会いたいよ
抜けるような、青い空。
どこまでも続く、透明な色を眺めながら。
「気持ちいいねー、今日」
「うん、超気持ちいい」
私は親友の加奈子と一緒に屋上に座り、成り響くチャイムの音を遠くに聞いていた。
『会いたいよ』
「ウチらちょっとサボり過ぎじゃない?」
「いーよ、天気いいのに教室こもりっぱとかないでしょー」
「それは言えてる」
私は加奈子に感謝した。
……わかってる。
本当は、天気がいいから屋上に私を連れ出してくれたわけじゃないって。
私の気分が塞いでいるときは、どんなに作り笑いしていても、すぐに気付いてくれる。
一人でサボったり出来ないチキンな私を気遣って、こうやって一緒にいてくれる。
その優しさに、どれほど私が救われていることか……。
「ん? 何?」
「ううん、何でもない」
私は微笑んだ。
「……尚人くん、どうしてる?」
「元気だよ。すごく」
尚人は、私の彼氏だ。
遠く離れてる、私の恋人。
加奈子は私たちが付き合う前の、歯痒いオトモダチ期間の頃から側で見守ってくれてたから、よく知っている。
だからこうして、時々様子を伺ってくれるのだ。
「そっか。もうすぐ、あっちに行っちゃってから2年だね」
「うん……」
「たまには、連絡よこせよなぁ? ユリが淋しがってるぞーー!」
「ふふ、もっと言ってやって」
加奈子と、笑い合う。
つかの間、辛い気持ちが軽くなった。
*
「ユリ、俺と付き合って」
「……」
昼休み。
最近同じクラスで、よくしゃべる男の子に呼び出されて、告白された。
うちの学年の中でも結構モテるし、実際かなり優しい。
でも――
「……ごめんね」
「……」
「私、好きな人がいるから」
「……やっぱり、本当なんだ」
私は苦笑いして、もう一度ごめん、と呟いた。
それ以上彼も、追及してこない。
彼の優しさにも、感謝した。
尚人と一緒にいたのは、中学の頃。
今年、私は高校生になった。
今私と関わりのある人で、尚人と私が並んで歩いているのを実際に見たことがあるのは、唯一同じ中学だった加奈子くらいしかいない。
環境が変わり、私もどんどん成長して、周りの人もどんどん変わっていく。
何だか、私一人が不安になったり淋しがったりしてるみたいで……すごく切なかった。
(尚人のバカ……私、奪られちゃうからね)
目を閉じ、心の中でそう言ってやった。
テレパシーみたいに、今すぐ伝わればいいのに。
「――告られたの?」
「うん」
教室に戻ると、真っ先に加奈子の元へと戻る。
加奈子といると、なんだか現実味の無くなってきた尚人の存在がちゃんと感じられて、居心地が良かった。
「断ったんだよね?」
「もち」
「……」
向かい合わせに座ると、不意に加奈子みが頬に触れてきた。
「ユリ、しんどそう」
「加奈子に会ったから、元気になったよ」
「うん……そうだね」
普段なら、これでこの話題は終了するはずだった。
だから、私は心の準備が出来てなくて――
「藤原、いい奴だよ」
加奈子がそう言ってきたときは、心臓が壊れるかと思うくらい、驚いた。
まさか、藤原くん――さっき私に告白してくれた男の子の名前が出てくるなんて。
「いっつも、ユリのことよく見てるし、気に掛けてる」
「……」
「……ユリ」
「ごめ……何か、私……ごめん……」
「ユリ!」
動揺して、私は教室を飛び出した。
急に、涙腺が壊れちゃったみたいに涙が溢れて、どうしようもない。
前も見ずに走っていると、突如ドンと何かにぶつかってしまった。
「あ……」
顔を上げれば、そこにいたのは藤原くんで。
目を見開いた彼を置いて、私はそのまま走り去った。
(ごめん、加奈子……藤原くん)
二人とも、私にすごく良くしてくれたのに。
どうして、こんな風に台無しにしてしまうんだろう?
自分が、すごく嫌になった。
(尚人が悪いんだからね……バカ!)
心の中で悪態をつくと、そのまま再び屋上へ出た。
階段を駆け上がってきたから、胸が痛いくらいに息が上がっている。
「尚人の……バカ……」
トボトボと手すりの方へと歩いていき、その場に座り込む。
尚人って、どんな顔をしていたっけ?
尚人って、どんな声をしていたっけ?
あんまり連絡くれないから、私……私、忘れちゃいそうだよ。
夢でもいいのに。
どうして、声を聞かせてくれないの――?
「……ユリ」
のろのろと振り返れば、辛そうな顔をした加奈子と、心配そうな顔をした藤原くんが立っていた。
「ねぇ、ユリ」
そう言いながら、何故か加奈子は涙を流しながら、私をぎゅうっと抱き締めてきた。
「加奈子……?」
「もう……やめようよ」
「え……」
「もう、やめようよ! ユリ、幸せになってよ!」
加奈子の大きな涙が、ひと粒、またひと粒とこぼれていく。
「尚人から、連絡は来ないよ!」
「……」
「ねぇ、来ないでしょう?!」
肩をがくがくと揺らされながら、私は呆然とした。
目が、耳が、心が――すべてを拒もうとする。
「藤原は、いいヤツだよ……知ってて、ユリを守りたいって、言ってくれてる……!」
「加奈子……」
藤原くんも顔を歪めながら、加奈子の肩をそっと叩いた。
「ユリ……ゆっくりでいいよ。もう、『こっち』へおいで」
――ねぇ、尚人。
尚人は、この手をとって欲しいから、連絡をくれないの?
それを、尚人は望んでいるの?
「私は、尚人を待たなきゃ……」
「ユリ!」
だって、ほら。目を閉じれば、見えるんだもの。
一緒にアイスを食べながら、通学路で手をつないだ。
お祭りの音が聞こえる神社で、初めてキスをした。
勉強を教わる時、体が近くてドキドキした。
名前を呼ばれるだけで、胸が熱くなった。
目が合うだけで、全部わかり合えた。
「私には、尚人が――」
「尚人は、もういないの! もう、帰ってこないの! !」
やめてよ。そんな涙声で、そんなことを言わないで……
まるで、それが本当のことみたいじゃない?
「ユリのせいじゃないよ……」
「やめて……」
「尚人は死んじゃったでしょ?!」
あぁ。聞きたくなかったよ……。
『ユリ、好きだよ』
私も、好きだよ……。
あの日も、こんな青空だった。
青空の下、尚人は笑顔で、空港を発った。
『お土産、楽しみにしててね』
『うん! ちゃんと夜電話してよ?』
『当たり前だろ』
『早く帰ってきてよ?』
『いい子で待ってたらな』
旅行先で、照れながら私へのお土産を探すからと言って、両親から離れた後すぐに事故に遭ったと聞いた。
即死だったらしい。
たった一人の、大好きな幼馴染み。
私のすべてを知って、好きになってくれた人。
海の向こうで、尚人が何も言わずに、どこかへ行ってしまうはずなんてない。
私にさよならも言わずに、いなくなるわけがない――
「ユリ……ゆっくりで、いいから」
藤原くんが、静かに語りかけてくる。
尚人みたいに、細い茶色の、綺麗な髪。
私は、空を眺めていた。
「忘れなくって、いいから」
藤原くんは泣き崩れる加奈子をそっと座らせると、私の側へやってきた。
「忘れなくって、いいから。……少しずつでいいんだよ」
「……」
その晩。
上手く説明出来ないけれど……私は、半ば覚悟をしてベッドに入った。
「私たち」の最後のときが、きっとすぐ側にやってきている。
――そんな、気がした。
眠りについた後、すぐ側に、懐かしい香りを感じる。
朦朧とする意識の中で、私は声にならない声を発した。
名前を呼ぶように、目を閉じたまま感覚を研ぎ澄ませる。
『そのまま、聞いてて』
尚人……
『いっぱい、泣かせてごめん』
尚人……
『これからも、ちゃんと、側にいてあげるから』
まぶたが、熱い。
ねぇ、目を開けてもいい?
『まだ、だめだよ』
懐かしい、私を諭すような、なだめるような声。
『ユリ、ありがとう』
尚人は、言った。
『ずっと変わらず想ってくれてて、ありがとう』
行かないで。
お願い、置いていかないで……!
『行かないよ。そばに、ちゃんといてあげるから』
本当に?
『うん。信じて……』
尚人……
そっと、重たいまぶたを開いてみる。
『ありがとう』
「尚人……」
あぁ、そうだった。
私の愛した人は、こんな顔だったっけ。
こんな風に、笑うんだっけ……
『そばにいるよ……でも』
懐かしい香りが、私を抱き締めた。
そして、私に最後の願いを告げる。
私が伸ばした腕の先から、彼の気配が近付いてきて……少しだけ、唇に温かみを感じた気がした。
『さようなら……大好きだよ』
涙の跡が乾かない顔のまま、私はカーテンの隙間から差してくる朝日を眺めていた。
(お別れ、言われちゃった)
やっぱり、律儀なヤツ。
全然、変わってないんだから。
今度は、私が……尚人のお願いを、聞かなきゃいけない。
「加奈子」
「ユリ……」
教室に入って見付けた加奈子は、元々美人な顔を……目を腫れぼったくして、私の目を見つめてきた。
「あのね……」
大丈夫。もう、泣かないよ。
「昨日の晩、初めて尚人がお別れを言いに来てくれたの……」
「――っ」
加奈子が泣くから、やっぱり私もつられちゃった。
教室で抱き合いながら泣く私たちを、クラスメイトは不審な目で見てきたけれど。
「……良かったね」
藤原くんが、優しく声をかけてくれた。
「うん……」
『ユリ、笑って』
ねぇ、尚人。
ずっと、会いたかったよ。
ずっと、会いに来て欲しかったよ。
会いにきてくれて、ありがとう。
最後に、声を聞かせてくれて――
「ありがとうね……」
今日も空は、抜けるような青色だった。
fin.
珍しく切なさが主成分となる小説を書きました。
未熟な点も多々あったとは思いますが、最後までお読み下さりありがとうございました!