雨の日にアメを売る少女
一人の少年が傘もささずに大雨の中を走っていた。黒い学ランを着ていることから、中学生か高校生だろう。
元々人の少ない町。周りを見回しても田んぼしかない。
「急に雨が降るなんて……」
少年がぶつぶつと言う間にも、雨は容赦なく身体を濡らしていく。肌に衣服がまとわりつき、うっとうしい。濡れた服は重さを増し、動きにくい。
走り続けていると、前方にカゴを持った一人の少女の姿が目に入った。彼女は傘もささずに立っている。奇妙に思いつつその前を過ぎようとしたとき、少女は微笑んだ。
「アメはいりませんか?」
「……え」
止まる気などなかったのに、自然と彼は足を止めていた。ぽかんとしながら、少女の顔に目を向ける。
「アメはいりませんか?」
「あんた、何してんだ?」
雨が降り出してから走り続けていた少年は、息を切らして問う。
「アメを売ってるの」
「ア、アメ?」
少女はカゴからアメを一つ取り出し、少年に見せる。見た目は普通の店にも売っていそうなもので、包み紙は両端がねじられているタイプだった。
「一粒なめればあなたも幸せ」
変な奴だ、それが感想だった。少年は関わりあいにならないように、目をそむけた。
「いらない? じゃあこれ。嘘のように疲れがとれるんだよ」
「いや、いらないって」
遠慮しないで、と少女は諦めずに少年の手をとるとアメをしっかりと握らせた。
「なめて」
少女はかわいらしい笑みで少年を見上げる。なぜだか拒否する気をなくさせる、そんな笑顔。
少年が包みをあけると、透き通った黄緑色のアメが顔をだした。色から判断すると、マスカットかメロン味だろう。真ん丸のそれを、仕方なく口に含む。なめれば味を感じる、それは当たり前なのだが……。
少年は顔をしかめ、疑惑の眼差しを少女にぶつけた。
「真ん丸黄緑キャベツ味」
少女は微笑みながら歌うように呟く。
「な、なんでキャベツなんだよ!」
「……レタスがよかった?」
「どっちもおかしいだろ!」
口の中に広がるキャベツ味。
「そう? でも効果はあったみたいだね。お兄ちゃん、元気だもん」
少年は言われて気がついた、先程までたまっていたはずの疲れが、嘘のように消えている。
「甘いもの……いや、アメってこんな早く疲れとれるものなのか?」
「これは魔法のアメなの。だからだよ」
少女が手を高くのばすと、ビニール傘――普通のコンビニに売っていそうなものだ――が現れた。何事かと目をこする少年になど構わず、少女は傘を開いた。
「見てて」
開いた傘をさし、少女はくるくると回し始めた。雨粒が傘にあたり、下へと流れていく。
「くるくるくるくる雨からアメへ」
リズムよく呟かれる少女の言葉にあわせ、傘に触れた雨粒は弱い光を発する。その光はビー玉ほどの大きさになり、光は消えた。
「雨からアメへ」
光を失ったそれは、固形へと姿を変えて地へ落ちそうになる。するとカゴが勝手に動き出し、地に当たる前にそれを回収する。カゴを確認すれば、その中にはアメと思われる丸いものがたくさん入っている。
雨はまだ降っているが、最初に比べれば弱くなってきたようだ。
少女は傘を閉じた。再び彼女の身体に雨粒が当たる。
「なめる?」
少女はアメを一粒取り出すと、小さな手で少年に差し出した。
「……何が起きたんだ」
少年は目を思い切りこすった。非現実的なことが起きている。何が起きたのか、理解できない。彼は少女の手にあるものを凝視する。
「私、雨の日にアメを作って皆に売るのが仕事なの」
「……お前、何者?」
「雨っていうの。空から降る方の雨」
雨の日にアメを作って皆に売る目の前の人間の名前は雨。駄洒落みたいだな、と呆然としたままそんなことを少年は考えた。
「……雨っていうのか」
「うん、雨だよ」
少女は空を見上げた。少年もつられて顔をあげる。雨は降り続けている。 少年はびしょぬれだが、ここまでくるとどうでもよくなってきていた。少女は雨を気にせず、アメの包みを開いた。
「……うん、いい感じ」
「それは何味なんだ」
少女の手にはオレンジ色の丸い粒がのっている。
「まん丸オレンジ人参味」
「……なんでオレンジじゃないんだ?」
「え、オレンジ色だよ! 奇麗なオレンジ。目、悪いの?」
少女は本気で驚いている。
「……なんで果物の方のオレンジじゃなくて、人参なんだ?」
少年は頭を抱えながら聞く。口の中にはまだキャベツ味が残っていた。
「あのね、野菜はアメになるんだよ! 本で読んだの」
少女は瞳を輝かせる。ぴょんぴょんとはね、水がはねる。
「何言ってんだよ。野菜はアメになるって、意味分からねえよ」
「イチゴは野菜なんでしょ?」
「えっと、そうだったかもしれないけど……」
結局あれってどっちなんだっけな……断言できない問いに少年は言葉を詰まらせる。
「それに見て。このページ」
少女は一冊の本を開き、少年に見せた。ページが雨に濡れて染みになるが、それはどうでもいいらしい。少女はある写真と文章を指差した。
「何々、タマネギを飴色になるまでいためてください……」
少年はそこで言葉を止めた。彼女が指差す写真では、誰かがタマネギをフライパンで炒めている。何の料理を作っているかなど、問題ではない。問題なのは……。
「ね。タマネギ、飴色になるまでって」
少女は瞳を輝かせている。飴色と言われても料理になど詳しくない少年には分からない。だが「飴色」と表記するのだから、何かの飴の色に似ているのかもしれない。
しかしこれで理解できるはずもない。
「いや、これは」
「飴色になるってことは、おいしいアメになるってことなんだよ」
「うーん……」
少年は頭を抱えた。否定したいが、したところで目の前の少女が納得するとは全く思えない。
雨はその勢いを弱め、小雨になっていた。
「だからね、野菜味のアメを作るの! だけどタマネギ味がまだ作れないんだ」
「作らなくていいよ」
「ううん、作る! 色々なアメを作るの!」
少女は意気込んだ。その拍子にカゴからアメが飛び散った。色とりどりのそれが、地面に散らばる。それらはまるで雨に吸収されるかのように、溶けて消えてしまった。
「アメは幸せを運んでくれるんだよ。色々な味があれば、その分幸せは増える」
少女は楽しそうな笑みを浮かべながら、少年に語る。それはとても幸せそうな表情だった。
「……とりあえず食べる前に何味かちゃんと教えろよ。普通に黄緑のアメ渡されても、野菜なんて想像しないからな。あと、俺行くから」
「え、行っちゃうの? じゃあ、待ってて。今、いろんなアメ作り直すから」
少女は再び傘をさすと、くるくると回し始めた。傘に当たる雨粒が、再び姿を変える。ころころと転がり落ち、カゴが優しく受け止める。カラフルなアメ、ころころころころ……。
「さっきより小さいな」
少年の目に映るのは、最初受け取ったものに比べ、小粒だった。
「うん。雨が弱くなってきたから……もうやみそう。仕事できなくなっちゃう」
少女は寂しそうな顔で空を見上げている。
雨はますます弱くなる。
「雨の日にアメを作って売るのが仕事だったな。だけど雨の日じゃ客なんていないんじゃないのか?」
「……そうだね。でも、雨の日じゃないとアメは作れないし、そしたら売る事もできないから」
少女は困ったように笑う。
「雨の日に作って、晴れの日に売ればいいだろ」
少年が提案すると、少女は静かに首を横に振った。
「無理だよ。私、雨だもん」
「ああ、雨って名前なんだよな。でも変わった名前だよな」
少女は先程よりも激しくかぶりを振った。
「私、雨だから」
少女はハンカチに色々なアメを包むと、それを両手で少年に渡した。彼は受け取り、鞄に突っ込む。
「よくわかんないけど、そろそろ帰るよ。じゃあな」
少年は少女に背を向けた。違和感を感じて空を見上げると、雨はやんでいた。少年はずぶぬれの学生服の裾をしぼる。髪の毛も手で握りしめれば、同じように水が垂れていく。
「あ、今度は晴れの日に来いよ。そしたらまたアメもらって……」
何となく振り向くと、もう少女はいなかった。
「……あいつ、どこ行ったんだ?」
田んぼしかないこの周辺、隠れられそうな陰はないはずだ。少年は首を傾げ、辺りを見回した。だがどこを見ても少女の姿は見つからない。
彼女が持っていたカゴも傘も、見当たらない。
少年は鞄を開いた。自分のものではない水色のハンカチを手に取り、中を開いた。色とりどりのアメが顔をだす。
アメを掴み、ここにあることを確かめると、包みを開き赤い粒を口に放り込んだ。
(……トマト味?)
すっかり雨のやんだ空の下で、少年は顔をしかめながらトマト味を感じていた。
空は青く晴れている。
先程までの雨が嘘のようだ。
雨はもう降っていない。
そう、雨は消えたのだ。
文芸部で「雨」というお題を出され、書いた作品です。
読んでくださりありがとうございました。
ジャンルを決めるの苦手なんですが、これって文学……? でもファンタジーというほどファンタジーしてないので、文学にしておきます。