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5.お嬢様は助からない

ざまぁの下積みパート。

直接的な暴力の表現があります。苦手な方はお気をつけください。

 アルカーシア以外に当主候補がいない件で、何も解決策が見えない頃――具体的には、母の喪が明けてすぐ。

 父エーニオが愛人ヘレネと、その間にできた娘アイリーンを王都邸(タウンハウス)に連れ込み、我が物顔で暮らし始めた。


 帰宅早々「お前にとっては継母と異母妹だ、仲良くしろ。貴族社会が分からなくて不自由もあるだろうから、お前が面倒を見ろ」とだけ紹介された。

 さらには再婚に関する諸々の手続きをしておくよう命令されたアルカーシア。

 言われるまま、エーニオとヘレネの入籍手続きを申請し、貴族の戸籍を管理する部署と、グジ男爵家に書類を送った。

 ウィステリアとエーニオは死別による離婚が成立しているが、実父のエーニオは未成年者であるアルカーシアの親権者の一人なので、入籍が完了するまでは代理申請が通るのだ。


 男爵家からは丁寧な礼状と、アルカーシアからの質問への回答が帰ってきた。

 その内容をエーニオが知ることはない。

 郵便は全て執事の管轄下にあるし、執事は当然ながらアルカーシアの味方なので、彼女にしか手紙を渡さないのだ。



- - -



 ところで王都邸に来た時、異母妹は十二歳になったばかりだった。

 つまりエーニオは入婿でありながら妻の妊娠中に浮気して、外でもすぐ子供をこさえたゲス野郎なのだと使用人一同もすぐに理解できた。

 従来から恩給と支度金だけせしめて何の仕事にも貢献していなかったので、カス野郎であるとは認識されていたが。


 アルカーシアの感想としては「この男は邸にいない方が快適ですわね」である。

 増えた平民の女二人については、相手の出方次第では家に置いてやっても良いと思っていた。

 天空レベルで上から目線の言い方ではあるが、アルカーシアは子爵家当主代行なので何も間違っていない。

 通常、邸に置いてやるかどうかは当主が決めることであり、当主代行は、当主不在時において同等の権利を持つ。


 そんなわけで、ヘレネとアイリーンに当座の問題はなかった。問題はエーニオである。

 これまでも年間のほぼ全てを愛人宅で過ごし、金を貰えばすぐに出ていき、顔を覚えてもいない父。

 端的に言えば、未婚の令嬢が住む家によく知らない中年男が乗り込んできたのだから、普通に気持ち悪い。実父でなければ通報しているところだ。

 そのため、一度だけ素直に忠告した。


「この家を避けていらしたでしょう? 葬儀にすら来ないほどお母様が怖かったのでしたら、お母様の実家であるこの家に無理して住まなくてもよろしいのですよ」

 

 エーニオは逆上した。


「このっ、馬鹿っ、娘が! それが、父親に、対する、言葉かっ!? このっ、このっ、お前も、死ねばっ、よかったんだ! 俺を、邪魔、扱い、するなっ! 俺は、やっと、あの、女からっ! 解放っ、されたんだっ!」


 実の娘の胸ぐらを掴み、顔を拳で二回殴り、首元を絞め上げたまま壁にガンガンと後頭部を打ち付けさせる。掴んだ腕を払って足元に転ばせ、頭を三回、頭を庇う腕を五回、腹を十五回、脚を九回踏みつけた。

 その様は、怨恨による殺人で、かつて加虐側だった被害者が決して起き上がってこないよう、執拗に、怯えながら、反撃されないことが確信できるまでナイフで刺し続ける『気弱な犯人』と同種の暴力性であった。


 それでも飽き足らず、次女(アイリーン)に火かき棒を持たせる。


「アイリーン! それでお前の不出来な姉を打ち据えろ! 一家の長に逆らうとどうなるのか、よく教育するんだ!」


 アイリーンは初めて見た父の苛烈な暴力性に怯えていたし、なんなら自分も父の機嫌を損ねたら『教育』されるのだと思うと、震えて足が動かなかった。

 しかし今のエーニオならそれもカンに障りかねないと後妻は察した――平民は、貴族の顔色を正しく窺えないと命がないので、そういうのは得意なのだ。


「重たいものを振り上げるのは難しいみたいね。お母さんに貸しなさい」


 ヘレネはとっさに棒を掴み、エーニオの望み通り、床にうずくまる前妻の娘に叩きつけた。

 ヘレネは武人でもなんでもないので、手に伝わる感触で骨が折れたかどうかなど定かではない。

 逆上していた夫が溜飲を下げ「そのくらいでいいだろう」と言うまで、根気よくアルカーシアの手足に火かき棒を振り下ろし続けた。

 額にかいた汗は数分間の運動のためか、機嫌を損ねたら次は矛先が自分に向かうのではないかという冷や汗のためか、ヘレネ本人にも分からなかった。



 この時アルカーシアが死なずに済んだのは、ひとえに治癒魔法のお陰である。

 母は救えなかった怪我専門の治癒だが、癒法士としての実力は『再生級』である。たとえ欠損があっても、死ぬまでに治癒を開始できれば助けられる実力者だ。


 殴られながら、蹴られながら、常に治癒魔法を己にかけ続けていた。

 だが目に見える怪我が一向に増えないでいると治癒をかけているのがバレるから、外から見える派手な傷や打撲痕を残して、内側だけを治し続けた。

 

 気が済んだエーニオが居間を出ていき、向かいの食堂間で「お前たちは今日から子爵夫人と子爵令嬢だ! 」と宣っているのが聞こえた瞬間、アルカーシアは小さなため息をついた。


『頼れる人を悠長に探してる段階ではないのよね。わたくしが爵位を継ぐしかないんですもの』


 自分が子爵になったと勘違いしているなら、今は放っておこうと判断した。

 これまで通りの金さえ渡しておけば実情など気づくまい。


 母の存命中だって領地経営に関与してきたことなどないのだから、どうせこれからも口など挟んでこない。

 俗物極まるこの男が望むのは「働かずに贅沢な暮らしがしたい」それだけのはず。

 それを叶えてやれば、実務の面では何も干渉はしてこないと踏んだ。


 三人にかかる出費は少々痛いが、これは自分があと四年早く生まれていなかったのが悪い、遅く生まれてしまった罰金だ、と思うことにした。

 自分が生まれる時期など子供本人にはどうしようもないことだが、この時点でアルカーシアが成年貴族であれば全て解決したのだから、そう思う以外に仕方ない。

 家令以下全ての使用人にも、決して真実を教えないよう箝口令を敷いた。知ったら今度こそ刃物でアルカーシアをメッタ刺しにしかねない。


 それから即座に厨房へ行き、エーニオと後妻の食事には塩分を増やすよう命じた。それに気づかれないよう、香辛料を多めに使った料理を出すように入れ知恵もした。

 ただ贅沢がしたいだけの品性下劣な人間に、真の美食など分かるわけもない。『高くて貴族らしい料理なんだから、これは美味しい物だ』と思う程度の知性なら、香辛料を少々多めにしておけば小細工の真意に気付くとも思わなかった。


 この時点では、アルカーシアを殴れなかった異母妹はそう悪い子でもないかと思っていたので、彼女の分だけは普通の食事にしてやる配慮があった。



 - - -



 その後も、同じ家にアルカーシアがいることすら気に食わないとばかり殴られる日々が続いた。 

 顔を合わせれば出血か骨折を伴う怪我をするので、寄り親に常駐の医者を手配してもらうに至った。


 医者はときどき、カルテの入った鞄を寄り親の侯爵家に「忘れ物」した。

 しかしアルカーシアが未成年で、先代女子爵夫君である実の父親が存命のため、侯爵家にできることは少ない。


(そこまで要件をはっきりさせているのなら、あの種馬を殺してくださればよろしいのに。侯爵家なら影の一人や二人いるでしょうに)


 もちろん、そんなことをしても侯爵家に得がないので殺してくれないだけなのは分かっている。

 かといって未成年の内にエーニオを殺したら、貴族殺しになって罪に問われる。アルカーシアの成人と共にエーニオは平民落ちするので、それから殺せば罪にはならない。

 だが、その「成人になるまでの期間」を耐えるのが大変だと言う話である。『止まない雨はないと言われても、今降ってる豪雨に何の意味があるだろうか』と同じことである。今助けてほしいのだ。

 

 侯爵家から今以上の干渉をするには、アルカーシアが侯爵子息と婚約し、侯爵が『将来の親』になるしかない、と心苦しそうに教えてもらった。

 親同士であれば、子爵家次期当主の実父であるエーニオに対し、侯爵家当主の義父が余裕で無理を通せるのだと。

 何度助けを求めても『結婚して子爵領を寄越せ』以外の返答がない寄り親のことを見限ろうかと思ったが、寄り親を変える選択もまた、未成年の権限ではできないのだった。


 結局、すぐ実行できる手段では子爵領が無くなってしまう。アルカーシアは悩んだが、自分が耐えれば良いことだと肚を決めた。


 

 そんな扱いを続ければやがて後妻も異母妹も感化され、彼ら三人の中でアルカーシアは『何をしてもいい存在』ということになった。

 エーニオが命じるから仕方なくではなく、後妻は嬉々としてアルカーシアを痛め付けた。

 異母妹はアルカーシアの持ち物を奪って身に付けたり、アルカーシアの不在中に邸の骨董品や美術品を勝手に売り払ったりした。


 それで得た金でやることと言えば自分達が贅沢することだけだったのは、まだ不幸中の幸いと言えた。

 法務官僚あたりにワイロなど贈られては、アルカーシアの戸籍が抹消される可能性すらあったのだから。

 そんなことを思い付かない愚鈍(バカども)で本当にようございました、と家令も胸を撫で下ろしていた。

 

 ただし執事が、仮にも男爵令息だったというのに搦め手を思い付かないエーニオは、酒で随分と脳をやられているのかもしれない、だからあんなにカッとなりやすいのでは、と忠告した。

 アルカーシアはそれを受けて「そもそも酒にご禁制の植物を混ぜているのでは」と疑いもしたが、外に出掛ける様子もほぼなく、定期的に訪れる客もいないため、その疑いは無さそうだと安堵した。



 せめてもの救いだったのは、アルカーシアがウィステリアにそっくりだったためか、エーニオがおぞましい事を決してしないことだった。

 嫁に出せば金になるはずの貴族令嬢の、顔を殴った時点でエーニオに思考力などなく、何度も暴力に及ぶことで倫理観など無いことは明らかだ。つまり『実の娘だから手を出さない』のではない。

 単純に「ウィステリア様そっくりの顔に萎えて使い物にならないからだろう」「奥様そっくりで実に良かった」と使用人たちの間ではもっぱらの噂であった。



 その代わりなのか、魔力の流れを阻害する薬を盛られかける事が何度かあった。

 

 同じ家にいながらもアルカーシアと三人は食卓を共にはしなかったが、別の時間帯に食堂の間を使っていただけである。

 先に楽しく食事を済ませた三人は、アルカーシアが自分たちの豪華な食事の残飯をお情けで貰っていると信じていた。

 食堂の間から帰るときに、廊下にいる使用人へ薬の入った小瓶を渡し、アルカーシアの皿に混ぜるよう命令した。

 エーニオの味方など最初から一人もいない使用人一同は、さっさとその小瓶を分析し、結果をアルカーシアに伝えた。


 魔力阻害薬を盛られてから暴力を振るわれれば、治癒が発動しないか、効果が低くて間に合わない可能性がある。 

 この段になってさすがに、アルカーシアも王都邸を出て命を守ることに専念すると決めたのだった。


 母との思い出が残る大切な邸を、バールグラウ子爵家の財産である王都邸を、あんな下賤の者に明け渡すのは本当にイヤだった。

 が、そうも言っていられないほど悪意がエスカレートしていた。

 アルカーシアが未成年であり、エーニオの軛から逃れるには法的立場が足りないことが、事態を閉塞させていた。


 かといって寄り親は頼れない。また結婚の話を持ち出されては困る。

 王家に相談などさらに不可能だ。子爵家とは言えいっぱしの領地貴族が、家庭内の事で王家を頼るなどあり得ない。

 自分で家中の騒ぎを収める力はないでちゅ、だから王家に取りなしてほちいでちゅ、でも領地の運営はできまちゅ、信じてくだちゃいバブバブ~と言っているようなもの。

 申し出た時点で当主資質の不足認定から領地没収一直線である。

 すなわち、どっちを頼ってもバールグラウ家はお取り潰し不可避なのだ。


 結局、政治的な理由により、アルカーシアは誰も頼れそうになかった。

 

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