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4.水底のノイズ

16.「水底のノイズ」

アキは、いつものように夜の薬を整えていた。

100円ライターであぶったアルミホイルと、

市販の風邪薬を砕いた白い粉末、

そしてコップ半分の水。

「今日はどこまで消えるかな……」

冗談のように笑って呟いた声は、自分にしか届かない。

そう思っていた。

だが――

洗面台の鏡に、奇妙な“ノイズ”が走った。

ギリッ……と擦れる音。

映っているはずの自分の顔が、わずかに“遅延”して動く。

まるで、鏡の奥に、もう一人の自分がいたかのように。

アキは目を凝らす。

そこにいた“わたし”は、少し違って見えた。

首に赤いリボン。目の下にはクマ。

何より、笑っていない。

「誰……?」

答えはなかった。

だがその晩、アキの部屋の郵便受けに、封筒が届く。

差出人なし。

中身は――ポラロイド写真が数枚。

・アキが眠っている写真(自撮りではない)

・血の滲んだティッシュの山

・プリクラ機の裏口に立つ小さな女の子の後ろ姿

そして一枚だけ、明らかに異常な写真があった。

それは、水中から見上げた視点。

バスタブの底に沈んでいる少女が写っている。

目を開けたまま、微笑していた。

“まだ死んでいない”――

それは、アキの死にたくない本能の断片だった。

だが、誰がこんな写真を撮ったのか?

“何のために?”


鏡は真実を映すのではない。

鏡の裏側にある「意図」を映しているだけだ。

アキは、今夜だけは薬を飲まなかった。

カーテンを閉めずに眠った。

もし夢の中で、また誰かが“記録”するなら、

自分がそれを迎え撃つのだと。

だが、夢の中でアキが見たのは――

「なつみ」だった。

次に繋がる、“交差点”が浮かび上がってくる。



17.「薄氷の肖像」

なつみは、いつも小さなトートバッグを抱えていた。

中には、空になった栄養ドリンクの瓶、

飴玉の包み、そして古びたスケッチブック。

どのページにも、自分の顔が描かれている。

でも、そのどれもが「他人」のようだった。

ある日、コンビニのトイレで吐いたあと、彼女は不意に気づく。

スケッチブックの最後のページに、見覚えのない一枚のポラロイドが挟まっていた。

それは、明らかに“撮られていること”に気づいていない自分の写真だった。

地下鉄のホーム。

ベンチに座り、水だけを飲んでいる少女――

顔色は白く、腕には傷跡。

だが、その瞳は、どこかで「誰か」を探しているようにも見えた。

「こんな顔、してたっけ……?」

なつみは、スケッチブックの裏表紙を見て震える。

そこには、黒インクでこう記されていた。

《“ワタシ”ハ、ミツケタ。ツギハ、アナタノバン。》


その夜、なつみは“あの子”の夢を見る。

トンネルのような地下道。

ずっと先に、誰かがしゃがんで泣いている。

髪が長く、足は裸足、白いワンピース――

でも、その顔がなつみには見えない。

いや、見てはいけない気がした。

足音が近づいてくる。

でも振り返れない。

ただ、足元の水たまりにだけ、彼女の“顔”が映っていた。

それは、自分にそっくりだった。

でも、目だけが違う。

まるで、全てを見透かしている目――

誰のものでもない、記録者のまなざし。


目が覚めたとき、

なつみのスケッチブックは消えていた。

代わりに、ベッドの横に一枚のポラロイドが落ちていた。

それは――

**「三人が出会う未来」**を暗示するような、曖昧なシルエット。

写真の奥に、まるで"誰か"が待っているようだった。



18.「交差点は、呼吸している」

駅前のロータリー。

空気はじめじめと重く、

看板のLEDがチカチカと瞬く夜。

ユウジは、ただの“待ち合わせ”のつもりだった。

「いつもの子」が来るはずだった。

少し金を渡して、部屋に連れて帰るだけ。

名前も、年齢も、要らない。

だが、その夜、彼の前に現れたのは**“アキ”**だった。

白いマスク、フード、擦り切れたジャージ。

一見して、いつもと変わらない少女。

けれど――彼女の瞳には、“意志”があった。

「お兄さん、薬、持ってるよね?」

挑むように言った。

ユウジは一瞬、心臓を掴まれたような感覚に陥る。

だが笑ってごまかす。

「……なんの話?」

その瞬間――アキの背後から、もう一人、**“なつみ”**が近づいてくる。

アキを追っていたわけではない。

ただ、この街に吸い寄せられるように、彷徨っていただけ。

だが、不意に視線が交わる。

アキはなつみを見て、目を細める。

なつみもまた、見覚えがあった。

夢の中で、涙を飲み込んでいた“わたし”に、似ていた。

「……知ってる気がする」

「私も」

そして――ユウジは気づいた。

この街の“地下”で、

誰かが彼らを観察している。

ビルの窓に映る、光の点。

カメラのように、冷たく、瞬きもしない。

その“目”は、彼らの選択を見届けようとしている。

それぞれが、どこに向かうのか。

どこで終わるのか。

あるいは、誰かが**「代わりに終わる」のか**――


交差点の向こうで、

ひとりの少女がこちらを見ていた。

スケッチブックを抱え、

ポラロイドを握りしめて。

名を“ユズ”。

次の鍵を握る者。



19.「白昼夢の傍観者」

ユズは、街のなかで透明だった。

いてもいなくても同じ、誰の視線も触れない。

だが彼女は、自分の“透明さ”に価値を見出していた。

なぜなら、「見ていられるから」。

ユズのノートには、彼女が見てきた無数の物語が詰まっていた。

リストカットする子、

薬に溺れる子、

食べることに恐怖を抱く子――

そして、彼らに無関心な大人たち。

傷つけ、搾取し、名前さえ覚えずに去っていく人々。

ユズは、それらすべてを

「ただ、記録」していた。


古いビルの屋上。

見下ろせば、アキがユウジと対峙し、

なつみがその場に巻き込まれようとしていた。

ユズは、ポラロイドカメラを手にしていた。

シャッターを切る音が、夜のざわめきに溶ける。

「これは物語の転換点」

ユズは思う。

でも、ただ“記録”しているだけでは、

もう足りない気がしていた。


その夜。

ユズは初めて「誰かの前に立つ」決心をした。

駅前の暗がりで、彼女はなつみの前に姿を現す。

「……返すね」

手渡されたのは、消えたはずのスケッチブック。

中には、ユズの描いた“なつみ”の絵があった。

だが――その表情は、本人すら知らない顔をしていた。

苦しみも、怒りも、哀しみも通り越した先にある、

凛とした「決意」の顔。

「これ、私……?」

「これからの、あなた。……だったらいいなと思って」


なつみが言葉を失っているあいだに、

ユズは微笑んだ。

「次は、アキに渡さないと。

あの子の絵も、ちゃんと描けた気がするから」

そして、ユズはその場を去る。

だが、その背中を見つめていたユウジの瞳は、

どこかで“違和感”を覚えていた。

「あの子……最初からいたか?」


ユズは“何者”なのか。

彼女の存在が、物語に何をもたらすのか。

それはまだ、誰にも分からない。

だが彼女のノートには、こう記されている。

《“記録者”は、干渉してはならない。

でも、“物語の破綻”には、手を差し伸べていい。》



20.「静脈に棲むもの」

ユズは時折、夢のなかで“もうひとりの自分”に出会う。

無表情で、無音で、絵の具のような赤い線を腕に引いていく影。

目覚めたあと、いつもスケッチブックの余白に

その姿を描き足していた。

いつか、それが“アキ”であると知る前から。


その夜、ユズはアキを見つけた。

公園のベンチ、首をうなだれて、

指でスマホの画面をただスクロールしつづけていた。

ユズはすぐに気づいた。

彼女は、夢のなかの“影”と同じ匂いがした。

「――寒くないの?」

声をかけると、アキは警戒のまなざしを向けた。

が、それでも逃げない。

「……誰?」

「ただの“絵描き”。君のことを見てた」

「キモい。警察呼ぶよ」

「呼んでもいい。でも、その前にこれを見て」

ユズは一枚の絵を差し出す。

そこには、アキが泣きながらも笑っている姿が描かれていた。

傷だらけの手首を隠しもせず、

けれどその顔には、強さと光が宿っていた。

アキの表情が凍る。

「……これ、誰?」

「“これからの君”。

君が、誰にも殺されず、自分も殺さずに

ここに立っていられる未来の姿」

「……そんなの、あり得ない」

「でも、私は見た。夢で。だから描いた。

私が見る夢は、時々、未来につながってる」


アキは黙ったまま、絵を見つめた。

その頬に、スッと一筋、涙が流れた。

無意識のそれを、彼女は拭おうともしない。

ユズはそっとスケッチブックを差し出した。

中にはまだ何も描かれていない白いページが続いている。

「この続きは、君が描くんだよ。

何色でも、どんな線でもいい」

アキは、そのページをしばらく見つめて、

ポツリとつぶやいた。

「……あんた、変な奴だね」

「うん、よく言われる。

でも変な奴がいないと、

この街の物語はいつか死んじゃう」


公園の奥、誰にも知られずに交わされた

**“奇妙な取引”**だった。

だがこの出会いが、

アキにとって初めて“生きている”と感じた夜となったことを、

ユズだけが、後で知ることになる。



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