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10:蜃気楼

 マリアンと一度ゆっくり話がしたい。ベンウッドは切実にそう考えていた。森の歩き方は良く知っている自負があるけれど、街の暮らしはさっぱり理解できていないと自覚があるからだ。しかしシスター・マリアンは忙しい。まだ20才にもなっていないが、既に多くの仕事をこなす立場になってしまっている。

 彼女は神聖魔法の使い手としてこの街でも3本の指に入る。その上でエルフの賢者イシリオンの仕込みもあって貴族や商人に劣らぬ学識と教養がある。教会の顔として、あるいは類稀なる癒し手(ヒーラー)として、彼女が周囲から多くの事を望まれるのは必然と言えた。そして彼女自身もその多くを受け入れている。

 マリアンには気軽に遊びに来て欲しいとは言われたものの、忙しいマリアンに自分の為だけに時間をとってもらうのは忍びない。ということでベンウッドは、自分との時間を作ってもらうために仕事の手伝いを申し出た。そこまでは良かった。幼馴染の弟分に対するマリアンの仕事のぶん投げぶりは正直なところ鬼畜の所業だった。

「丁度良かったわ。明日が週1回のお風呂の日なの。蒸し風呂を借りてるから、ベンウッドはそこで真水生成クリエイト・ウォーター篝火(トーチ)をお願いできる?」

 街の男達なら誰でも靡いてしまいそうな明るい笑顔で、割ときつめの魔法の行使をお願いしてくるマリアンに、ベンウッドは詳しい話も聞かずに快諾した。教会の神官と孤児院の子供達のために風呂を沸かすぐらいならまあいいか。そう思ったのが間違いだった。回りで仕事をする神官たちの汚れ具合を見れば、風呂の頻度はもっと多いことぐらいわかったはずだ。

 この時の風呂は近隣に住む貧民向けの無料の蒸し風呂だ。教会の他に商人や貴族など金持ちが薪代・水代を出し合って実施されている社会福祉の事業である。風呂に入る金も節約しがちな貧しい人々が、新しい仕事に得やすいように、不潔な環境から病気にならないようにと、ガナドゥール司祭が貴族や商人を説き伏せて始めた事業だ。貴族や商人は金を出すだけで善人としての顔を売れ、住人の生活が安定すれば地域の治安も良くなる。こういった理由から各職人・商人ギルドからそれぞれ少額ではあるが毎回それなりの金額が集まっている。

 ベンウッドは連れていかれた公衆浴場の窯の前で4時間、みっちり魔法使い(マジックユーザー)として酷使された。同じ強さで揺らぎの少ない火を維持しつつ、必要な分だけ水の継ぎ足しも行う。公衆浴場の表口からはわいわいがやがやと老若男女の楽しそうな声が入り口から聞こえるが、あまりの重労働でベンウッドはそれどころではなかった。

「流石ね、ベンウッド。朝からぶっ通しで湯沸かししてくれるなんて。この前お願いした魔法使いさんの10倍以上長持ちだわ」

 一仕事終えて釜の前でひっくり返っているベンウッドに、マリアンはこともなげに言った。これと同じことを他の人にもやらせたらしい。しばらく見ない間にマリアンの精神は随分ゴン太に成長したようだ。

 文句の一言も言ってやろうかと思ったが、魔力の枯渇で倦怠感が酷い。仕方なく視線だけで不満を訴えることにした。

「薪も水も用意してたから途中でやめてくれても良かったのに…。元気がでるように頬っぺにキスしてあげようか?」

「要らない。そんなのより魔力譲渡(マナ・トランスファー)してよ」

 寝転がったまま掠れた声で拒絶してみるが、マリアンは全く堪えた様子はなかった。

「そんなのなんて、お姉さん悲しいわ」

 演技7割越えの拗ねた声で抗議しつつ、ベンウッドの要望は全て聞き流した。マリアンは会話しながらも、余った薪の本数、備品の状態、浴場使用後の清掃状況の確認など、主催の人間として仕事の仕舞を進めている。

 実のところ魔力譲渡(マナ・トランスファー)が必要とは2人とも考えていなかった。魔力欠乏時の症状は苦しいには苦しいが、生命を削るほどの魔力消費はしていない。全力疾走の後の息切れが緩く持続する程度の話だ。神の御業を緊急でない回復に浪費するのは、如何に優しい女神アルマーと言えども『甘やかし』と判断されてしまう。神との繋がりを強く保つのならば使わない方が正しい。

 逆に精霊との関係は即物的だ。ベンウッドは火の精霊を酷使はしたが、それ以上に対価として魔力を与えている。次があったとしても喜んで協力してくれるだろう。

 魔力を使い続けていた反動もあって、体内で勢いよく魔力が循環しているのを感じる。その流れに逆らわず、魔力が体になじむまで、ベンウッドは何度も深呼吸を繰り返した。目を閉じれば流れる風と柔らかな陽光が肌を撫でていく。魔力が回復するまではこのまま何もしない。神官達が忙しそうだが、流石にこの場は休ませてもらった。

「……まあでも、修行には良かったかな。森の中でこんなに火をたくさん使うことなかったし」

 精霊魔法の修行は実際に魔力を使用して、精霊と交信を深めることで達成される。風や水、土と言った身近な精霊との交信は難しくないが、火や氷、雷などは時と場所を選ぶ。森の中で暮らすベンウッドにとって火の使用は調理のための小さな火だけだった。ドワーフの炉が身近にあれば別だが、一日中強い火を燃やし続ける環境はこれまで皆無と言っていい。

「浴場の管理人さんに言っておく? 薪代が浮けば喜んでくれるわよ。最近は薪も高くなったから」

 予定していた薪の値段を聞かせてもらうと、これがまた結構な金額だった。労働の対価として浮いたお金を一部を要求しても問題なさそうな金額だ。

 街の中で火を使う職人は多い。パン屋もそうだが各食堂・各酒場、鍛冶屋もそうだ。どこでも需要があるだろう。冒険者としての仕事をやらなくてもお金には困らないかもしれない。ベンウッドは何らかの形でこの街に貢献したいと思っていたが、冒険者稼業ではどうしても名誉欲に取りつかれた人々の争いに巻き込まれる。これに対して火の番の仕事なら他と争うこともないだろう。

「…うーん。いや、その時は自分で話すよ。あくまで修行のついでだからさ、毎日顔出せるわけじゃないからね」

 来るか来ないかわからない日雇い労働者のために、その日の作業が変わってしまうのはいただけない。かといって消耗が大きいので定期的に出来る作業でもない。悪くない案だとは思ったが、街の仕組みを理解しないまま始めて良い仕事でもない。ベンウッドはその案を保留しつつ、思考ではなく休息へ意識を傾けた。

「………」

 視界の端では竈に投じた火が残った魔力で弱々しく萎んでいくところだ。ベンウッドは燃え尽きていく種火をぼんやり眺めながら、瞑想の最中に思い起こした記憶に思いを馳せていた。精霊との交信は瞑想に近い。周辺の魔力と自身の魔力を順応させて、その過程で大地に薄く広がる地火風水といった概念の人格をおぼろげながら感じ取る。その過程において自身もまた精霊に人格を覗き見られる。ベンウッドが火を見て思い出したのは、賊に襲われて燃え落ちる故郷の姿だった。

 ベンウッドの生まれた村は、バリスフォーグ南部森林地帯の小さな寒村であった。周辺の森から強力な魔物は概ね一掃され、たまにゴブリンが集落を作っては騒ぎになり、近くの村に住む冒険者に討伐される。それぐらいしか事件の無い穏やかな村だった。しかし遠い街から不穏な噂は絶えず流れており、巡回の騎士は頻繁に村を訪れ、村の男達は万一に備えて訓練と矢の貯蔵を進めていた。

 ベンウッドが父サンダイルより仕事を教わり始めて間もない頃の事。雪が降り始めるには少し早い冬の始まりの頃に、奴らはやって来た。武装した40人程の剣呑な一行は何某かという傭兵団を名乗り、金銭を対価に食料と寝床を要求してきた。しかし村には売るほどの蓄えはなく、寝床に出来そうな家屋も多くはない。村長は彼らを恐れながらも丁重に断った。要求を飲めばこの冬、この村の全員が飢えてしまうからだ。

 傭兵達は大人しく引き下がったように見えたが、案の定すぐさま取って返して賊に変わった。村の見張りを密かに射殺し、家々を奇襲して戦える男を殺して回った。抵抗を失った村から僅かな蓄えを根こそぎ奪い、若い女は一か所に集めて気まぐれに弄んだ。

 サンダイルとベンウッドはその時、村の住人では唯一村の外に居た。森番の仕事で小屋にいたおかげで難を逃れたのだ。事態に気づいて村を見たサンダイルは息子の両肩を掴んで強い口調で言い含めた。

「ここで隠れていなさい。決して声をあげてはいけないよ」

 様子を見ようでも逃げようでも無く、サンダイルは幼いベンウッドを残して戦うことを選んだ。サンダイルに迷うような素振りは少しも感じられなかった。

 ベンウッドの記憶に残る父は偏屈な男だった。口数は少ないし滅多に笑わないし、厳つい顔と目つきの鋭さで村の子供皆に恐れられていた。しかしその見かけに反して怒鳴ったことや暴力を振るったことは数えるほどで、村の誰かに困りごとがあると聞けばすぐに駆け付ける人物だった。

 村の大人達はそんな無口だが善良なサンダイルを受け入れていた。流行り病で妻を失ったサンダイルは、何くれとなく村人達に助けられており、不愛想ながらも村の人々とは上手くやっていた。恐らく、母との関係もそうだったのだろう。だから父が走り出したことにベンウッドは納得はしていた。けれど、それがどれだけ無謀なことかわからない年齢でもなかった。

 村についたサンダイルは暗闇から暗闇へ、物陰から物陰へと隠れながら村を駆け抜ける。そして隙をみつけては賊を一人、また一人と射殺して回った。奇襲される側となった賊達は当初こそ混乱していたが、その混乱が収まれば人との戦いに慣れないサンダイルに勝ち目などあるはずがない。生き残った村人を助けようとして敵に見つかったサンダイルは、物陰に逃げそこなって賊達との矢を何本も受けて絶命した。

 戦える者は彼が最後の一人。明日の朝までには開拓村の全てが賊に平らげられるだろう。領主の目の及ばない森の中の小さな開拓村によくある末路。そうなるはずだった。しかし幸いなことにそうはならなかった。森より現れたエルフの賢者イシリオンが、魔法を使って瞬く間に彼らを制圧してしまったからだ。

 イシリオンが魔法の言葉を唱えると、賊の放った火が巨大なトカゲのような形をとって動き出し、逃げ惑う賊を一人残らず焼き殺した。あっと言う間の出来事だった。

 村人達は一様に驚いた。エルフが自分達を助けるとは思っていなかったからだ。都の貴族に高く売れるエルフを捕まえようと、外からやってきた人間が何組も森に入っていたので、エルフにとってこの村が前哨基地に見えているだろうと自覚はあった。感謝しながらも困惑する村人達をよそに、イシリオンは淡々と死者の埋葬の手伝いをし、壊れた村の家屋の修繕を手助けした。イシリオンはそのままその冬の間だけ開拓村に住み、賊によって失われた蓄えを森の恵みで補填もしてくれた。

 村は多くの男手を失って再建が難しい状態になってしまったが、イシリオンのおかげで冬の寒さがそれ以上に人を殺すことは無かった。

 翌年春、領主によって村が解体される折、イシリオンは村人との協議の元でベンウッドを引き取った。後は森の中を転々としながら、イシリオンとの修行の日々であった。その時点で魔法の才能を確認済みだったと思われるが、だからといって何故ベンウッドに魔法を教えるのか。そもそもなぜ村を助けたのか。成人の日に別れてしまっても疑問は残っている。

 森でなく街で住むように言い含めたことも合わせて、いつかイシリオンには聞かなければならない。何ゆえに心変わりを起こしたのかを。その心変わりには、父のような森番になりたいという願いを、反故にする価値があるのかと。それが悪意や我欲でないとわかってはいても、当事者である自身には知る権利はある。ベンウッドは街に馴染めない自分を俯瞰視しながら、この状況が正しい理由によってなされたのだと信じたかった。

「ベンウッド、教会に戻って昼食にしましょう」

「わかった。今行く」

 瞑想から続いていた思考は途切れる。浴場の入り口付近から聞こえるマリアンの声にこたえ、ベンウッドはまだ少し倦怠感の残る体を立ち上がらせた。足元はまだ少しふらつくが、こんなことでマリアンに心配されたくないので気合で耐える。ベンウッドは深呼吸して靄のかかった頭に喝をいれ、荷物を抱えて引き上げる教会関係者を駆け足で追いかけた。

ベンウッドの父 猟師のサンダイル:レンジャーLv4 ファイターLv1 シャーマンLv0

長い年月かけて森に順応し、自力でシャーマン技能習得の目前まで行った人。

才能はあったので自然崇拝者やエルフの魔術師の指導があればもっと伸びた。

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