彼女が言うことには:西宮 東編
グループ小説と言う企画で書いた小説です。是非他の先生の小説も「グループ小説」で検索すれば出てくるので見てみて下さい。
かた。ごそ。ざわ。ぎっ。
そのどれともつかない様な音が良介に聞こえ始めたのは何時頃からだっただろう。寝始めてからすぐだったのかもしれないし、夜半過ぎだったかもしれない。とにかく小さな音が断続的に良介の部屋の中で鳴り続け、耳から離れなかった。
うるさい。
いつしか良介の頭の中はそんな単語で埋め尽くされ、睡眠という概念が脳の中心に居座れなくなったので、良介は仕方無しに起きた。
変な体勢で寝ていたのか、まるで生気を抜かれたかのように身体が重い。それ以上に身体の上にのっかっている布団が重かったので無理矢理どかせた。
重たい音と共に良介の散らかった部屋の床に布団が落ちる。そんなことは気にせず、カーテンを閉め忘れていた窓から何気無く外を見る。
月の見えない、気持ちばかりの星だけが散りばめられた汚染された都市の夜空が見えた。
真っ赤な月なんかより、何もない夜空なんかよりよっぽど怖い空だ。
そんなモノからはすぐに目を離し、今それなりに必要な時計を見た。寝ぼけ眼が徐々に正常に、正常な目が段々暗順応をして、ようやく時間がわかった。
「げっ……三時半かよ……」
起きるにはあまりにも早すぎる時間。普段なら熟睡の真っ直中であるはず。それが起きていても気付きそうにない微音で起きてしまった。
その不快さに軽く舌打ちをし、部屋を見回す。早いとここの不快音の犯人を暴いて、さっさと二度寝をしようと灯りをともす。長年住んでいるこの部屋だ。灯りなんぞなくても、電気のスイッチぐらい分かる。
ぱちん、という乾いた音に続いて部屋が明るくなった。
右を見て、左を見て、念のために天井もベッドの下も確認した。当然のごとく何も無い。ある訳がない。
そんな当たり前のことにほっとして、すぐに布団をベッドの上に戻って掛け布団の上に寝転がる。眠くて眠くて仕方なかったので電気を消す気にもなれず、うつ伏せになり左手をベッドの外に投げ出す。
「 て」
「――っ!」
確かに聞こえた音。いや、《声》。
人間の聞く音階から外れている所為なのか、聞き取れなかったが間違えなく《声》だ。それに敏感に反応してしまい声にならない声を上げる。
いつから良介の部屋はホラーな空間になってしまったのか。間違えなく昨日までは日常的な夜を過ごした。それなのに何で今日になってこんな《声》が聞こえるようになった理由は良介には見当もつかない。
「話を聞いて」
今度はちゃんとした人間の音階で《声》がしたんでしっかりと聞き取れた。
割と軽い女の声。幽霊にありがちな恨めしさや懇願・哀切の類は声に混じっておらず、日常的に友達にでも話しかける感覚。
「おーい、聞こえてないのー?聞こえてないならどっかいくよ?」
「ああ、ごめ――」
返事をしてしまった。致命的なミス。これではまるで危ない人だ。
焦って途中で口を押さえ、言葉を止めたがもう遅い。
「なんだ、聞こえてんじゃん」
「声は聞こえど姿は見えず、ってところ」
人間、本当に不可思議な出来事に遭遇したときにとる行動は大まかに分けて二つ。
現実逃避にパニクるか、逆に落ち着く。どうやら良介は割合の圧倒的に少ない後者だったようだ。
「あ、そうなんだ。今、目の前にいるんだけど見えてる?」
「見えてねぇ――って、おわっ!」
いきなり目の前に現れた女性。グラデーションの様にゆっくり変わるのではなく、テレビのチャンネルが変わるくらい唐突に現れた。
「一応言っとくけど、不法侵入だな」
「一応言っとくけど、幽霊は人間の法律外」
いくら落ち着いているとはいえ、目の前で『幽霊だ』なんて言われても良介に信じれるはずがない。
それに夢という可能性もある。それなら時間帯が三時半だというのにも納得がつく。だから良介はなんでここにいるのかなんて無粋な事は訊かなかった。
「幽霊さんが一般市民である俺に何の用?」
「そこまで平静でいられると幽霊としてはショックな気もするけど、下手に慌てるよりはいいね」
女幽霊はかすかに笑い、一方的に話を始めた。
「私、ついこの間、死んだんだけど、心残りがあってさ。簡単に言えば手伝えって話なんだけど」
「実に簡潔な話なことで」
突然出てきて、手伝えなんて自己中にもほどがある。
ふと、幽霊ってことは自分は憑かれているか、この部屋の地縛霊にでもなったのかと思った。出ていく、と言っている以上憑かれているのだろう。
したがって女幽霊と一緒に住まなければならないという事になる。出て行くならそれでもいいと思ったが、相手の方が立場は優位。良介に選択肢はなかった。
「オーケー、手伝ってやるよ」
「えらくあっさりだね」
どうして、と幽霊は尋ねる。良介はそのままこと細かく言うのもあほらしいと思い、
「面白そうだから」
簡潔にまとめてそう言った。
―●―
朝起きると目の前に女がいた。
昨夜のことを忘れるほど良介の記憶力は悪くない。夢オチにしたかった良介としては残念至極。
あの後、そのまま起きているのも辛いので良介はそのまま寝た。常人からは考えられないほどの精神力だ。
「おはよ」
「……おはよう」
比較的目覚めのいい良介は落ち着いて対応した。
そんな良介をみてか、その幽霊はいろいろな過程を飛ばして話を始める。
「でさ、今日は――」
「待て」
さすがに良介はそのテンポについていけなかった。それに、いろいろ考えなくてはならない事がある。
今日は五月第三週の月曜日。つまり平日で学校がある。そこまで良介は真面目でないからサボることにした。
問題は情報量が少なすぎる事。
「俺の名前は良介。お前は?」
そう、良介たちは未練どころか、互いの名前させも知らない。
「今更だけど、あたしの名前はゆうり。よろしく」
握手しようとしたが当然の如くすり抜けた。分かっていたので、二人ともが苦笑いするだけで済んだ。
とりあえず着替えるため、ゆうりに視線をはずしてもらう。一応学校をサボっているのだからそこまで目立つ格好をするわけにもいかない良介は、わりとラフ目の服を選択した。
家の中でこうしていても仕方ないので、親にばれないようにそっと家を出る。その時に分かったことなのだが、良介以外にゆうりは見えていないらしい。
これでは外でおちおち話すことも出来ないので、二人で考えた末に思いついたのはケータイをずっと耳に当てておく事だった。公共機関内ではそういうわけにもいかないので、メールに文字を打ち、代用する事に決定。
外に出てからはゆうこの指示に従い、バスを使って隣の町まで来た。
その間にゆうりと良介の会話で分かったことがいくつかある。主に良介がゆうりから話を聞く形だったが。
まず、ゆうりは良介から一定距離はなれられないという事。憑かれているのだから当たり前と言えば当たり前だ。
そして、互いが同じ年など、有利にとっては生前だが、いくらか共通点がある事。
だが分からない事もある。それはゆうりがついた理由。同い年の人間なんて世界にごまんと居る。その中で良介が選ばれた理由だけははっきりしなかった。それにお互いに探ろうともしていなかった。
そんなことを話している中で最も重要だったといえば、やはりゆうりの未練について。
ゆうりの口から時々思い出したように発せられる長めの言葉を良介がまとめると、
『母親のために買い物へ行き、そこで事故にあったから、その買い物を母親に届けたい』
という感じだ。良介はえらく小さな願いだと思ったが、口にはしなかった。すべき事ではないし、当人にしか分からない感情もある。それは他人が蹂躙してはならない事であるぐらい良介も理解していた。
バスを降りて、ゆうりに言われたとおりに歩くと花屋に到着。そこで黄色い花を四つ、赤っぽい花を一つ買った。もちろん良介のお金で。
さらに歩いていくとある家の前でゆうりは突然、
「止まって」
と余裕のない声で言葉を発する。
家の玄関に目をやるとそこには『喪中』と和紙に書かれた字が貼ってあった。ここがゆうりの家らしい。
「これから私が言う事をそのままなにも言わず再現してね」
良介は無言でうなずく。何も言うなといわれたからにはもう喋らない。
「まずケータイ仕舞って」
ケータイを折りたたみ、電源を切って、良介はバックに放り込んだ。
「家の前に花をおいて」
綺麗にラッピングされた花束を玄関を開けても邪魔にならない位置に置く。
「チャイム鳴らして」
軽く指で押すと、ピンポーンと軽快な音が鳴る。
「さぁ、ダッシュ!」
「はぁ?!」
思わず良介は声を上げてしまったが、よく考えたら当たり前だ。ここに良介がいても説明の仕様がない。
スタートが遅れた分、全力疾走して玄関がギリギリ見えるぐらいの位置で緊急停止した。
息を整えていると、だいぶ遅れて力のは入ってないのが分かるほど衰弱しきった女性が出てきた。その女性は間違いなく、ゆうりの母。その女性を二人は固唾を呑んで見守る。
玄関にだれも居ない事を不思議に思ってか、辺りを見回すゆうりの母。そして地面で視線が止まる。途端、その人は全てが通じたのか感情を抑えきれず声を上げて泣き出した。
地面に置かれた黄色四つと赤一つの《カーネーション》を見て。
良介はそこを一歩も動かず、その場にただ立ち尽くしていた。
―●―
二人は何も言わず部屋に帰った。
家に着く頃にはもう日はだいぶ傾いており、空は真っ赤だった。
「あー、疲れた……」
「ははは、ご苦労様」
部屋に入るなり良介は突然しゃべりだした。
「でも、面白かった」
「それは人の感情としてどうかと思うよ」
それもそうだな、と良介は笑い飛ばした。それにつられるようにゆうりも笑う。
二人は少しだけ最後に話し合う。
良介はゆうりが送った《カーネーション》は母の日のプレゼントって言うのは自分ですぐ分かったが、何で母親までもがゆうりからのプレゼントと分かったのかを訊いてみると、答えはすぐに返ってきた。
毎年同じものを送っているから、だそうだ。笑えるぐらい単純。だから二人してまた笑った。受け取った母親からみればそれで十分なんだと思うけど。良介は未練にしては十分に大きい理由だな、と皮肉まじりに答えておいた。
「ああ、そういえば」
そろそろ話題がつきかけてきた頃、良介は何の前触れもなく少し重めの口調で言葉を紡ぎ始めた。
「一応言っとく。さよなら」
「そだね、私とももうおさばらだね」
自分が消えるというのにゆうりはえらくあっさりと受け入れた。
良介には幽霊よりも濃い未練があるというのに。
「じゃあ私も一応。さよなら」
たはは、と笑いながらゆうりは言う。一緒に一日を過ごし、ゆうりはどうしてこうも素直に笑えるのか不思議で仕方なかった。
もう二人ともが別れを告げ終わり、ゆうりには未練はない。もう一度良介が目を閉じればゆうりは居なくなるだろう。幽霊なんてそんなもの。部屋までやってこれたのが不思議なぐらい。
目が乾いてきた。そこで良介の悪知恵が働いた。
「もう一ついい忘れた」
「ん?」
目を閉じかける。だが閉じる寸前に、良介は一つの《罠》をゆうりに仕掛けた。
「お前のこと、好きだ」
「へ?」
良介の目に最後に映ったのはゆうりの唖然とした間抜けな顔だった。
もう目を開いてもゆうりはそこには居ない。だから目を開くことなく、良介はそのまま眠りについた。
―●―
後日談。
朝起きると目の前に女がいた。
本人曰く、良介が言った最後の言葉が未練になり、そのまま現世に残ってしまったらしい。
良介は自分の愚行と先の事を考え、そっとため息をついた。