第23話 改めて自分が民主主義者だと考えて、一旦、筆を擱きます
本当にまだまだ描くネタはありますが、これ以上のことは、それこそ個別のキャラ、登場人物のことに私としてはなるので、別作の「戦国に皇軍、来訪す―人物伝(仮)」において、此処の人物紹介の中で描こうと私は考えます。
そんなことから、この話で、一旦、筆を擱きます。
尚、このエッセイ等で描かれていない、この点が気になるので、作者はどう描くつもりだったのか、何処かに書いて欲しい等の指摘、感想等が、感想欄なり、又、メッセージを寄せられるなりされた場合には、お答えできる範囲でこのエッセイに追加で描く形で基本的にお答えしたい、と考えています。
それにしても、戦国時代に「皇軍」が来訪する話である以上、それこそ独裁政治万歳で、ファシズム国家ばかりの世界に最終的になった方が自然な終わり方では、とある方から言われましたが。
私には、どうにもそんな世界は描けませんでした。
この辺り、それこそその人の政治思想というか、様々な政治に対する考え、想いによって変わってくることで、私が誤っているかもしれませんが。
史実の歴史の流れに毒されている、と言われるでしょうが、私としては、文明が進んでいき、「産業革命」が果たされた後の社会、国家においては、現実世界でもそうですが、様々な紆余曲折が生じるでしょうが、最終的にはやはり立憲主義、民主主義の国家が基本になると考えられてならないのです。
「産業革命」が果たされた後の社会、国家では、基本的に国民、住民は豊かになり、それなり以上に自らの権利等を主張するようになるのが必然的といって良い歴史の流れではないでしょうか。
そして、国民、住民が自らの権利等を主張して、それが護られるようにしようと考えるならば。
革命という方法の行使にまで至るか否かはともかく、立憲主義、民主主義の導入を国民、住民が叫ぶようになるのが当然ではないか、と私は考えるのです。
実際に世界の歴史や、現在の多くの世界の地域の現状を振り返るというか、実際に調べる程に、時が流れて、時代が進むにつれて、自分達の権利を認めろ、そして、守れという声が上がり、更には立憲主義や民主主義を国民、住民が叫ぶ事態が起きています。
勿論、こういった際の民主主義が時として民族主義や宗教、宗派問題を引き起こして、それによる対立激化から武力紛争等を引き起こしているのが、現実ではないのか、それなのに民主主義が本当に優れていると言えるのか、という批判が一部の人から起きるのも、私としては完全に否定できないのが現実でもあります。
でも、私としては、それでもチャーチル元英首相の名言、
「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」
という名言が真実であると信じています。
(この辺り、民主主義を資本主義と言い換えても全く同様だ、と主張がネット上等ではそれなりに見られるというのが、私としては何とも言えません。
資本主義が誤っているとは言いませんが、民主主義以上に様々な安全網が、資本主義には必要不可欠だと私は考えるからです)
更に言えば、何とも皮肉なことに古代ギリシャの政治家アテネのペリクレス以来、20世紀のチャーチル元英首相等まで、民主主義に対して懐疑的な政治家の方が、民主主義を上手く運営して来たという歴史上の大きな皮肉までが。
そんなこんなから、この世界の主要国の政治体制ですが、最終部の1622年現在、民主主義国家が徐々に増えつつあるという状況下にあることにしました。
ローマ帝国は専制君主制の国家では、とツッコまれそうですが、エウドキヤ女帝の崩御後、立憲君主制に移行の予定です。
それではこれで筆を擱きます。
これで、一旦、完結させます。
ご感想等をお待ちしています。




