第5話 この世界の日本、特に日系植民地の拡大についてー1
当初の大プロット策定時点から、「皇軍」が日本本国に帰還して、それなりの基盤を調えた後、この世界の日本(政府)は積極的に海外へと侵出することは決まっていました。
そして、どのように侵出していくかですが。
私なりに世界地図を睨んだ末に。
史実でもそうでしたが、「皇軍来訪時」の1540年代に日本といえる範囲ですが。
多くの方からの異論がかなり出そうな私の理解で描きますが。
かなり大雑把に言ってですが、本州、四国、九州及びその沿岸諸島(佐渡、隠岐、対馬、壱岐、五島列島他)といったところで、現代ならば日本に含まれる北海道は、まだまだ日本国内とは言い難く、奄美群島以南の南西諸島は(どちらかといえば)琉球王国の統治下にあるという状況である、と私は理解しています。
(細かいことを言えば、奄美群島は在地勢力が半独立状態にあり、敢えて言えば、琉球王国が支配下に置こうとしている状況と言えるでしょう。
当時の日本本国内の多くの地域で境目の国衆が半独立しており、そういった国衆を周囲の大名が自らの家臣に組み込んで統制しようとしていたのと、似た状況と言えるかも)
そして、「皇軍」は南シナ海に出現する以上、まずはルソン、マニラを抑えて仮根拠地にして、琉球(沖縄)から日本本土を目指して制圧していくのが、流れ的にも至当だ。
その後だが、帆船を造って世界を探査していかねばならない。
何しろ、本当に自分達の世界知識が、この世界でも通じるのかを確認する必要がある。
そして、いきなり太平洋横断等は冒険が過ぎるので、基本的に島伝いで探査していくのが無難だ。
となると、日本本土から太平洋方面については、北海道から千島列島、カムチャツカ半島、アリューシャン列島を経由して南北米大陸にまずは向かうことになる。
又、南シナ海からインド洋方面については、当時、それなりに交易が行われていた。
そういった交易商人からも知識等を得ていき、実際に帆船による探査行で確認して、世界地図というか、知識を「皇軍知識」とすり合わせた上で、世界戦略を練ることにして、と考えました。
更に日本が海外侵出して利益を上げていくのに、どのように侵出するのが至当か、自分なりに北から西へ、更に南から東と考えるならば。
まずは、北方方面、北海道から北へシベリア、アラスカ方面に向かうのは、超長期的に考えれば資源等が見込めますが、どう見ても魅力に欠けます。
次に西方方面、朝鮮や明への侵出ですが、文禄・慶長の役や日清・日露、日中戦争の流れを見る限り、どう見ても直接的な軍事侵攻が対価的に引き合うとは考えられず、倭寇による武装密貿易に徹するのが正解と考えました。
次に西南方面、東南アジアからインド、豪州方面への侵出ですが、これが貿易等で儲けることを考えるならば、一番、有望と考えました。
まず、敵となる海上勢力はポルトガル位で、「皇軍知識」を得た日本にしてみれば、人口等の国力比からしても鎧袖一触になります。
更に香辛料といった目に見える交易品が既にあり、その販路を活かすことで、日本製の様々な産品の輸出等が見込めます。
又、明や朝鮮の市場とも容易にリンクすることができ、南シナ海からインド洋の交易市場を日本が抑えることは、それこそ世界最大の人口を抱える市場を日本が制することで、膨大な利潤が上がると考えられました。
その一方、西南方面を日本人の植民先として考えるならば。
既に東南アジア、インド方面は、それなり以上に人口が稠密で、日本人が植民するのは困難です。
豪州方面は実は耕作地が乏しい土地と言っても過言ではなく、余り植民先として魅力的とは言えません。
そんなことから足利家等が赴くことになりました。
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