12:思想的ハーフエルフの取り扱い
教会において司祭は信徒に神の教えを広める役割を担う。教会の運営も仕事に含まれるが、この職能こそが本分である。そのため神官としての魔法技能は要求されない。あるに越したことはないし、高いに越したことはないが、絶対の基準では無い。広く遍く神の教えを広まるのであれば、伝道者が魔法使いである必要はない。
それは魔法の素養の無い信徒を平等に評価するために作られた決まり事であったが、信仰よりも権力欲にとらわれた者達に悪用されるまで、大した時間はかからなかった。地上における神の代行者である使徒が姿を消してから300年、教会という組織の上層は悪徳で染まりつつある。
このような時代においてガナドゥール・オルメーダ司祭は珍しく、強力な魔法技能を備えた正真正銘の司祭である。元冒険者で出自不明なれど、私財を擲って遍く衆生を救おうとする聖人。バリスフォーグでの彼はそのように評価されていた。
実際にガナドゥール司祭の生活は質素なものであった。衣食住の全てが他の助祭や修道女、養っている孤児達と同じもので賄っている。冒険者の頃から愛用していた高価な魔法の武器や、貴族や商人との対面に必要となる見栄えの立派な祭服など、高価な品は幾つか持ち合わせているが、それも必要最低限だ。
このようにガナドゥール司祭は贅沢らしい贅沢はほとんどしないが、例外的に自分の地下室にだけは拘った。その地下室は教会の敷地内の北側、生活のための空間とは切り離された煉瓦造りの事務棟の地下にある。大人が3人ほど横になったらもう一杯、という狭い空間の両側面には6大神を象った像が配され、正面奥には無貌の人を象った木の像が置かれていた。
そこは外の光も音も限りなく遠ざける祈りの場だ。ガナドゥール司祭はこの部屋にこもり、1人静かに祈りを捧げる事を日課としていた。おおよそ権威を振りかざすことのないガナドゥール司祭であったが、この部屋だけは限られた者以外の接近を固く禁じている。
マリアン司祭はそのごく一部の例外の一人であった。マリアンは事務棟の端から地下に入り、通路のランタンに火が灯っているのを確認する。地下に司祭がいることを確認すると、扉が開いても中が見えない位置に立って、祈りの部屋の扉を控えめにノックした。
「ガナドゥール司祭。マリアンです。今お時間よろしいですか?」
「……ええ、構いませんよ」
返事から少しの間を置いて、狭く暗い部屋からガナドゥール司祭が常と変わらぬ様子で現れた。
ガナドゥール司祭の第一印象は見る人により大きく異なるだろう。中肉中背で髪も口髭も丁寧に整えられた、笑顔の絶えない柔和な文士然とした人物。多くの商人や貴族からはそう見えるだろう。
しかしその手は鍛錬によって硬く鍛えられており、歩く姿にもブレがない。余裕のある祭服の下は現役の兵士と遜色ない筋肉が隠されていた。
「それで、どうなさいました?」
「はい。ベンウッドのことで御相談させていただきたいことがありまして…」
「ああ、彼のことですか。わかりました。場所を移しましょう」
ガナドゥールは祈りの部屋の前に掲げられたランタンの火を落とし、祈りの部屋の鍵を閉める。ガナドゥールの信仰が本物であることは彼の扱う神聖魔法が証明しているが、知らぬ者が見ればこの部屋を邪教の産物と思い込みかねない。
部屋の施錠や秘匿はその類の要らぬ誤解を避けるための用心として、マリアンはその部屋に関しては深く追求はしないようにしていた。神々の正しい姿を覚えている者等、人の中には居ないからだ。
外神戦争で神々が力を失って以降も信仰は連綿と続いているものの、神々の本来の姿がどうであったかを知る者は居なくなった。教える者もいない。6大神の姿を写し取ったと言われる石像ですら、正しい姿であった確証は既にないのだ。
2人は地上にあがって地下室の通路に続く階段への扉にも施錠すると、揃って2階の執務室へ上がる。教会内はどこも人が多く、個人的な話をするのに適切な場所は執務室以外になかった。
執務室に戻ったガナドゥールは手ずから茶を入れ、マリアンと自身の前に置いた。いつもなら貴族や商人相手の作法を教授しながらお茶を嗜むところだが、この日はその授業は省いた。ベンウッドの扱いは教会にとっても重要な事案であったからだ。
「彼は最近どうしていますか? 最初に冒険者として登録したと聞いていますが、最近は頻繁に教会に出入りしているとも聞いています」
「そうですね。教会の行事を手伝ってもらっています。冒険者ギルドでの扱いが腹に据えかねてのことですから、前向きな理由ではありません」
面倒な連中に絡まれたと話を聞いてから既に2週間。ベンウッドは変わらず教会に入り浸っている。人手も資金も常に不足している教会としては有難いことだが、目的を定めないまま今の状態を維持するのは、彼の人生設計において決して良いことではない。
「彼の本来の生業は猟師です。森の奥へ踏み込んでの調査が本業の冒険者とは森に入る理由が違います。なので森の産物を扱う冒険者ギルドとの取引は希望しているのですが、冒険者ギルドの業務には関わりたくない」
「ふむ、道理ですね。そういう猟師は大勢います。異形の森の産物の取り扱いを冒険者ギルドで一元化しましたから、魔物の狩る猟師達は冒険者ギルドと取引せざるをえませんが、同じ仕事では当然ないですね」
元々冒険者というのが街の中では何でも屋のように振舞いがちだ。仕事の頻度や選択をとやかく言われることは本来ないのだが、干渉を退けるにはベンウッドは最初に目立ち過ぎた。
「それでその……また同じ面倒事に巻き込まれないように教会としての名義を貸してほしいと申し出がありました。名義を借りる分、教会の指定の仕事をすると言っています」
マリアンが言い淀んだのはそれが教会に面倒事を押し付けていることを正確に理解してのことだった。
利益でもって返す当ては用意しているものの、まず最初に都合を押し付けて迷惑をかける前提でしかない。白紙の手形を渡すにしても決して良い提案ではない。
そのマリアンの不安を払拭するようにガナドゥールは柔らかい笑みを浮かべた。
「そうですか。名義貸し程度なら構いませんよ。彼は真面目でよく働くと聞いています。名義を貸しても悪いようには使わないでしょう」
「ありがとうございます」
「しかしマリアン司祭、今度こそ彼から派閥の色は消せなくなるでしょうが、その点は良いのですか?」
ガナドゥールとしてはそちらの方が問題であるように思えた。彼の思想がエルフと近い思想であるならば争いから距離を置いて中立を保ちたいというのもわかる。
ガナドゥールの懸念は間違ってはいなかったが、この時は珍しくマリアンがその考えを否定した。
「……構いません。先に要らぬ勘違いしたのは向こうです。誤りを訂正する方法はありませんし、訂正する必要もありません」
「おやおや、珍しい。随分と怒り心頭だったのですね」
「当たり前です!」
声を荒げた、というほどではないが、常のマリアンからはあまり聞かないような強い口調であった。
「これでも私は、彼が街に来るのを心待ちにしていたのです。3年に満たない間とはいえ、一緒にイシリオン様のもとで学んだ友人です。
それがたったの数日でこの有様。出会い頭に泥水をぶちまけられたような気分です。どうして平静で居られると?」
ベンウッドが教会に出入りするようになってから、マリアンは耳が腐るような下世話な話をいくつも聞いていた。同じ修道女や神官達がぼかして伝えて来ただけでも大概な内容だった。
同じ内容を聞いているはずのベンウッドが頑なに口を閉じているのは、本来の内容がもっと過激な内容だからだ。
聖職者のようなお堅い職業の人間が陰で悪徳に身を染めているという噂話は、酒場で定番の面白い与太話だろう。当然悪意と共に聞かされる本人からすれば堪まったものではない。
仕事用の笑顔を取り払ったマリアンは年相応の憤懣をぶちまけていた。このような反応も普段のマリアンからすれば珍しいが然もありなんというところだ。
「いえいえ、それが普通ですとも。ですがそれも仕方ないことです。確かに彼のように強力な冒険者は派閥の力関係を崩します。その恐怖は理解してあげてください」
まるで仲の良い姉弟のような2人の関係性を微笑ましく思う一方で、ガナドゥールはその怒りが目を曇らせる可能性があるとも懸念していた。
マリアンは女神アルマーの加護を受けるだけの善良な精神を持ち合わせているが、その反面邪な者達への理解が著しく薄い。
若くして広い見識持ち強力な魔法を操るマリアンではあったが、こうした苦手な分野に対する理解の面では若さゆえの無理解が表に出てくる。
「彼らは自身に不都合なものを貶めたいのです。相手を貶めることで自身の悪行を正当化し、いつしか正当と錯覚した暴力によって簒奪することを夢見ている。それだけの話です」
「……理解に苦しみます」
その言葉は彼女が愛情深く育てられた証でもあった。開拓村は貧しい村も多いが、少なくとも食料を奪い合うほどではなく、危急の折は助け合うことは前提としている。
だからこそ、必要以上の財や名誉を得ようとする野卑な人々の心根を理解できない。理解しようと努力して、理解できないことにも自覚的だ。
「心根を理解するのでなく、行動の類型として記憶するだけで構いません。足元をすくわれぬように、嫉妬深く強欲な人々の振舞いを覚えておいてほしいということです。彼らは現世の利益のためならどんな卑劣な行いも厭いません」
「………わかりました。心にとめておきます」
マリアンは神の名を口にして深呼吸した。慈愛を説くアルマーの信徒として、口さがない者達に対して治療に差が出てはいけない。
今日の昼に私を貶めた者にこそ愛を。人として誰かを格別愛することがあったとしても、人を憎むことがあってはいけない。
マリアンが精神統一を行う間、ガナドゥールは黙して待った。若い彼女が外で平静を保つには、このように胸の内の怒りをさらけ出す時も必要だ。
「口の悪い人達の話はさておくとして、ベンウッド君には先に教会のための仕事をしてもらいましょうか。貸し借りが残ったままでは彼も気にするでしょう」
「そうですね。何か良い当てがあるのですか?」
「東の森に住むバジリスクの討伐などはどうですか? レッドメイン卿のここ数カ月の懸念事項です。我々から日頃のお礼をするには丁度良い」
「それは……。別の噂が真実になってしまいそうですね」
ここでの噂とは教会とバリスフォーグ南部の土豪レッドメイン氏との協調関係の話だ。これ自体もストラウド砦の責任者と神官戦士団の長が国防のために、普段から交流をしているというだけの話だ。癒着か何かのように言われる筋合いがない。
息のかかった冒険者を使ってレッドメイン氏紐付きの冒険者が独占している業務を解体しようと企んでいる、などと言われているが、高位冒険者が混ざっただけで解体されるのが悪いともいえる。
商業の保護も大事だが、健全な市場の形成を考えれば独占状態が良いわけも無し。権益を守るために必死なダルシアク氏の政策を普段から批判はしているが、立場上無理に事を為そうとしたことはない。
「その方があなたにとっても良いのでしょう? なら、中途半端よりはやりきってしまうほうが良い」
意趣返しのつもりはないが、この噂に関しても誤解を解くための負担が重すぎる。業務内容が隣接するために協力関係は必須なので、難癖をつけるのは簡単だ。一々対応しているほど暇ではない。
ベンウッドからしてもダルシアク側と仲良くするよりは、レッドメイン側と仲良くしたほうが心情的にも気が楽だ。
「どのみち、彼の腕なら遅かれ早かれ要らぬちょっかいをうけるでしょう。手の届く場所で、話の分かる庇護者を宛がうほうが余程良い」
「確かにそうですが、私はレッドメイン卿を直接は知りません。レッドメイン卿は信用出来る方なのですか?」
「南方に住む人々は比較的エルフに隔意の無い方が多い。レッドメイン卿とその配下の方もその例にもれません。問題ないでしょう」
王国の平均的な国民の認識としては奴隷として売られているエルフ、300年前の戦争の後に突如姿を消したエルフ、とそういうイメージしかない。このため彼らを森にすむ蛮人と蔑む風潮が強い。
一方で南方領の村の住人達は異形の森に住むエルフと細々と付き合いがあった。普段は全く顔を出さないエルフ達だが、過去にイシリオンがしたように村が危機にある時はなにくれと助けてくれる。
各種族の自助と自立を基本としながらも、人に連なる種が魔物による害などで困っているときは手を差し伸べる。これがエルフの大筋の方針だ。南方の村々はこの付き合いがあったためにエルフを狩る奴隷商人に利用され、エルフ達の怒りを買うことになる。
このように南部の開拓民がエルフに対して隔意が少ないのはどちらかと言えば例外側なのだ。
「……わかりました。ベンウッドには私から説明します」
「お願いします。レッドメイン卿には私から話を通しておきましょう」
方針は決まった。後はレッドメイン卿に事前通告をすればバジリスク討伐の現場に置いて情報などの支援を受けやすくなるだろう。
日常業務の続きをするためにマリアンが退出するのを見送って、ガナドゥールは執務室の椅子に深く身を預ける。ガナドゥールは今聞いたベンウッドの普段の生活を思い返しながら、イシリオンの語った予定との食い違いのことを考えていた。
今の彼の現状は本来想定された予定と大きく異なる。本来であればベンウッドに森と村の中間で森番をさせると聞いていた。森番であると同時に彼はエルフの代わりに人の行いを見定める役割も担うのだと。
人との関わり方を変えつつあるエルフにとって重要な情報源であり防壁ともなる。つまるところ、エルフと人の完全な断絶に至るための布石として考えられていた。
そのための人材が何故か村ではなく街に送り込まれ、森の深部から切り離すような扱いを受けている。エルフ達の方針が変わったのか、あるいはイシリオンに別の思惑があるのか。
ガナドゥールとエルフの繋がりが現状イシリオンのみであるため、その変化に関する正確な予想は難しい。久しぶりに訪問してきたイシリオンも特に彼に言及していなかった。
「……イシリオン殿の意図はわかりませんが、彼の存在は明らかに火種なのですよね」
王国南方の開拓地では異形の森の攻略が最大の課題であるのだが、長年その森の中に住むエルフの知識と技術があればそれらの課題の多くを瞬く間に解決出来る。
異形の森は脅威であると同時に魔力を豊富に含んだ品を多数産出する宝の山でもあるが、この利権を独占する者達からすればベンウッドの持つ技術は場を乱す脅威となる。
「そうなるとダルシアク卿が黙ってみているとも思えませんが…」
イシリオンは街の派閥の内情に特段詳しいわけではない。派閥同士の対立を煽る目的でベンウッドを送り込んだとは考えにくい。
しかし何の意図も無く放り込んだとも思えない。少なくともそこにはエルフ全体の意思に沿った計画が含まれているはずだ。完全な断絶を見据えた別の計画か、あるいはもっと別の目的があるのかもしれない。
「…………いえ、やめておきましょう」
ガナドゥール自身も諸国を遍歴して人より多くのを物事を見聞きした自負はあるが、自身の何倍もの時を生きたイシリオンと比べれば些末な物。視点の高さで差がある以上、思惑を読み取ることは不可能に近い。
加えて言えば、エルフの方針が変わっていないのならば、イシリオンの個人の思惑は重要ではないのだ。重要なのは300年前より続いているエルフとの戦時同盟が遂に破棄されるということ。
エルフが人のために築いた防衛線に穴が開く。そうなれば王国南部の辺境領は瞬く間に魔人やオークといった闇の軍勢の末裔達に飲み込まれてしまうだろう。
そうなってしまう前に辺境領は以前のような結束を取り戻さなければならない。そのためには投げ込まれた火種を最大限延焼させてでも、辺境領の体制を危うくさせる要因の排除が必要だ。
司祭が過激な手段を取らざるをえないほど、辺境領の現状は深く静かに逼迫しつつあった。
エルフは人の十倍(あるいはそれ以上)の時間感覚なので、50年前とかは人間でいうところの5年前扱いぐらいになります。




