第6話 この世界の日本、特に日系植民地の拡大についてー2
本当に、この辺りは色々と考えながら、書いたことが多くて。
(更に言えば、拙作の「松平信康転生」(略称)の執筆の記憶と色々な意味で、私の記憶の中では微妙に入り混じっていて)
何処まで正確な叙述なのか、私自身にも確信が持てない現実が。
この辺りについて、異論が多々出そうですが。
現代の多くの方から意外に想われそうですが、オーストラリア大陸の大地の多くが不毛の大地、砂漠等で覆われているという現実があります。
そして、農業に適していると言えるのは、オーストラリア大陸でいえば、東南部の一部に過ぎない、といってもそう過言ではない、と私は理解しています。
そういった現実から、「皇軍来訪」後に足利家の面々、及びその関係者はオーストラリア及びその周辺に送られることになりました。
ぶっちゃけて言うと、史実でも英国からすれば、オーストラリア及びその周辺は、囚人の流刑地として開発されていますが、この世界でも似たような事態、日本本国から足利家の面々等を流刑に処する植民地として、開発されていくことになったのです。
さて、改めて日本から東方、太平洋を横断して赴く南北米大陸方面についてを述べるならば。
史実では1540年代前半、北米大陸はほぼ欧州諸国にとっては手付かずでしたが、メキシコ以南の中南米大陸、及びカリブ諸島の枢要部は主にスペインに、一部のブラジル周辺のみがポルトガルによって植民地化されつつあった、と私は理解しており、この辺りはこの世界と史実と同様と私はしていました。
勿論、細かに見れば、まだまだ完全にスペインやポルトガルが、中南米大陸等を植民地化したとは言い難い状況で、いわゆる点と線を結ぶ地域を植民地化しただけで、面を覆うような植民地化を果たしてはいない、とも私は理解していました。
とはいえ、そういった状況に至っている以上、日本本土からの中継地無くして、日本がスペインやポルトガル領になっている中南米大陸に攻め込む等、距離の問題から極めて困難です。
そうしたことから、私は地図を睨んだ末に、まずはカリフォルニアを日本本土からの中継地、前進拠点として整備するのが至当と考えました。
更に誰というより、どの勢力が当たるのが至当か、私なりに考えた末に、徳川(松平)家が前進拠点の整備を行うことにしました。
この辺りは、当初の大プロットの影響もあります。
当初の大プロットから、北米大陸で日本本国からの独立戦争が起きるのを、私は決めていました。
更に、それを起こすとなると、史実の著名人を私なりに調べた限り、やはり、読者の知名度も相まって徳川家康が至当と考えたのです。
とはいえ、そうなると徳川(松平)家を北米大陸に早期に送り込む必要があります。
そんなこんなを考え合わせた末に、徳川家はカリフォルニアに送られ、更に史実のようなゴールドラッシュが起きたことから、日本本国から移民が殺到するという流れが起きることになりました。
そして、カリフォルニアが開発されていくのですが、やはり当時の徳川家のみだと小勢力過ぎます。
そうしたことから、史実も考えた末に今川家、更には武田家や北条家等も協力することにしました。
ですが、これだけだとロッキー山脈を越えて、北米大陸の中東部へと日本が侵出するのが、かなり遅れることになりそうです。
そんなことから、後奈良天皇が崩御されたことに伴う大喪の礼の際に法華宗がトラブルを起こしたこと、更に本願寺派も対抗したことから、北米大陸中東部に日本は早期に侵出していくことにしました。
そんなこんなが重なった末に、当初は家族想いの優しい女性だった筈なのに。
武田義信と結婚した上里和子の性格は徐々に変わっていって、終には感想欄で、北米独立戦争が起きた最大の戦犯は和子では、みたいな指摘を受ける事態にまで。
実際、作中での対スペイン戦争の呼号を始めとして、様々な和子の所業からすれば、全く仰られる通りで、本当にどうしてこうなった、と作者の私も想います。
ご感想等をお待ちしています。