妄言は大概になさいませ
学園最後の夜会で行われる婚約破棄。「妄言は大概になさいませ」
「妄言は大概になさいませ」
エトワール学園。すべての貴族の子息令嬢、そして選りすぐりの平民がこの学園にて国の未来を担うための勉学に励む。貴族にとってこの学園に入校し卒業することは名誉であり、格式の一つともされた。この学園に入校できない、もしくは卒業できないものはなにかしらの問題があるとされるほどである。
平民の場合、入りさえすれば例え勉学が振るわない成績だったとしても大いに評価されるものだ。
そして今夜は卒業式を前に最後の学生生活を楽しむための夜会が行われていた。学生達は卒業後も貴族同士、または優秀な平民に目をかけ将来へのパイプづくりとする場であり、間違っても近頃平民の間で流行しているような【婚約破棄・断罪劇】を繰り広げるような場ではない。
それなのに、そんな当たり前のことをわかっていない愚か者が今年も現れた。いや、これまでの中で最も荒唐無稽、滑稽、無様…そう言われるであろう馬鹿げた夜になった。
「マリア・ヴィスコッテイ嬢、ここへ!!」
学園のダンスホール。皆それぞれに夜会の正装に身を包み音楽に体を預け優雅なダンスを披露していた。方々のテーブルでは料理とシャンパンなどが並び、それを囲むように学生達はこれまでの思い出話やこれからの話に花を咲かせる。
音楽も佳境に乗り、そろそろダンスもフィナーレ…最後を見届けようと多くの者たちの視線がホール中心の方へと目を向けられたとき、1組の男女が踊りもせずカツカツと足音を立てて踊る者たちを押しのけ進み出てきたではないか。ピタリと身を寄せ合い歩く姿は決してただのダンスパートナーの距離ではないことを物語る。踊りもしない時点でダンスパートナーもへったくれもないが。
そして音楽がピタリと止むと同時に男は声を上げたのである。
彼の名はヘンリー・ヴァンハイム。伯爵家の子息であり、卒業後は父の下について領地経営を学ぶことになっていただろうか。音楽が止んだ会場のあちらこちらでヒソヒソとささやき声が飛び交うも彼は一切期にすることなく、もう一度「いるのは知っているぞ、マリア・ヴィスコッテイ嬢!」と名を叫んだ。
会場の視線がゆっくりとヘンリーから外れ、一つのテーブルへと向けられていく。
「あの、マリア様?」
そのテーブルには幾人かの女性がついており、亜麻色の髪と菫色の瞳を持った令嬢は扇で口元を隠してはいるが隠そうとしていないため息をつくとゆっくりと見世物となる中央へと優雅に歩を進めた。
「これはヴァンハイム様、ご機嫌麗しゅう」
人の名前を荒々しく叫ぶ時点でご機嫌もへったくれもない嫌味をこめつつ、優雅なカーテシーでヘンリーの前に立つ彼女こそがマリア・ヴィスコッテイ子爵令嬢である。
「マリア・ヴィスコッテイ。私は貴様との婚約を破棄することをここに宣言する!」
ざわつく会場。ええ、私も皆様と同じ傍観者の立場でしたら同じようにしていたでしょう。でも呼び出されてここに立っている私はいわゆる当事者というやつなのでそのような真似をする訳にはいきませんが。もう一度扇で口元を隠しながら色々と言ってやりたい気持ちをまずは飲み込み、頭を冷静にする。
「これはこれは、ヴァンハイム様。どういうことでしょう?」
色々言いたい気持ちをとりあえず簡潔に一言にまとめたらこれに尽きる。なにをどうして婚約破棄?ええ全くもってわからない。とりあえずヴァンハイム様の横にいらっしゃるご令嬢もまず間違いなく関係者でしょうが、これが巷で噂される婚約破棄騒動というものでしたら色々と間違っていますことよ。
「貴様のそういう態度が気に食わんのだ。私の婚約者だというのに可愛げのかけらもない。私は貴様との婚約を破棄し、ここにいるヘラ・ランスロット伯爵令嬢と婚約を結ぶ!」
…勝手にされるとよろしい。そう言いたいのだが待ってほしい。
「誰と誰が婚約関係にあってそれを破棄するとおっしゃいまして?」
「私と貴様以外に誰がいる。そもそもただの子爵家など私と家格が合わない家となぜ結婚せねばならない。家格が合わず、婚約者を立てることもせず、可愛げの一つもない貴様と何故!」
彼の苛立ちの声は実に会場中によく響き渡ることである。間近でぶつけられる私は耳鳴りがしそうだ。しかも私の家を馬鹿にしましたよね?ただの子爵家ですって?我が家は陛下直々に侯爵家までの家格を与えることを打診いただきましたがそれを断っての家格ですわよ。伯爵家のあなたよりも上の家格を打診されたのですよ。
可愛げがないと申されますが、あなたと関わることがそもそもそんなにありませんでしたでしょう。
というか本当にもう…
「妄言は大概になさいませ」
なんで前提が間違ったまま糾弾されなくてはならないのか。間違いを正してから話をさせていただきましょう。
「そもそも、私がヴァンハイム様と婚約関係だったことなどただの一度もございません」
そう、婚約関係にあるものが破棄騒動を起こすならわかる。だが私達の間にそんな関係があったことは一度たりとも存在しない。一度たりともだ。
するとまるで鳩が豆鉄砲を食らったかのような、目を白黒とさせてこちらを見てくるヴァンハイム様。いえ、もうこんな騒ぎを起こし巻きこむような方に心内まで丁寧にする理由もございませんわね。愚か者で十分。
「婚姻関係が、ない?何を言っている?」
「事実そのものでございますが?ではヴァイハイム様、お伺いいたしますがこの学園に通っている間、私達はそれらしいことをしまして?婚約者ならば昼食を一緒にすることが多いと存じますが、私達は一度も同じ席についた記憶はございません」
私はいつだって同じ子爵家のご令嬢、または男爵家のご令嬢や時には平民の皆様と談義をしながらいただいておりましたが、その中にこの愚か者がいたことはない。
「そ、そんなの俺が誘わなかったからだろう」
「私からもお誘いした記憶はございませんわ」
誘う関係でもないのだから。
「学園の行事の中に婚約者がいる方は連れ合い参加をするものもございますが、こちらもご一緒にした記憶がございませんね。誕生日に贈り物を頂いたこともありませんし、季節のご挨拶のお手紙一つ頂いた記憶もございません。本当に婚約関係があったとしたら、ヴァンハイム様は随分と人をないがしろにするのがお好きなようで」
「愛のない婚約者相手にする義理がない!」
家のため、愛のない政略結婚はごまんとある。それでも礼儀としてなにかしら交流は持つものだ。だが、この愚か者はそうしたことはする人間ではないと国の未来を担う者たちの前で己の狭量、品格の低さを自ら公言したに等しい。そこかしこでヒソヒソと囁かれる声も耳に届いていないのだろうが。
「もう一度言いましょう。私とあなたの間に直接の関わりなど何一つございません」
「う、嘘をつくな!貴様は昔から私の家に何度も訪ねているだろう!」
「ええ、父と一緒にお邪魔しましたね。若いご令嬢のいらっしゃる家には私が御用聞き致しますので」
「御用聞き…?」
この愚か者は私が婚約者だと騒ぐくせに私の家を知らないのかしら。
「ヴィスコッティ男爵家は国の経済の一旦を担うヴィース商会を運営している大元です。流石にこの商会の名を知らないとは言わないで下さいましね?」
家名をもじりつけられた商会の歴史は八代前から始まる。巨大な農地をもっていた我が先祖は農民で、兼 作った野菜を売り歩く商人でもあった。
だが国のすみにある名もない農家の野菜など誰も見向きはしない。先祖は元々利益も考えない性格であり、平民貴族に売れなければ孤児院や困窮者に綺麗な石や薬草、ささやかな労働と引き換えにたくさんの野菜をおろし続けていた。
六代前に国を大飢饉が襲う。中心地の野菜は軒並み風土病で駄目になり、餌が不足すれば牛や豚は痩せ細り鶏も卵を産まなくなる。
だがそんな土地の病気を免れたのが国の片隅に広さだけはある我が畑。国の危機に先祖は荷車に野菜を積めるだけ積んで王城へと運び、そこから国民にと分配された、無償でである。この奉仕に協力したのがかねてより施しを与えてきた者たち。
ともに土にまみれ野菜をとっては汗を流し国の中心地へと運ぶ。
そうして未曾有の飢饉を救った我が家を王家は感謝を込めて爵位を与え、そのときに奉仕に参加したものも恩賞を与えた。
人とのつながりが国を救う。奉仕の精神が国を救う。それを理念としてヴィース商会はそこから少しずつ大きくなり、今では国で上位に入る大商会となった。
陛下が功績をたたえ恩賞、爵位を口にしてくださいますが爵位など上がりすぎては民と直接関わる機会が減り、それは人とのつながりを大切にする考えに反してしまう、つながりを薄くしてしまうということで断っている。
「私はヴァンハイム様の妹御であるフレイア様に我が商会の商品の御用聞きと福祉施設への寄付などお話しをさせていただいており、ヴァンハイム様にご用向きがあったことはございません」
というか、来ていることを知っているのならお顔の一つや二つ見せに来て頂いてもよろしいのでは?それにお会いしていたのはフレイア様だけではございません。
「なにより、私には婚約者がおりフレイア様を交えお話をさせていただいておりましたわ。もちろんヴァンハイム様ではございません。ねえ、リュミエール様?」
「は?リュミエールだと…?」
私の横にすっと並び立つ殿方。 ヴァンハイム様の弟君である。ええ、私は確かにヘンリー・ヴァンハイム様とは婚約を結んでおりません。弟君のリュミエール・ヴァンハイム様と結んでおります。婚約者同伴のパーティーは常にリュミエール様と、その他日々ささやかなお話や贈り物を交わしておりました。
「兄上、随分とまあ馬鹿げた余興だね。マリアが兄上の婚約者だなんてどう勘違いできたんだろうね?ああ、マリアが兄上のことを名前で呼ばないし、まわりも俺達を名前で呼ばないからかな?」
「まさか、だからといってそんな勘違いなんて普通いたしませんわよ?」
貴族の嗜みといえばいいだろうか。貴族は親しきもの、名前呼びを許されてなければ家名で呼ぶのが通例。そこに親子がいればヴァンハイム侯爵、ヴァンハイム侯爵子息と呼び分ける。兄弟がいた場合は長男、次男と使い分けることもある。
そして私は婚約者ですのでリュミエール様には名前をお呼びする許可は頂いてますけれど、ヘンリー・ヴァンハイム様には頂いておりませんし求めたこともございません。明らかにこちらを軽視してるとわかる方に求めるのも馬鹿馬鹿しいもの。そして名前呼びを許されているからと言って必ずしも名前で呼ぶこともないわけです。
私がヴァンハイム家のリュミエール様と婚約関係を結んでいることは貴族の皆様なら当然存じておりましょう。だから学友の皆様と婚約者のお話をすることもありますが私がヴァンハイム様と口にしてもリュミエール様だとちゃんとわかっていただいております。私とリュミエール様にお茶会の招待状もいただきますし。
なぁんで、当の家のご子息がそんな勘違いをしているのやら。そういえばヘンリー・ヴァンハイム様は成績も芳しくなかったですわね。下から数えたほうが早いくらいで…あら?そうするとどうなるのかしら?
「ねえリュミエール様?私のところにお婿様として来ていただくの難しくなるのではないかしら?」
リュミエール様と婚約を結んだきっかけは、彼が商売に興味を持ってくださったから。貴族が商売と聞くと眉をひそめる人も少なくありませんが、我が家の成り立ちを知る方でしたら敬意を示してくださる方のほうが多いですの。
商売を通じて人と関わるのは通常の社交とは見えるものが違って面白いもので、リュミエール様にそうお話したら婿入りしたいと口にしてくださいました。
「ああ、さすがマリア気づいた?うーん、大丈夫だよ。フレイアが跡を引き継ぐさ」
「フレイア様が?確かにフレイア様は大変利発で広い視野をお持ちですから素敵な女伯爵となられること間違いなしですわ!」
そうフレイア様の未来の姿を思い描きリュミエール様と微笑み合っていると聞くに耐えない喚き声。
「なんでフレイアが伯爵になるようなふざけた言葉が出せる!次期伯爵は私だぞ!」
「だって兄上廃嫡されるから」
「廃嫡されますわよね」
何をぽかんとされてるのかしら?まさか本当にご理解されてない?
「ええとヴァンハイム様、明後日は私達この学園を卒業することはご理解されていまして?」
「何を当たり前のことを」
当たり前のことだと認識しているのですね。その当たり前には、卒業を迎えていない私達はまだ学生だということ、そしてこの夜会は私達貴族の最後の実習であり人脈を確固とする場であることも含まれていらっしゃるのかしら?
その場で婚約者ではない相手に婚約破棄を宣言、まして思い込んでいたというのに一切婚約者らしいことをしなかったことも口にして、人の器も貴族としての器も見られたものではないようなことを露呈させた。
パーティーの空気も台無しにした。
──── エトワール学園。すべての貴族の子息令嬢、そして選りすぐりの平民がこの学園にて国の未来を担うための勉学に励む。貴族にとってこの学園に入校し卒業することは名誉であり、格式の一つともされた。この学園に入校できない、もしくは卒業できないものはなにかしらの問題があるとされるほどである。────
成績は下から数えたほうが早いヘンリー・ヴァンハイム様。
最後の実習でこれだけのことをして、卒業できると思いますか?
勘違いしたまま卒業していれば、少なくとも伯爵家との繋がりは失わずに済みましたでしょうに。