない話していたが、そのうちに酔いも回ってきたのか、やたらとおさわりが多くなってきた。腐っても若い女である私が隣に居るのだから仕方ないとは思うが、もちろん良い気はしない。

すると状況が落ち着いてきたのか店員が助けにきてくれた。

「大丈夫?その人、スキンシップ激しいからな」

 軽めのノリで話しかけてくれたその人はポケットから名刺を取り出し、1枚くれた。名刺には『店長 ハル』と書かれている。ハルという名前もきっとハンドルネームなのだろうが、可愛らしい名前に相応しく、中性的できれいな顔をした男性だった。

「店長?店長さんなんですか!?」

 名刺を見て私は驚いた。なにしろ目の前の彼はとても若く、バーカウンターの中に居なければ10代と言われても疑わないと思う。

「うん。まぁ先月、昇進したばっかりだけど」

 ハルさんが笑いながらそう言うと、ユバさんが補足説明を入れてくれる。

「先月、前の店長が系列店に異動になってね。ハルは若いけど、ここではいちばん古株だから」

「へぇー……失礼ですが、おいくつなんですか?」

 私は思い切って訊ねてみた。「いくつに見える?」などという面倒くさい絡みも無く即答してくれるところに男らしさを感じる。ハルさんの年齢を知り、私はいっそう驚いた。彼は私と同い年だった。

「すごいですねー!」

 それは世辞でもなんでもなく、私の本心から出た言葉だった。聞けば、勤続期間も私とほとんど変わらないという。職種は違えど、同じだけ働いてきて、店長になったハルさんと下っ端社員から変わる気配も無い私。比べるようなことではないのに、少し心に影が差す。

(私、2年前となにも成長が無いな……)

 そんな情けない自分を腹の底へ押し隠すように、私はグラスを空にした。



 そろそろ終電なので帰るというユバさんを見送り、私は数杯目のカクテルを注文した。やはり徒歩圏内に宿を取っておいて正解だった。私は心置きなく酒を呑める幸せを満喫していた。

「呑みっぷり良いねぇ」

 感心しながら、ハルさんがグラスを差し出してくれる。

「お酒、好きなの?」

「はい。お酒というか……バーが好きなのかも」

「よくひとりで呑み行くの?」

「ええ」

「そうだ。バーが好きなら是非おすすめしたいところがある」

 ハルさんはそう言って、おもむろにペンを持ち、私の前に紙を広げた。

「ここから少し歩くけど、いろんなバーが集まってる、面白いビルがあるんだ。味園ビルっていうんだけど。ちょっとわかりにくいから、地図を書いてあげる」

 現在地がここで、出たらこう行って、そしたらこれがあるから、それを曲がって……と口で説明しながら、ハルさんは一生懸命に地図を書いてくれる。しかし、この辺りの土地勘がほとんど無い私から見ても、その地図がいかに解り難いかということはよくわかった。丁寧さが災いして、書き込みが多く見づらい。この地図を片手に道を尋ねたとしても、地元民が理解してくれる確率は未知数である。

 それでも私のためにがんばってくれているハルさんへのときめきが止められず、その手元を見守っていると、別方向からも視線を感じた。発信源を確認すると、男性と目が合う。私は会釈する。男性が話しかけてきた。

「それ、なに書いてもらってるの?」

「地図です。面白いところがあるって……」

 私が答えると、男性は地図を覗き込み、苦笑した。

「ハル、これめっちゃ解り難い」

「えー、そうかぁ?」

 常連客であるらしい男性の的確な指摘に、ハルさんが首を傾げる。そんな仕草も愛らしいが、彼の地図は誰の目から見ても解り難いらしい。 

「大体、今どき手書きの地図って……これで出したほうが早いだろ」

 そう言って、男性が自分のスマートフォンを取り出し、ぱっと地図を検索して見せた。私の折り畳み式携帯電話には真似の出来ない所業である。

 画面に映し出されたシンプルな地図によると目的の味園ビルは、少し奥まった地点に存在していた。ハルさんの言う通り、普通に探しても見付けにくいかも知れない。

「君、今からここに行くの?」

「はい」

「ふーん……面白そう。俺も一緒して良い?」

「えっ」

「あー、良いじゃん良いじゃん!誰かと一緒に居たほうが心配ないしな」 

 突然の申し出に驚く私を尻目に、ハルさんも男性に同調する。

(たった今、会ったばかりの男性とふたりきりで深夜徘徊って……それはそれで心配なんですけど!)

 もちろんそんな考えも浮かんではいたが、好奇心の前に理性は無力であった。このワクワクする状況に流されるまま、私はハルさんにお礼を言い、男性と共に店を後にした。

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