母の気持ち
「もう~どうしてそんなことも出来ないの?赤ちゃんじゃないのに!ほんっと!情けない!いい加減にしてよ!!!」
毎日毎日、彼女は怒鳴った。ヒステリックに。
その声は家中に響き渡る。
「どうして、そんなにこぼすの!しっかり食べてよね!」
毎日毎日、母は食事をこぼし、そして服や床を汚した。
毎日毎日、母はトイレが間に合わず下着や布団を汚した。
毎日毎日、彼女は怒鳴った。
毎日毎日、彼女はイライラしていた。
抑えきれないどうしようもない怒りが込み上げる。
「もう!!!なにやってるのよ!!!!どうしてそんなこともできないの!!!いつもいつも誰が掃除してると思ってるの!!!」
彼女は怒鳴らずにはいられなかった。何度も手を上げそうになった。目に見えない怒りに支配されそうになり、歯を食いしばり我慢した。
そして彼女は母を睨みつけた。
母は、口癖のように
「早く死にたいよ。」
と言った。
「じゃあ、早く死んでよね!」
と口に出したいのをグッとこらえた。わかっている。それは本心かもしれないけれど、人として言ってはいけないのだろう。
そんなある日、彼女は階段から足を外し、腰を打ち入院した。痛くて痛くて、まったく動けない。座ることすらできない。寝たきりの生活。もしかしたら一生寝たきりなのでは?後遺症や麻痺が残るのでは?と恐怖で眠れない日々を過ごしたが、検査の結果、幸い後遺症もなく全治2ヶ月ほどのヒビですんだ。
しかし不自由なことには変わりない。
まったく動くことができない。
食事も横になって食べるしかない。体を少しでも起こすだけで激痛が走る。思うように口に運べずにこぼした。シーツが汚れた。
惨めだった。シーツ交換は週に1回だった。汚れたままで過ごした。
おしっこがしたい。ナースコールを押すが、忙しいためか、いつも人員不足のためか、なかなか看護師は来てはくれなかった。
そして・・・我慢できずに失禁してしまった。
惨めでしょうがない。
(なんでこんな目にあわなければいけないの?)
とその時・・・
ふと母の言葉が蘇った。
「早く死にたいよ。」
同じだった。寝たきりになり、何も自分で出来ない、こんな情け無い思いをするくらいなら死んだほうがましだ。本気で死にたいと思った。
誰だってそう思うだろう。
そっか、きっと母は、もっともっと惨めだったのだろう。
誰よりも気丈に生きてきた母。自分の事はなんでも自分でしてきた母。
それがいつの間にか、自分のことすら自分でできない。蔑まされ、疎ましがられ、罵られ。
そんな惨めな人生なら誰だって死にたいだろう。
どうしてもっと早く気づかなかったのか。
退院したら、優しく接しよう。
そして伝えよう・・・お母さん、ごめんなさい。
退院した彼女は、一番に母親の元へ。
母は、震える手で一生懸命食事をとっていた。
わかっていた。好きでこうなったわけじゃないって。
わかっていた。母なりに、一生懸命、迷惑かけないようにしてるって。
本当はわかっていた。それなのに・・・毎日毎日のイライラ。誰も助けてくれない。彼女にはどうすることもできなかったのだ。厳しく当たるしか。
いつも綺麗好きで立派だった母。躾に厳しかった母。なんでも卒なくこなした自慢の母。誰よりも優しかった母。誰よりも心配してくれた母。
どうしてこうなったの?まるで別人のように・・・。
あの頃へ戻って欲しい。その想いからきつく当たるのもしょうがない。
どうして?母のため?人間らしく生きて欲しいから?世間体を気にして?片付けるのが面倒だから?
わからない。全てなような気もするし、そうでないのかもしれない。わからない。でも、怒るのは間違っている事だけは確かだった。
そして、ほんの少しでも本気で「早く死ねばいい」と思ってしまった事を恥じ、後悔した。
「お母さん・・・ごめんなさい。」
彼女は泣きながら謝った。
母は、
「私こそ、いつもあんたに迷惑ばかりかけてごめんよ。」
老いた体、老いた顔、あの頃のしっかりした母はもういない。しかし、その面影に昔の母の優しさがにじみ出ていた。
!!!!!
その表情をみて彼女は悟った。
口癖のように言っていた
「早く死にたいよ。」
それは、情けない自分自身に向けた、楽になりたいという気持ちではなく、他人に迷惑をかけたくない。
なにより娘に迷惑を、そして心配をこれ以上かけたくないという、親心だったことに。
彼女はまた涙した。
終
読んでいただきありがとうございます
スノボで腰の骨を折り寝たきりになってしまい、その時に思いついた作品です
やはり病気もそうですが、実際になってみないと本当の辛さはなかなかわからないですよね




