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第二十八部

136.アキの夢 ― 水の底の街

夢の中、アキは水の中にいた。

けれど息は苦しくない。髪も服もふわふわと揺れ、まるで重さを忘れていた。

そこは、沈んだ街だった。

古びた電柱、割れた窓、錆びた標識。

でも、不思議と怖くなかった。

水の光がゆらゆらと揺れて、どこもかしこも、ガラス細工のように美しかった。

アキは歩き出す。足音は聞こえない。

静けさだけが、彼女の後ろに尾を引いてついてくる。

ふと、前方に誰かが立っていた。

白いワンピースの女の子。顔は見えない。

その隣に、制服のような服を着た子がいる。

どちらも、どこかで見た気がする――そう思うのに、思い出せない。

でも、不安はなかった。

アキは手を伸ばした。

向こうの誰かも、手を伸ばしてくる。

水の中なのに、ぬくもりが伝わるような気がした。

と、そのとき。

水底に咲く、一輪の花が光った。

まるで合図のように、街が色を取り戻す。

さびれた看板に明かりが灯り、閉ざされた店の扉がゆっくりと開いた。

誰かが言った。声にはならなかったけれど、アキの胸の中に響いた。

「ここに来たのは、君だけじゃないよ」

アキの目が開いた。

夜の静かな天井が、そこにあった。

でも、彼女の中にはまだ夢の光が、かすかに残っていた。



137.なつみの夢 ― 小さな部屋と大きな鏡

なつみは、小さな白い部屋にいた。

四角い空間、真っ白な壁、天井、床。

中央にぽつんと置かれた、大きな鏡。縁のない、まるで水面のような鏡。

なつみはその前に座っていた。

鏡に映るのは、いまの自分――ではなかった。

少し幼い顔。まだリストカットの痕も薄く、瞳はまっすぐだった。

その子が、話しかけてきた。

声はなつみのものだけど、もっと澄んでいて、どこか懐かしい。

「まだ、終わってないよ」

なつみは、思わず目をそらした。

でも鏡は、動かなかった。まるで自分の目の代わりに、見つめ続けていた。

そして、鏡の中のなつみが立ち上がった。

一歩ずつ、鏡の向こうから、こちら側に近づいてくる。

手が、鏡を通って伸びてくる。

触れる直前、なつみは目を閉じた。

――そっと、涙が落ちた。

それは夢の中であっても、まぎれもない、ほんとうの涙だった。


ゆずの夢 ― 廃墟と声

ゆずは、廃墟にいた。

崩れた教室。ひび割れた机と、倒れた黒板。

風のない空気の中、紙くずが舞う。

だれもいない。でも、だれかが見ている。

その視線に慣れているゆずは、怖くなかった。

むしろ、どこか安心していた。

古いロッカーを開けると、中には小さなぬいぐるみがあった。

くまのぬいぐるみ。目が片方取れて、耳も裂けていた。

でも、抱きしめると、あたたかかった。

そのとき、遠くから声がした。

「ゆず、こっちだよ」

忘れたはずの声だった。

追いかけると、音はすぐ消える。

でも、また聞こえる。

そして――目の前に、三つ並んだ影が現れた。

一人は水のようにゆれる髪。

一人は小さくて、強い瞳。

そして、ゆず自身。

三人の影が重なり合い、ゆっくりと光に変わっていく。


138.

――朝。空気がまだ冷たさを残している。

めざめ:なつみ

カーテンの隙間から、淡い光が差し込んでいた。

なつみは、布団の中で目を覚ます。身体が重い。けれど、昨夜よりも少しだけ、呼吸が浅くなっていた。

夢のことは、はっきりとは覚えていない。

でも、なにか――涙を流した気がした。

触れられたような、抱きしめられたような、そんな感触が胸の奥に残っていた。

ベッド脇に置いたぬいぐるみの頭を撫でて、なつみは起き上がる。

鏡の前に立つと、昨日より少しだけ顔色が良く見えた。

「…なんで、こんな日に限って…」

独り言のように呟きながら、制服に袖を通す。

手首の包帯を、服の下にきちんと隠して。


めざめ:あき

スマホの通知音で目が覚めた。

あきは、天井を見上げながら数秒黙っていた。

夢の中で見た、言葉にならない焦燥感が、まだ身体に残っている。

「あの子、誰だったんだろ」

ぼそりと呟き、画面を開くと未読のメッセージはひとつもない。

それが日常。何の変哲もない、今日のはじまり。

でも、なぜか身体が軽かった。

シャワーを浴びながら、湯気の中に昨日の放課後の空気が混じっている気がして――

ふと、ゆずの顔が浮かぶ。

「あの子、変な子…でも、ちょっとだけ」

つぶやきは湯気に消えていった。


めざめ:ゆず

窓を開けたまま眠っていた。

春の風がカーテンを揺らし、陽の光が顔をなぞる。

ゆずは、目を開けてすぐ、天井に向かって微笑んだ。

「…うん」

だれにともなくそう言って、起き上がる。

昨日の夢をはっきりと覚えていた。廃墟とくまのぬいぐるみ。三つの影。

どれもきっと、意味がある。

わたしの中にある「過去」と「今」と「これから」が、ようやく手を伸ばしてきた気がする。

今日は、少し歩きたい気分だった。

少しだけ早く家を出よう。

理由はわからないけれど、**「なにかが始まりそうな気がする」**から。



139.登校 ――春の朝、少し肌寒く

なつみはマスクをして、うつむきがちに歩いていた。

イヤホンからは音楽が流れているけど、歌詞は頭に入ってこない。

今日はちゃんと学校に行けそうな気がしていた。

昨日の夢のことは、うまく言葉にできない。でも――なにか、優しいものを感じた。

信号の手前、少し俯いたまま立ち止まると、反対側に見覚えのある影が見えた。

…あきだった。あの、保健室で話しかけてきた子。

なつみはすぐには声をかけられなかった。

でも、立ち止まっていると、あきのほうが気づいて、小さく手を上げた。

なつみも、ほんの少しだけ、指先を動かす。

それだけで、ほんの少しだけ、朝の空気が柔らかくなった気がした。


あきは、今日は少しだけ早く家を出た。

人と話すのは苦手だけど、昨日の「変な子」――ゆず、のことがなんとなく頭に残っていて、

…「また会えたらいいな」と、思った。

道の途中で見かけたなつみに、なんとなく手を振った。

大きくはできない。けれど、あの子がまたちゃんと歩いてるのを見るだけで、

なぜだか少し安心した。

信号を渡ると、後ろから走る足音が聞こえた。

振り返ると、風をまとってやってきたゆずがいた。


ゆずは、春の風を受けながらスキップするように歩いていた。

新しい朝。

今日はなにかが少しずつ変わる、そんな気がしていた。

角を曲がると、なつみとあきの姿が見えた。

その背中は、まだ近くて遠い。けれど、昨日より、ずっとあたたかいものに見えた。

「おーい!」

ちょっと大きな声で呼んで、笑顔を向ける。

二人とも驚いたように振り返って――

なつみが、ほんのすこし笑った。

それだけで、ゆずの心は春の花みたいにふわっとひらいた。


三人は、まだ遠慮がちに、でも少しずつ歩幅を合わせながら、校門をくぐった。

あの廃墟の夢も、夜のささやきも、

今はまだ何もわからないけど――

たしかに何かが、動き出していた。



140.なつみ ――「私は、見えない存在でいい」

道を歩きながら、なつみは自分の靴のつま先を見つめていた。

昨日の夢の残り香が、まだ心の奥に漂っている。

冷たい指先で頬に触れた何か――あれは、誰だったのか。優しかった。でも、怖かった。

“見つけてほしい”と“見られたくない”が、ずっとせめぎあっている。

(どうせ私は、誰かのノイズでしかない)

ふと、あきの姿が目に入る。

保健室で、声をかけてくれたあの子。

どうして、あの子は私に話しかけたんだろう。

心が少しだけ揺れた。知らない振りをすることもできた。でも――

(少しだけ、…うれしかったかも)

イヤホンの音が遠のいていく。

春の風の中、なつみの心に、わずかな光が差し込む。


あき ――「壊れた時計の針が、少しだけ動いた」

なつみを見つけた瞬間、胸の奥がチクリとした。

昨日の保健室。無言の時間。

なにかをしてあげたわけじゃない。ただ、そこにいただけ。

けれど、なつみの沈黙が、どこか自分に似ていた。

(あの子も、こわれかけてる)

人の顔色をうかがって生きること。

「大丈夫」って笑うことが、もう当たり前になってた。

でも昨日、ゆずの声が、ちょっとだけ…違った。

(強いのか、弱いのか、よくわかんない子)

だけど、ああいう風にまっすぐな言葉を投げられたの、いつぶりだろう。

胸の奥の、冷たくなったゼンマイが、キリキリとゆっくり巻き直されるような感じがした。


ゆず ――「ほんとうの寂しさは、誰にも言えないから」

風を切って、ふたりに近づく。

昨日、あの廃墟の夢を見たあと、自分の中のなにかがざわついていた。

(このまま、ひとりぼっちのままでいるのは、たぶんいや)

ゆずは陽気に振る舞うけど、心の中には誰にも見せない影がある。

「なにも気にしてない」って顔をして、

「なんでも楽しめる」って口にするけど――

(ほんとうは、夜がいちばん苦手)

眠れない夜、誰かの声が聞こえる気がして、息を殺して天井を見つめる。

自分の輪郭がぼやけて、消えてしまいそうになる時間。

そんなとき、誰かがそこにいるような感覚が、唯一の支えだった。

なつみの表情、あきの沈黙――

そのどちらにも、自分と同じ匂いを感じている。

(あたし、きっとこの子たちと、何かを見つけたいんだ)





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