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屋上にて

「はあ……はあ……」


 壁に手をつき、階段を駆け上がったことで乱れた息を整える。

 時刻は七時半。屋上に続く扉の小窓からぼんやりと朝日が漏れ出てくる。


 こんな早朝になぜ学校の階段を爆走しているのかと聞かれれば、それはもちろん運動のため……ではない。俺は体を動かすことが好きでも嫌いでもないのだが、早く走ったり力を付けたりすることに特別意義を見出していない。そんな考えだから当然体力もない。


 まあ体力が無くて困るときなんて、謎の手紙で屋上に呼び出された時ぐらいだろう。

 俺はようやく呼吸を戻し、左手で掴んでいた便箋を見る。


 そんな俺は今、まさに謎の手紙で屋上に呼び出され、階段を駆け上がった直後である。

 どうしてこうなった。


『そこそこ大切な話があります。始業前に話したいので屋上に来てください―――来れるものなら。』


 便箋の中にはそう書かれた手紙が入っていた。後半の挑発的な一文さえなければラブレターだと解釈できたかもしれない。ただ、ラブレターだとしたら”そこそこ”なんて言葉遣いはしないはずなのでやっぱり謎の手紙だ。


 幸いにして差出人は分かっている。そしてそいつの性格を考えると、これは十中八九悪戯だろう。


「第一、屋上へ続く扉は鍵がかかって……って開いてるのか」


 この学校の防犯意識を心配しつつ、屋上を見回してみる。


「……」


 予想通り誰もいなかった。昨日の夜に雨が降ったのだろうか、床が濡れていること以外は何も変わった点はない。


「よし戻ろう」


 手紙を見てからすぐに屋上に向かったので、鞄が昇降口に置きっぱなしだ。それを回収しつつ、手紙を出した本人を問い詰めなくては。

 そんな考えから俺は踵を返して屋上を後にしようとし、


「だーれだ?」


 視界を塞がれた。


(あゆむ)なら絶対に来てくれると思ったよ。手紙、見たよね?」


 その声で確信する。やっぱり手紙の主はこいつだったんだな。いや、それよりも


「扉の裏にいたのか。一本取られたな」


「ふふん、そうでしょう。歩が静かにドアを開けるタイプで助かったよ」


「手紙の最後の文は何なんだ? 危うく怖気づいて行かないところだったぞ」


「せっかく高い場所にいるから魔王の気分で手紙を書いたんだよね」


「それにしては四天王の一人にも会わなかったけどな」


 そう言いながら両の目を覆っている手を掴み、ゆっくりとどけてから振り返る。


 そこには飽き飽きするほど見慣れた顔があった。

肩にかかる程度に伸ばしたウェーブ気味の茶髪。今にも爆笑しそうな様子の瞳と紅潮した頬。口角の上がりきった口。


「歩、とりあえずおはよう」


 手紙の主こと飛坂(ひさか)(さくら)、そして俺の幼馴染はそう言った。


 ∫ ∫ ∫


「よく屋上の鍵を借りられたな」


「あれれ? 私が生徒会長ってこと忘れちゃったの?」


 挑発的な目で聞き返してくる桜。


 そう言えばこいつは生徒会に所属しており、その上会長職に就いているんだった。

 こんな悪戯好きな奴が生徒の代表というのは納得できないが、確かに会長なら鍵を借りるくらい朝飯前なのかもしれない。


「職員室に忍び込んで盗み出してきましたー!!」


「生徒会関係ねええええええええ!!」


 おそらく屋上の鍵であろう物を取り出して掲げる桜。なんとこの会長、ただの泥棒だった!!


「だって学校の鍵は生徒会が管理してる訳じゃないし」


「それは……確かにそうか……」


 だとしても盗みはダメだろ。そんな事を言おうとしたが、ギリギリの所で踏みとどまる。


「……それで、そこまでして何を話したかったんだ?」


 とにかく俺は先を促した。できるだけ早く桜の”大事な話”とやらを聞いて、鍵を返させよう。今ならまだ盗みはバレていないので取り返しがつく。しかし、桜のあり得ない一言のせいで、そんな俺の考えは吹き飛んでしまった。


「じゃあさっそくだけど、歩、私を……お姫様抱っこして?」


「嫌だ」


 俺は反射的にそう返してしまった。お姫様抱っこだと? 桜はたまに突拍子もないことを言い出すのだが、これは今までで一番だ。


「え~いいじゃん」


「ダメだ」


「一回だけでいいから~」


「断る」


 そして諦めが悪い。

 桜が冗談を言うときはいつもすぐに引いて、長々と引っ張ることはない。となるとさっきの発言は冗談じゃないのか? そもそも、と若干戸惑いながら俺は続ける。


「俺の力でお姫様抱っこができるわけないだろ」


 そう、自慢ではないが俺は筋力がない。それこそスーパーで売られている米の入った袋を運ぶことさえ苦労するレベル。桜とは一緒に買い物に行くこともあるのでそれは分かっているはずだ。


「大丈夫、歩ならいけるよ。私は歩を信じてるから」


「嬉しいセリフだな。でも出来ないものは出来ない」


「ふ~ん。じゃあいいよ」


 ようやく分かってくれたみたいだ。俺は嘆息しながら前を向く。


「それならこの鍵はずっと私が持ったままだね」


「なっ……自分を人質に!?」


 全然分かってくれていなかった。それよりもこの状況は不味い。もし俺が強引に出て行ったりしたら桜は絶対に拗ねる。拗ねてずっと屋上にいるだろう。そうなればいずれ鍵が無くなったことがバレて……考えたくもないな。


 そんな事を想像している間にも桜は、どうする? どうする? と詰め寄ってくる。

 こうなってしまったら俺に選べる選択肢は一つしかない。


「……受け身の準備をしておけ」


 不本意だが、お姫様抱っこをするしかないみたいだ。


 ∫ ∫ ∫


「いいか、絶対に腕を動かすなよ」


「分かってるって~」


「大丈夫だ。俺は桜を信じていないからな」


「あはは、酷い」


 立膝になった俺の太ももに座りながら桜が答える。暢気なものだ。

 まあ俺としても後戻りはできない。


「まず背中に手を回して……それから下半身に力をいれて……っと」


「わあ~凄い。ちゃんと持ち上がってる」


「まて、急に暴れるな」


 こんなことは言いたくないが滅茶苦茶重い。俺に余裕は全く無く、桜には出来るだけじっとしていて欲しかった


 そんな中、ふと強烈に感じる既視感。まるで、前にこんなことをしたかの様な感覚が湧いてきた。数えきれない周囲の視線。いろいろな角度から俺たちに光が当たる。腕の中のそいつはにっこりと俺に笑いかけて……。


 気を取られる時間は一瞬で十分だった。次の瞬間、俺は屋上の濡れた床に叩きつけられていた。


 ∫ ∫ ∫


「っ……歩、歩!! 目を開けてよ……」


「いやがっつり開けてるわ」


「それもそうだね」


 完全に目を合わせながら言われた。こんな時でもふざけられるのは逆に感心する。


 対して今の状況は酷いものだ。俺は水たまりが山ほどある屋上で仰向けになっている。背中の冷たい感触からして制服はかなり濡れているだろう。そして桜は俺の腹部にしっかりと座っている。こっちはおそらくどこも濡れていない。


「とにかく……これで分かっただろ。俺にお姫様抱っこは無理だ」


 桜をどかし、持っていたハンカチで背中を拭きながら言った。


「……雨上がりだったから滑っちゃったんじゃない?」


「いや、そもそも筋力とかが足りてなかった。一瞬持ち上げることができても、たぶん数秒程度しか続かないと思う」


「そっか……」


 珍しく落胆した様子の桜である。それを見た俺はなんだか複雑な気持ちになってしまった。

 なんだかんだ言いながらも、俺はお姫様抱っこを成功させて喜んでいる桜が見たかったのかもしれない。いきなり屋上に呼び出され、お姫様抱っこを強要させられ、背中をずぶぬれにして、さんざん振り回されてもこう思ってしまう。


 俺はたぶん幼馴染に甘すぎるのだろう。


「歩……ごめん。私のわがままで迷惑かけちゃって」


「気にするな。俺には荷が重すぎたってことだろ」


「それは二つの意味で?」


「……精神的な意味だけだ」


 実際には結構重かったが。俺の力が無いせいでそう思っただけだろう。


「それに桜には今までもさんざん振り回されてきたから今更だな」


「ふふっ、ありがとう」


「そんなことより鍵を返しに行くぞ。まだ退学にはなりたくない」


「うん」


 桜の謝罪もお礼も俺には正しく理解できた。そして俺の意図も全部桜に伝わっているだろう。だてに幼馴染を16年もやっていない。

 かくして俺は幼馴染と共に屋上を後にした。

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