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微々たる額ながら賞与も頂けたことだし、ぶらっと一人旅に出るのも良いと思い付いた。
会社から駅へ、わずか15分ほど歩くだけでもすぐに汗ばむ7月中旬のことである。駅構内の本屋へ入ると、私の火照った身体を冷たい空気がひんやり包んだ。旅行本のコーナーを適当に見て回る。北海道から沖縄、海外諸国まで、ここには世界中の観光情報が集まっている。特に行きたいところもやりたいことも無いので、どのガイドブックを見てもわくわくした。
しかし『大阪』という地名が目に飛び込んできたとき、弾んでいた胸が一瞬にして押し潰される思いがした。そのことを自覚して、心底うんざりする。
(いつまで引きずっている!見苦しい!気持ちわるい!いい加減にしろバカめ!)
人目が無ければ壁に頭を打ち付けてこんな自分を戒めたい。
『大阪』
その名を見聞きするたびに、動揺を悟られまいと、この2年間どれほど顔で笑って心で泣いてきたかわからない。そんな生活に自分自身も疲れていた。それなのに、これほどたくさんの地名が溢れている本棚のなかでも、ピタリと『大阪』を見付けてしまった。そして性懲りも無くセンチメンタルに陥った自分に、サソリ固めのひとつもキメてやりたい。
そんな状態であるにも関わらず旅先を大阪にしようと思い立ったのは、魔がさしたわけでも、一種の自虐行為というわけでもない。もちろん正真正銘のバカだからでもない。いや、やはりバカかも知れない。とにもかくにも、私にとってトラウマの象徴である『大阪』から、この機会に卒業するのも良いと考えたのだ。なにか素敵な思い出をつくって、『大阪』から連想するものを、哀しい過去から楽しいことに変えてしまいたかったのだ。
私は『大阪』のガイドブックを手にレジへ進んだ。普段は1円でも安いものを買い求め、必要経費ですら渋るのに、800円のガイドブックを買うためにいともアッサリ財布を開いたのは、もらいたての賞与に気が大きくなっていたせいだろう。
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定時を過ぎるといつものように会社を出て、いつものように駅を目指す。いつもなら勤め人たちが競うように帰路を辿るその道も、翌日から三連休とあって、どことなくゆるい空気が流れているようだった。
駅に着くとコインロッカーへ向かい、出社前に預けておいたスーツケースを引っ張り出す。そこまで来てもまだ、私は迷っていた。
(本当に行くのか?大阪へ?)
おもむろに携帯電話を開き、あちらのホテルから数日前に受信した予約完了メールを確認する。当たり前だがキャンセル期限はとっくに過ぎており、当日キャンセル料は宿泊費の80%だと記載があった。メール画面を閉じながら、連休直前に宿を探し始め、どのホテルも満室御礼のところ、やっとの思いでこのホテルの予約を取ったことを思い出す。ついでにスーツケースのなかで活躍の出番を待っているガイドブックのことも。
(行かないと、いろいろと無駄になる……)
そんなことは私の貧乏性が許さない。いざ、大阪へ。意を決し、私は出発した。
人の移動は連休初日から始まるものだから、前日の夜である今日ならまだ幾分、楽に動けるはずだ。その読みは、独断と偏見による思い込みでしかなかったと私が思い知るのは、新幹線に乗車してすぐのことだった。
駅弁選びに時間をかけすぎたため、ギリギリで自由席車両に乗り込むも、席はひとつ残らず埋まっており、通路にも乗客が溢れている。スーツケースと駅弁を抱えて、私は文字通り途方にくれて立ち尽くしてしまった。次の停車駅までは時間がかかるし、現状がどう変わるかもわからない。おそらく悪化する可能性のほうが高い。
さて、どうしたものかと私は考えた。立ち乗りは別に苦ではない。問題は空腹であることだ。昼休み以降なにも食べずに乗車してしまったので、いかんせん腹が減っている。なに食わぬ顔をして立っているものの、いつ腹の虫が鳴き出すかと内心、気が気ではない。車両の端ならまだ良かったものを、通路のど真ん中までずんずん進んで来てしまったことを今更ながら後悔した。そのとき近くの席に座っていた男性客が立ち上がった。
「トイレ行ってくる」
「うん」
彼は隣の客にそう伝えると、人波を掻き分けながら車両を出ていった。
男性とはいえ、この混雑ぶりから考えれば、戻ってくるまでにそこそこの時間は要するだろう。そう思ったときには彼の連れであろう乗客に声をかけていた。
「あの、すみません。その席、少しだけお借りしてもよろしいでしょうか?」
相手は驚いた表情を見せたが、快く席に通してくれた。今回の読みは見事に当たり、私が弁当を平らげるまで男性客が戻ってくることは無かった。
どちらかといえばおとなしい私にしては、なかなか大胆な行動に出たものだ。大阪上陸を前にいささか高揚していたのかも知れない。心と腹を静めるべく、私は深呼吸をした。
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その男、松木恭太郎に出会ったのは、私が大学を卒業した夜だった。友人たちと祝杯を挙げた帰り道、立ち寄った近所のバーに彼は居た。
私には学生時代からひとりでバーに出入りするという生意気な嗜好があった。当時、花も恥らう女子大生だった私には、隣に座るだけで酒代を払ってくれる客がたくさん居た。加えて私は聞き上手でもあったので、基本的に自己顕示欲の強い男性客、特に中高年にはすこぶる受けが良かった。気持ち良く話させてやれば、彼らは何杯でも酒を呑み、奢ってくれた。そんな栄華の時代も大学卒業と同時に潮が引くかの如く幕を引いたわけだが、当時はかなり店の営業に貢献していたことと思う。
私はその晩もいつものようにカウンターに座り、たいして手持ちも無いくせにカクテルを注文した。ふっと一息ついたところで、見慣れない客が居ることに気が付いた。年の頃はまだ若い。常連客のなかではダントツで若い私とさして変わらないように思われた。そんな客と遭遇するのは初めてのことだったので、私はすぐに興味を持った。それは恭太郎も同じだったようで、彼のほうから話しかけてくれた。
歳は同じで、住まいも近い。そして共に酒好きの私たちが仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。私たちはよくふたりで呑みに行くようになったが、大抵は恭太郎の誘いに乗る形で、私から誘うことは滅多に無かった。我ながら驚いたことに、こんな私にも花に負けない恥じらいがあった。気軽に誘うのが躊躇われるくらいに、私は恭太郎に惹かれていたのである。
しかし、就職活動に失敗し、派遣社員として働くことになった私と、某有名企業のエリートコースに乗った恭太郎とでは、どう考えても釣り合わない。当時の私はそのことにひどく固執していた。自信など持てようはずも無く、私は恭太郎を慕いながら、その胸の内を素直に明かすことが出来なかったのだ。
それでも年頃の男女がふたりきりで酒を酌み交わせば、間違いのひとつやふたつ起こったところで何の不思議もありはしない。ひとつやふたつどころか、いつしか私たちは会うたび枕を交わすようになっていた。その頃には恭太郎に私への気持ちが無いこともよく解っていたけれど、私は幸せだった。どれほど感情の無い行為でも、美しい恭太郎に触れられると、私はいつでも至高の喜びを味わうことが出来た。今、好きな人と結ばれている。それだけで充分だった。
恭太郎の大阪転勤が決まったのはその年の夏、盆の頃だった。いつものバーでその話を聞いたとき、理性が働くより早く、私の目から涙が溢れ出た。
嫌だ。
行かないで。
離れたくない。
君のことが好きなのに。
心のなかには、自分でも驚くほどたくさんの想いがあった。自覚していた以上に私は恭太郎に惚れていた。しかしその心は一言も声になることの無いまま、恭太郎は大阪へ引っ越した。
それから私は一念発起し、翌月の中旬には正社員として就職した。その旨を報告すると、恭太郎は電話口の向こうで自分のことのように喜んでくれた。
その声を聞きながら、私は恭太郎に一歩、近付けたような気がしていた。恋人になってもいないのに、身体の関係を持ってしまった時点で諦めたつもりで居たけれど、人間は欲深い。私も例外ではなく、あろうことか恭太郎とまっとうに付き合いたいと望んでしまったのである。
さらに翌月の3連休を使って、私は恭太郎に会いに行った。新大阪駅中央出口まで私を迎えに来てくれた恭太郎の姿を見付けたときの感動たるや、とても筆舌に尽くし難い。
恭太郎と同じ時間を過ごしていたあの頃、私は確かに幸せだったのだ。