13:猛毒の大蛇バジリスク#1
ベンウッドは基本的に腰が軽い。街の住人の常識から考えれば異様なほどに軽い。市場に買い物に行くぐらいの気軽さですぐ魔物の住む森に入ろうとする。
教会からの指定で冒険者組合のバジリスク討伐依頼を正式に受領した今回も、受領してすぐさま愛用の背嚢に弓と矢筒だけ持ってフラっと出かけようとしていた。
元々がこの身軽さで森の中を横断するような生活をしていたので、今更特別な準備が必要ないと本人は思っているのだ。
しかしこれは流石にマリアンが引き留めた。今回に関しては誰が討伐したかは非常に重要になる。証人となる人物を連れて行く必要があるのだ。普段なら獲物の一部を切り取ってそれで済ませるベンウッドだが、つい先日面倒事に絡まれた経緯を思い出して渋々マリアンに従った。
とはいえベンウッドも、マリアンに言いたいことが無いわけではない。そもそもベンウッドはマリアンを危険な場所に連れて行く事に反対している。教会に名義貸しを頼んだ以上はマリアンの判断を優先するが、森の中での話ならばベンウッドにも言い分はある。
「街の人間が疑り深いのはわかったよ。でも証人はマリアン以外でも良くない?」
「口裏合わせをしている、なんて思われるような人はダメなのよ。その点で言えば、私は神聖魔法を使えるから信仰の有り様によって言葉の重さが保証されているわ。
それに現地にまで行くのだから、少なくとも足手まといにならない人間が必要でしょ? 私なら貴方の歩幅にもついて行けるわよ」
移動の点に関してはベンウッドも認めるところであった。他の冒険者と比べてベンウッドは常に早歩きしている程度には速度が違う。そして森に入っても速度が一切落ちない。実際のところドミニク達を連れていた時はかなり手加減して歩いていた。
マリアンもイシリオンの薫陶を受けているため、本業ではないもののかなり速く歩ける。しかし彼が反対している理由はそこではない。
「ついて来るだけならそれでいいけど、アルマーの信徒って戦闘出来たっけ?」
「襲われた時なら可能よ。こちらから仕掛ける時は無理だけど」
つまり今回のような積極的な狩りにおいては魔法の使用を大きく制限される。アルマーの信徒は狩猟や肉食を禁じられてはいないものの、命を奪う行為は自身の手で行うべきとされているのだ。
マリアンがベンウッドと同じように弓を使って狩りをするのはいいが、光弾や衝撃のような攻撃魔法で同じ事は出来ない。なんなら防御や回復の魔法も条件次第では発動しない場合がある。
「それ、足手まといって言わない?」
「少なくとも背中からだまし討ちはしないでしょ」
これにはもうベンウッドも苦虫を嚙み潰したような顔で納得するしかなかった。ダルシアク氏の派閥の冒険者は揃って目つきが怖い。何かあれば足を引っ張ってやろうという魂胆が見え透いている。そんな連中に背後が居座るぐらいなら、非戦闘員が後ろに控えているほうが何倍もマシだ。
どの道、マリアン以外を指定されても、心のどこかでは遠慮か警戒が残っただろう。マリアンであれば何が出来て何が出来ないか把握できている。気遣いは最小限で済む。
それに加えてマリアンの付き添いは戦闘以外の面で利点が大きい。街に出てきて1ヵ月経っていない流れ者の猟師と、教会の活動で名前も顔も広く知られる高位の司祭、どちらが社会的に信用があるかという話だ。
ベンウッドは不承不承ながらマリアンの同行を認める。彼女が業務の引継ぎと旅装の準備を終えるために一日待ち、朝一番の開門と共に街を出立した。
マリアンが加わったことで旅程も大きく変更された。当初ベンウッドは街道を無視し、森の中を突っ切る最短距離で現地まで向かうつもりだった。しかし流石にマリアンを連れてその行程は使えない。代わりにマリアンの先導で被害のあった村を順番に訪問し、バジリスクの目撃情報を集めることにした。
バジリスクは木々の濃い場所に潜んで獲物を待ち伏せる。その巨体ゆえに潜める場所は限られるが、その巨体ゆえに間合いも広い。多くの場合は森の深い場所に潜んでいるが、稀に街道付近で待ち伏せていることもある。その場合は街道を移動する農夫や商人、冒険者などが犠牲となった。
幸いなことに獲物を丸のみにしてから次の獲物を狙うまでは時間がある。3人以上の集団なら最低1人ぐらいは逃げおおせることが出来るし、バジリスクも無理には追いかけてこない。
これらの特性から生存者が多いため、噂を集めることで大まかな生息域を絞る事が出来る。
ベンウッドであればこの手の聞き込みの前に部外者と警戒を解くところから始めなければならないが、ここでマリアンの出番である。
彼女の場合、異形の森から進出してくる魔物の被害が大きい地域ではその名声は絶大であった。
立ち寄った村では例外なく誰もが敬意を持って彼女に接し、バジリスク捜索のためとお願いすれば心よく情報提供をしてくれた。
これは目的であるバジリスクの被害の最も大きい村でも同様であった。
「マリアン司祭、ようこそおいでくださいました」
村の入り口で兵士に名前を告げると、すぐさま村長や兵士の隊長など村の顔役達がすっ飛んでくる。途上の村でもそうだったが、目的地であるこの村でも全く同様だった。
マリアンは彼らの慌てぶりにも特に気にした様子はなく、変わらない笑顔で一人一人丁寧に挨拶していく。
「パーシー百人長、お久しぶりです。去年のオークの討伐以来ですね」
「おお。私のことを覚えていてくださるとは。たった数日の事でしたのに」
マリアン含む教会の司祭達は要請があれば王国軍の作戦行動に随伴することもある。特に戦闘の規模が大きくなりがちな、ゴブリンやオークの集落への攻撃の際は必ずと言っていいほど参加した。
マリアンは神官戦士ではないので後方の陣地での待機になるが、怪我人を連れ帰りさえすれば即死の傷以外はおおよそ治癒してくれる。今目の前にいる兵士達の中にも、瀕死の重傷を癒してもらった経験があるのだろう。
それ以外にも教会の司祭達は、平時より定期的に開拓村を回って神聖魔法による治療を実施している。中でもマリアンはイシリオン仕込みの薬草学の知識があり、魔法に頼らない治療も行える。このため彼女は司祭達の中でも格別の敬意を払われていた。
薬師がいる村も勿論あるが、村に常駐する彼らが同業者と知識や物品を交換する機会は貴重だ。彼らにとって街から最新の知識をもってやってくる彼女の存在は大きい。
「事前に書簡で送りましたとおり、バジリスク討伐のためにこちらへ伺いました。詳しい話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「勿論ですとも。森に偵察に出ている兵士から直接話をさせましょう」
事前に送られた書簡の名義はレッドメイン卿である。教会が自前の戦力でバジリスクを討伐すると提案したので、情報と寝床ぐらいは幾らでもと気前よく協力を申し出てくれた。
現場の兵士達からしても参加を命じられたわけではないので不満はない。相手が冒険者と違って礼儀正しく上品な教会関係者となればなおさらだ。
このように諸手を挙げて歓迎してくれる南方領の人々であったが、来訪者が立った二人という状況は想定外だった。
「……ところで、つかぬ事をお伺いするのですが」
「はい、なんでしょう?」
「バジリスク討伐には、お二人で向かうのですか?」
「ええ、そうです。正確には私は見届け人で、実際の討伐は彼が」
「彼が……1人で…?」
冒険者はだいたい4人から6人の編成になる。教会お抱えの神官戦士であっても、チームで動く場合は馴染みの冒険者と共に行動するのでそれに準拠する。2人きりで来た来訪者を見た彼らにとって当然の疑問であった。
「1人で」
さも当然というように応対するマリアン。マリアンからすればベンウッドが1対1でバジリスクに後れを取ると思っていないのだが、流石にそこまでは村の人々には伝わらない。
伝わらないのだが権力勾配は悪い方向に作用する。本当に大丈夫か、という疑念あるいは心配があっても、偉い人から直々に書簡を貰っている以上口も挟めない。
バジリスクが討伐された記録は各地に無いでも無い。外神戦争の頃から現在に至るまで、今回と同様に魔力の濃い僻地から人の生息領域に紛れてくる場合が多いのだ。
この近辺で最近の討伐記録は、バリスフォーグ最強の冒険者一行が成し遂げた記録のみだ。身近な脅威であるためここでは村人達の感覚のほうが真っ当だ。
「わ…わかりました。では村長宅で部屋を用意してありますのでそちらにご案内いたします」
「お世話になります」
深々と頭を下げるマリアン。村長が村の中心に近い屋敷まで案内しようとするが、マリアンの後ろに立つベンウッドを見て歩みを止める。
釣られてマリアンも背後に控えているはずの弟分に視線を向けた。視線を集めるベンウッドは周囲の様子などお構いなしに、村の北側を流れる川を見ていた。
「ベンウッド、どうかしたの?」
「ごめん。ちょっと気になることが出来た」
ベンウッドはそう断って今来たばかりの道を少し戻り、途中で人の手の入っていない背の高い雑草だらけの河原へ直進していった。
慌てて追いかけるマリアンと、困惑しながらもマリアンを追いかける兵士長と村長。挨拶も済んでいないのだからと呼び止めようとしたマリアンだったが、ベンウッドの尋常でない様子に言葉を引っ込めた。
教会に出入りするようになってから2週間以上は経ち、彼にも街の生活に即した社会性が身に付き始めている。それをかなぐり捨てているのだからよほどの事なのだろう。
川べりまで一気に分けいったベンウッドは、川の流れを下流から上流に目で追いかける。川の周囲は背の高い葦が生えており視界は良くない。水汲みや洗濯などは橋の近くに切り開いた川べりで行うので、この近辺までは人の手が入っていないのだ。
この川は王国と魔王の本拠地のあった東部の大森林を隔てる南北の壁、バイアームル連峰の麓から続くローバン川の支流だ。流れはそこそこに早いがその分水は濁りが少なく、生活用水として重宝されている。この支流は南部地域の至る所にあるので、王国がこの川を何と呼ぶかはベンウッドも把握していなかった。
この支流の上流は異形の森を通過しており、一部は中層か深層と同じ環境になっていたはずだ。この支流はしばらく平地を流れた後、しばらく下って行けば再び森の中に入る。そこから先は異形の森を横断して魔人達の都市であるゾーディアスの横を抜け、グリムンド湾まで抜けている。これはイシリオンから聞いた話である。
異形の森を縦断する川だが、通常はこの川を伝って魔物が平地に現れることはほとんどない。魔物は自分に合った生息域、主に魔力の濃度によるが、そこからは概ね出てこないからだ。必要な魔力を空気より取り入れないと体が持たないことが理由だ。
しかし何事も例外があるように、少しばかりの間なら土地を離れても生きていくのに不都合はない。浅層域と中層域が比較的狭く、直線距離で深層域が近いこの場所は、一部の魔物にとって十分に間合いの内だ。村と村、そして街を繋ぐ街道で被害が出たのだからここも同じと考えるべきだろう。
「ベンウッド、何を見つけたの?」
マリアンの疑念に対して足元を指さし、何かに押しつぶされて倒れた雑草を示す。それは明らかに人の身を越えた大きさの何かがいた形跡だ。村の櫓や街道に繋がる橋からは死角となって見えない位置だ。
「ここにバジリスクが来た可能性がある」
「!!??」
「え、いや、しかしどうやって?」
驚いて言葉を失う村長に対し、兵士長は現実的にそれがありうる事態なのか疑問を抱いていた。バジリスクの生態を詳しく知らないのであれば無理からぬ話であった。
「バジリスクは川を泳いで渡れる。少しなら潜水も出来る。ここは水深が深いから、森から潜ってここまで来れる」
そんなに速度は出ないが、深いところを泳がれては人間では気づきようがない。潜っている間は動きが鈍いので狩りをすることもないので、痕跡も残らないだろう。
「しかし村人に被害は出ていません」
「そうだろうね。多分これは、この村を襲うために様子見に来てるんだ」
「村を…」
イシリオンと共に中層域と深層域を歩き回ったベンウッドには、似たような事例を見た記憶が幾つかある。無残に破壊された集落で悠々と住人を丸のみにしていくバジリスクの姿は、まだ若い彼にとって衝撃的だった。
「この村の農地を案内してほしい。村の周囲を一周して他にも似たような痕跡があれば確定だ」
ベンウッドの言葉に戸惑うばかりの村長をよそに、兵士長は慌てて近くに控えていた兵に猟師上がりの偵察兵を呼びに行かせた。
案内を待ちながらもベンウッドは痕跡をより詳しく調べるためにかがみこむ。大きさは恐らく成体の平均かやや大きい程度。想定した範囲の成長具合だが、状況は想定よりも圧倒的に悪い。
森の中で戦うならば十分に勝ち筋のある相手だが、平地に出られると話が変わってしまう。条件次第では大量の死人を覚悟する必要があるだろう。
この期に及んではマリアンだけを連れて逃げるわけにもいかない。ベンウッドは早くもマリアンを連れて狩りに来たことを後悔し始めていた。




