03:シスター・マリアン
師であるイシリオンに準備期間を一ヵ月と指定されたベンウッドだが、一人で暮らす彼にとっては1ヵ月で十分に時間が余った。イシリオンは人間と付き合いが多い方と自分で言っているが、時間の感覚はエルフ基準で話す時が多い。
丁寧に荷物整理をしても2週間で十分だったのだが、おかげで開拓村を拠点にして事前に計画を立てることができた。
村の冒険者ギルド支部でブランドンを捕まえて、街で暮らす知恵を教えてもらったのが特に大きい。住む場所の選定や契約に関してもその時に教授されている。
彼曰く、現地の保証人がいれば話が円滑に進むのでなるべく伝手を頼るべし。もっともな話である。
街との繋がりどころか人との繋がりが極端に細いベンウッドだが、幸いなことにその件に限れば有効な伝手はある。それがこれから会いに行くシスター・マリアンだ。
彼女はバリスフォーグの西の地区に建てられたスターダ教会で働く修道女で、生命を司る地母神アルマーを信仰する神官だ。高位の神聖魔法の使い手であり、指や耳ぐらいの小さな部位なら欠損を修復することも出来る。
人の扱える3種の魔法体系、神聖魔法・精霊魔法・創世魔法の中で神聖魔法は怪我や病気の治癒に最も適性のある魔法だが、3種の中では最も多くの素養を必要とする。
具体的には潜在魔力量、魔力放出量、信仰する神との交信である。前者二つは先天的に皆無でなければある程度伸ばせるが、後者は完全に相性の問題だ。
このため王国の中でも中規模の都市であるバリスフォーグの教会ですら、この階位の神官は彼女含めて3名しかいない。
高位の神官であってもまだ若い彼女は貴族や富裕層以外からの依頼を担当しており、生傷の絶えない冒険者の多くが彼女の世話になっていた。
彼女は元は開拓村のマクリタの出身だ。彼女がまだ10才にならない頃、偶然顔をあわせたイシリオンが、彼女の魔法の素養を見出して教育を付けている。
ベンウッドはその縁で知り合った。ベンウッドが7歳、イシリオンの教育を受けて始めて間もないの頃の話である。
マリアンは魔法の基礎的な鍛錬をこなした後、祈りを通じて神の声を聞き神官となった。イシリオンに言わせれば神官になってしまったのは偶然らしいのだが、理論から言えば起こりうる範疇の事象なので、彼女の前途を祝福した。
マリアンが12になる頃には彼女は街の教会に呼び寄せられ、それ以来顔を合わせていない。それでも個人の繋がりだけは残っており、年何回かは行商人に頼んで書簡をやりとりしていた。
何度かのやり取りのあと、教会の運営する孤児院が金銭的に困窮していると知ると、信頼できる行商人に頼んで余剰の金銭を書簡と共に送るようになった。
額面自体は大きく無いが、元から森の暮らしで金を使う機会がほとんどないベンウッドであったので、年間通してかなりの金額になっている。
金銭のもたらす価値をベンウッドも理解しているが、マリアンが悪用することはないと信じて疑っていない。この件に関してマリアンからは何度もお礼の書簡が届いていたし、一度は彼女の上司であるガナドゥール司祭から書簡が届いたこともあった。
そんな縁もあって今回、ベンウッドが定宿の契約にあたって諸々面倒を見て欲しいと伝えたところ、すぐさま快諾してくれた。
宿の保証人はギルドに頼んでも受け付けてくれるが、素性のわからない冒険者を嫌がる宿も多い。この点で教会及びシスター・マリアンの保証は非常に強力で、よほど偏屈な相手でなければ断られる可能性はないだろう。
組織に紐づけられる事を嫌がる者は保証人を付ける代わりに多額の保証金を前払いする場合もあるが、こだわりの無いベンウッドはありがたく教会のお世話になることにした。
シスター・マリアンの所属するスターダ教会は、西の区画の大通りから少し路地の奥に入った場所にあった。周囲は貧民街というほどではないが収入の少ない者達のための集合住宅が多い。
バリスフォーグは南西側はスラムも含んだ貧民街、北東が貴族や商人などの富裕層の住む区画となっており、概ね北東に向かうほど裕福な人間が住むようになっている。これは街の中でも異形の森からなるべく遠い位置に、貴族街や行政施設が設置された名残だ。
ベンウッドが教会を訪れた時間は、男は皆仕事に出かけ、女は家事や内職に精を出している頃合いだ。教会も昼の礼拝を既に終了しており、神官達も日々の務めに戻っている。
そうして人の減った教会の敷地にベンウッドは一人入って行った。残っているのは老人ばかりで、遠くから元気に遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。
祈りの場である聖堂を清掃をしていた、見習いらしい若い修道女に伝言を頼むと、いくらも経たないうちにマリアンは現れた。ベンウッドが数年見ないうちにマリアンの容姿は少女のそれから女性として羽化を果たしていた。
化粧っけがないにも関わらず肌は雪のように白く、唇は赤く艶やか。楚々とした佇まいながらもひ弱な印象はなく、藍玉を思わせる瞳は強い意志を感じさせる。肩で切りそろえた艶やかなな金髪は昔と変わらないはずなのに、野暮ったい茶色のチュニックと合わせても華やいで見えた。
数年同じ師の下で学んだ幼馴染と言える彼女の変貌に、ベンウッドは知らず気後れを感じた。その驚愕はマリアンの側も同様だった。
「ベンウッド? 大きくなったわねぇ」
近づけば見上げるほどの大男だ。昔から体格に恵まれた少年だったが、彼の体はその後も成長を続けている。
初見であれば恐怖を覚えたかもしれない外見だが、その穏やかな風貌に昔の面影が強く残っていることにマリアンは安堵していた。フードの下には黒曜石を思わせる黒髪と黒瞳。昔はよくこの硬い髪を、短く整えてあげていた。
「うん。マリアンも、久しぶり」
キレイになったね、などと言いかけたが飲み込んだ。単純に口説いてるみたいでイヤだった。
開拓村の酒場で看板娘に言い寄って、定期的に親父さんにボコにされてるおっさん達を思い出す。
「イシリオン様から聞いたわ。大変だったわね」
「本当に大変だったよ。相変わらずほったらかしにされるし」
マリアンはベンウッドの困り顔を見て小さく笑った。彼女は数少ないイシリオンの知人、あるいは被害者でもある。
あのイシリオン、外面の良さはイヤになるほど完璧で、身内でない若いエルフほど、彼を大樹のように超然とある理想的なエルフだと思っている。
書庫に籠って本を読みふけり1週間風呂にもはいらず、床で寝転がって服を埃まみれにするイシリオンの姿を見れば、あの若くて熱病に浮かされたエルフも思い知ると思うが。
いや、そこまでやっても大して汚れないように、自身に清拭や洗浄の術を定期的にかけてるから、酔ってるエルフは気づかないかもしれない。
ズボラの先に後世まで続く便利な魔法を開発・発掘するのだから、やはり偉大な人物であるという評価は崩しがたい。
「イシリオンのおじさん、こっちに来てたの?」
「イシリオン様は4日前にこちらにいらして、ガナドゥール司祭と話をしていかれたわ」
「……何か失礼なこと言ってなかった?」
「さあ。2人きりでの内緒話だったからなんとも」
イシリオンは他のエルフ同様に森でばかり暮らしているように見えるが、ガナドゥール司祭のように街の中で気に入った特定の人物との交流は残していた。
おそらくマリアンを預けた件で繋がりが残っているのだろう。人間を嫌っている師にしては随分長い付き合いだとベンウッドは少し感心している。
本人の好き嫌いもさることながら、この国におけるエルフは扱いは酷い。よくて余所者扱い、悪くて被差別対象あるいは奴隷なので、イシリオンも見つかればただでは済まない。
ではイシリオンはこの国でどう活動しているかというと、魔法での変身・幻影・透明化などを駆使して人間の振りをしているのだ。
「色々聞きたいこともあるけど、宿まで歩きながら話しましょうか。あんまり長く仕事を開けられないの」
「うん。わかった。任せるよ」
歩き始めるマリアンの後ろをベンウッドは素直についていく。
昔と変わらない彼の仕草に、マリアンはいいようのない懐かしさを覚えていた。
◆
2人は教会のある地区から中産程度の市民が多く住む南東側の区画に移動した。
街の東側は各職工ギルドも軒を連ねる、この街の産業の中心ともいえる場所だ。領軍の武器防具を作る工房もあって、全体として治安は悪くない。
南西のスラムほどではないが貧民街も一部含まれており、住居の値段はかなりばらつきがある。冒険者ギルドの関連施設が多いこともあり、定住する冒険者はだいたいこの区画のどこかに居を構えていた。
副業冒険者のような立場のベンウッドだが、住人達の職への理解という意味でも、この地区は定宿を探すのに最適の場所だろう。
マリアンは移動しながら今回のベンウッドの定宿探しの条件を再度確認する。仕事柄部屋を空にすることが多いので扉に鍵が掛けられる部屋であること、予算が冒険者の平均的な収入に対して無理がないこと、各種加工処理をするのに丁度良い庭か広場が近くにあること、の3点だ。
前者二点は幾つでも候補はあがるが問題は3点目、加工時に際して火気の取り扱いがある事と、動物解体の臭気の問題である。
そんな都合の良い広場があるわけもなく、マリアンは早々に諦めて皮鞣し職人や解体職人の工房が集まる地域に対象を絞った。
逆に無視していい条件は水場の利便性、街路からの距離などを上げていた。
精霊魔法の中でも簡易なもの、例えば真水生成、篝火と言ったものをベンウッドは無理なく長時間使用できる。水場からの距離はほぼ無視できるし、自身の使用分に限れば燃料の問題も無視できる。
街路からあまり遠い場合は治安の悪化が懸念される場合もあるが、ベンウッドはそれよりも危険な異形の森中層域を一人で過ごして来た。魔法を使った警戒網、あるいは罠の敷設は慣れた物だ。町中なので罠は鳴子程度に加減する必要はあるが、幾らでも調整できるだろう。
これらの条件の中で城塞都市の土地問題から庭のある家という条件は叶えられないが、共用の水場兼広場に近いという条件の家は見つかった。4階建ての1階が食堂兼酒場、2階から上が宿泊施設というごく標準的な宿屋だ。
泊っている客は全て長期契約ばかりで冒険者も多いため、戸締りに関する希望も宿の主人が理解してくれている。
用意された部屋は4階を3つに区切ったうちの一番奥。一番不便な部屋だが、森でならした健脚の彼には問題ない。部屋の中はベッドを置いてもかなり広く、普段の荷物置きとしても申し分ない。ベンウッドはこの部屋をすぐに気に入った。
「ところでその…、ベンウッドさんは地母神様の信者の方なのですか?」
部屋を検分するベンウッドに、50越えの痩せた主人が恐る恐る確認する。
教会の保証する人物と聞いて教会の関係者と思っていたら、やってきたのはでかい弓を持った大男。
シスター・マリアンの社会的信用を差し引いても確認だけはしておきたい、というのは無理からぬことである。
「いえ、違いますよ。特定の神様に奉じているわけではないです」
「そうですか…」
市井の人々が特定の神に対する信仰が無くても問題はない。しかし教会が保証する人間で信仰を持たない人というのが、宿の主人の理解の外であった。
厳密にはエルフを生み出したと言われる風と水、豊穣の神であるパラメランに縁が深いのだが、神官や信者として熱心に神に祈りを捧げるわけでもないため曖昧な回答となった。
マリアンは宿の主人の不安を感じ取り、すぐさまベンウッドの足りない言葉を補足した。
「彼は孤児院に何度も寄付をしてくださっている篤志家です。司祭のガナドゥール様から個人的にお礼の書簡をいただいたこともあります。人品卑しからぬ人物であることは教会として保証します」
「はー…。ガナドゥール様がねえ」
教会として、の部分を強調するシスター・マリアンに宿の主人もそれ以上疑義を挟まなかった。
(あの人、すごい人だったんだな)
ついでに地味に失礼なことを考えているベンウッドであった。
司祭のガナドゥール・オルメーダは、秩序と法を司る神ウルグ・ロカンの神官であり、この街を含む南方領の教区でも指折りの神聖魔法の使い手である。
若い頃は神官戦士として各地を回ったこともある武闘派で、戦士としても相当な腕前だと言われている。
彼は教会において貴族向け・商人向けの政治的な仕事を一手に引き受けており、時には領主が助言を得るためにわざわざ教会へ通うほど信頼されている。
そうしたコネクションから得た金のほとんどを、教会に併設された孤児院や学校につぎこんでおり、恩恵を受ける人々は非常に多い。
今なお盗賊、魔獣、闇の軍勢と情勢の安定しないこの地域では戦災孤児が多く、それらの育成と社会復帰に私財を擲って尽力する彼はまさに聖人であると人々は口を揃えて言う。
ガナドゥールからの書簡を貰ったという話は非常に効果があり、ならばと主人も納得して宿の仕組みの話に移った。
「昼と夜の食事はどちらも銀貨1枚。要るなら早めに言ってくれ。厨房は貸してもいいが、忙しい時は勘弁してくれよ。水と薪は使った分だけ金をとる。お湯が欲しければ用意するが、これも別料金だ」
聞きながらどれも必要無いなと思いつつ、逆にそこにこそ手間や金が掛かるとわかったので気遣いはするように思考を変えた。手伝えることもあるかもしれない。
「それじゃあ私は仕事に戻るわ。落ち着いたら教会にも遊びに来てね」
「教会は遊びにいって良いところなの?」
「ガナドゥール司祭はそう言ってるわ。気軽に入れない場所で悩みなんか解決しないって」
ガナドゥール司祭、思ったよりも自由な人らしい。一度だけ貰った書簡の文からは堅苦しい人物に思えたが、あれも擬態だったのだろうか。
しかしよくよく思い返してみれば、元冒険者で養父のイシリオンと普通に会話できる人物だ。形式ばった話ばかりで上手くいくはずがない。
イシリオンと意気投合できる人物がマリアンの上司、という事実は良いのか悪いのか。
階下に降りてマリアンを見送りながらも、ガナドゥール司祭の人格は見極めておこうと心に留め置くベンウッドであった。
ベンウッドは部屋に戻ると窓から少し身を乗り出し、風の精霊達に加護を願った。
魔力の放出と引き換えに部屋の隅々まで風が吹き、森とは違った少しすえた匂いがどこからともなく流れ込んだ。
窓の外は思ったよりも景色が狭い。同じような設計と高さの集合住宅で視界は塞がれ、林の中のように空は狭い。
けれども今まで住んできた森林と違って空は近い。廊下にある梯子を使って屋根の上に出れば、さぞかし良い景色が広がっているだろう。
落ち着いて周囲をながめることで、ようやくこれが自分の新しい住処だと実感が持てた。
思い返せば自分は、どこかで森の氏族としてのエルフのつもりだった。人の生活圏の端である闇を監視する森番でなく、森の闇の中に生きるエルフの見張り番だ。
養父のイシリオンが言う街に住めというのはその認識を改めろということだろう。森に住む自分は守るべきものの形を知らなすぎる。
自分は父のような森番になりたいとイシリオンに願った。その意思を叶えるならば、命を賭して守るべき存在を良く知らねばならない。エルフでも無く人でも無い、などというハーフエルフよりも曖昧な状態は終わらせよう。
そう思えばこそ、見慣れないこの街の見ず知らずの人々を、もっと理解しなければと思えた。俄然やりたいことも見てみたいものもたくさん出来たが、ひとまずは拠点の設営だ。
ベンウッドはその日の残りを荷解きと近所への挨拶、新たな住まいの掃除に費やした。
2025/03/25 一部加筆修正