第20話 この世界の宇宙開発について
この小説の執筆を開始した頃から、最終部の辺りで、この世界の人類は月面に到達する予定でした。
とはいえ、どういう形で宇宙開発が進むのか。
世界各国の協働という形なのか、それとも世界の複数の国が競い合う形なのか、そういった辺りについて、予定は未定というのが、当初の状況だったのです。
そして、私の筆が奔った結果、日本の北米植民地は北米共和国として独立し、又、ローマ帝国が建国されることになりました。
それに科学技術の水準も原爆が開発される等、宇宙を目指しだしてもおかしくない水準になりました。
そんなことから、いよいよこの世界なりの宇宙開発が行われることにしよう、と私は考えることになったのですが。
冷静に人口という国力を考える程、この世界では史実で米ソが繰り広げたような宇宙開発競争というのは火葬にも程がある、と私自身が考えることに。
それこそ開発余地がまだまだあること、又、医学を始めとする科学技術の進歩が順調なこと等が相まって、この世界では幼少時の子どもが生き延びることが増え、又、平均寿命が延びていることから、人口爆発といってよい事態が起きているのですが。
そうはいっても、この小説世界で最大の大国と言える日本でさえ、本国人口は最終部になる1622年時点でも約3000万人といったところに過ぎません。
それこそ史実の米ソの人口からすれば、文字通りに一桁違う人口なのです。
(米ソが宇宙開発競争を繰り広げていた1960年代ですが、米ソは共に1億以上の自国人口を単独で誇っていました)
そんなことからすれば、世界各国協働で宇宙開発を進めないと、どう考えても1620年前後の月面到達は国力からして火葬極まりない。
そうしたことから、世界各国協働で宇宙開発が、この世界では進んだことにしたのですが。
どういったきっかけで、宇宙開発が行われることになり、又、世界各国が協力することになったのか。
小説上とはいえ、それなりの背景事情が必要で、それを描写する必要があります。
それをどうしようか、色々と悩んだ末に。
カリブ諸島の武装化を日本が進め、それに対抗するために北米共和国が宇宙開発を偽装したロケット開発を進めようとし、それを警戒した日本がローマ帝国を誘って、世界各国が協働した宇宙開発をこの世界で行おうと北米共和国に持ち掛けて、それに北米共和国も止むを得ず参加した、という形を執ることにしました。
とはいえ、それならそれで、北米共和国にも、日本やローマ帝国からの申し入れを断りにくい何らかの事情が必要になります。
本来ならば、そのような協力は一切不要、と北米共和国が突っぱねるのが、国防上の必要も相まって当然の話になるからです。
(実際問題として、様々な兵器の国際共同開発が、現実世界において、各国の事情が絡んだ末に多くが頓挫する事態が起きています)
そうしたことから、頭を痛めた末、織田信長の姪にして、浅井長政の娘、エウドキヤ女帝の義妹になる小督と、徳川秀忠の縁談を絡めることで、結婚に伴う贈り物だというゴリ押しが、日本やローマ帝国から北米共和国にあったことにして、この世界では世界各国が協働して宇宙開発が進むことにした次第です。
更に言えば、それを発端にして、様々な人の縁が紡がれることになって。
黒田栄子や池田茶々らが宇宙飛行士になり、様々に宇宙開発において活躍する事態にまで至りました。
完結した後で、改めてこの小説を読み返す限り、今の私自身には違和感が特にはありませんが。
執筆当時を思い返す程に、よくもまあ、これ程に違和感がないように描けてまとめられたもの、と今更ながら、絶壁を振り返らないことで何とか登れた気が私はしてなりません。
ご感想等をお待ちしています。




