3.お嬢様は爆速で卒業する
とりあえず3話まで。
この土日で上げきれたらいいな。
元々アルカーシアは、ごく普通に十六歳で学院に入学する気でいた。当時の当主である母ウィステリアもそれでいいと言っていた。
だからウィステリアが亡くなった時点で、いざ入学しようにも、なんの準備も出来ていなかった。
アルカーシアも、優秀な使用人一同も、さすがに頭を抱えた。
「ゼロからの入学準備では、どう頑張っても時間がかかるわよね」
「入学に伴い、まずは先々代様以降の血筋のご状況を証した書類が必要でございます。次期当主の資格を持つことの証明が、入学資格書類に相当します」
「領地で集めなければならない書類もございますが、王都でアルカーシア様ご同席でしか発行できない書類もございます。大変なご負担をお掛けしますが、何度か王都と領地を往復していただくことになるかと……」
「なのに移動だけでも、貴族馬車なら片道七日? はぁ、どれだけの時間がかかるのかしら……」
ため息も出ようというものであった。
アルカーシアは一応馬にも乗れたが、早馬便のように馬を酷使する移動、駅ごとに馬を換えて走る強行軍に耐えられるわけではない。
あくまでも貴族令嬢のたしなみの範囲でしか乗れないのだ。諦めて往復十四日揺られるしかないのである。
- - -
それはそうと、学園側も頭を抱えた。
普通『繰り上げ卒業』というのは、成人年齢である十六歳で入学してきた次期当主が使うものだ。
在学中に、不幸にも当主である親が死んでしまい、急いで当主の座を継ぐために特例として用意された制度である。
もちろん座学のカリキュラムが全て終わっており、後は成年貴族として社交の実践を残すのみ――という状態にならなければ制度の適用はできない。
それが、である。
在学中の訃報ではなく、入学前の当主逝去。
未成年しか次期当主候補がいないというまさかの事態。
そんなのが、これから入学してくる。
ウェストフェ王国で爵位を継げる条件は『十六歳になっていること』と『中央貴族学院を卒業していること』。
当然ながら、領主が長い期間に渡って空位になっているのは、国として望ましくない。
つつがなく納税および領地行政が行われるべく、一刻も早く有資格者を爵位につけなければならないとされている。
学院は、若手貴族として適切な人材を育て社会に送り出すための公的機関である。
であれば、カリキュラムを前倒ししてでも全てを詰め込み、十六歳になると同時に彼女に爵位を継がせるのが最短にして最善。
その結論を出さざるを得ない。
アルカーシアが制度の悪用を決め込むのと同様に、学院の教師陣も彼女を『特別扱い』する覚悟を決めたのであった。
それによって周りからの目は厳しくなるかもしれないが、その程度で潰れるような者は元より貴族家当主に相応しくない。
その時はバールグラウ家を取り潰して国に還す判断をするのも教師陣の役目である。
学院への在籍可能年齢は、十歳から二十歳の間。入学年齢は任意。
但しあまり幼いとクラスメイトや先輩に騙されて、領地に不利な約束を結ばされる恐れもある。
未成年でも貴族は貴族。
書面はもちろんのこと、口約束ですら、成年貴族の立会人さえいれば契約は有効になる。
籍があるだけで国から恩給が貰え、犯罪にさえ手を染めなければ一生衣食住が保証されている――そんな身分が『貴族』である。
良い身分であることは、ラクであることと同義ではないのだ。
平民であれば、酒の場で軽口を叩いた口約束など「一晩飲み明かして忘れた」というのが許される。
その代わり、貴族の機嫌を損ねれば命はない。
それに、真面目に働けば衣食住が確保できるわけでもない。
村一番の器量良しが、視察に来た代官の一晩の相手に差し出されるのを嫌がったからというだけで、その村の税は簡単に三倍にされる。
たかが三倍、ではない。それは命を根絶やしにする数字だ。
現在ウェストファで主流となっている小麦種は、一粒の小麦から平均四粒の小麦しか取れない。
その内の一粒が国に納める税、一粒が領地に納める税、一粒が来年蒔くための種、一粒が辛うじて自分たちの口に入るパンとなる。
そのうち「領地に納める税」が三倍になるということは、食べる分はおろか、来年蒔くための種も残らず、翌年は作物が作れない。
一旦は納めたとしても、領主から次の春に蒔く種小麦を借りれば、結局その返済分が一粒持っていかれる。
国へ納める分、領地へ本来納める分、借りた種の返済の分、来年蒔く分を引くと、代官が勝手に増やした二粒分がやはり足りない。だから借りることもできない。
作付け出来ずとも、生きていれば税は納める義務があり、税が足りなければ経済奴隷に落とされる。その奴隷の売却代金をもって、現金徴税と見なすのだ。
つまり村全体の税率が三倍というのは、翌年には全員が奴隷になれと言われているも同じ。奴隷になれば買った主人の家や領地に引き取られるので、土地を離れる。
そして農民たちがいなくなった土地は、代官の持っている奴隷や小作人に作付けさせて、収穫はまるまる懐に入る仕組みだ。
そんな不正がなぜまかり通るのかと言えば、国だって全ての領地の全ての税率や土地貸借者をリアルタイムで把握しているわけでもないからだ。
代官たちが全てを懐に入れてしまえば、領主の手元に集まる税額が変わるから発覚も早い。
しかし元々その土地から納めていた国や領主への税はキチンと納付する。結果、発覚はとても遅くなる。
このように、真面目に働けば食うのに困らないなんて幻想であり、平民の命は非常に軽い。
貴族というのは、そういうリスクがない分だけ、恵まれた身分ではある。
しかし貴族社会で迂闊な言質を取られるのは、一族を巻き込んだ致命傷になりえるし、貴婦人の主戦場たる社交界だってそう甘いものではない。
代官の独自課税に目を光らせねばならないし、領主が取り仕切る公共の土木工事にだって、材料の抜き取りや横流しが起きる。
そういった不正の監督をするのも領主家の大切な仕事だ。
それら清濁併せた全てを実学として教え込むのも、学院の仕事である。
ただ国の歴史を学んで、魔法の練習をして、ダンスとお茶会をしてれば良いという場所ではないのだ。
教えるのが学院の仕事なら教わるのは学生の仕事というわけで、たとえ十歳でも、入学してしまえば理解しなければならない。だが先に挙げたような話を十歳が理解するのはまだ難しい。
よって少しでも大人になってから、十六歳から二十歳になるまでの五年間を在籍期間に選ぶのが通例にならざるを得ない。
しかしここに、通例にケンカを売る子爵令嬢が一人いたわけである。
春に母を亡くし、半年弱の入学準備期間を経て、十三の誕生日を迎えた秋には在籍にこぎ着けた未成年。
アルカーシアは最初から注目されていた。
主に『わぁ、ちっちゃい子が入ってきた……』という、先輩たちの温かい眼差しに。
本人はそんなこと知る由もなく、淡い金の縦ロールをふよふよ揺らしながら学内を歩いていた。
……良くも悪くも注目される覚悟はあったが、教師陣や本人が想定していた注目の種類とは少し異なったようである。
- - -
学院への通学が始まれば基本的に、テーンジーナの王都邸に住む。通学には馬車を使うのが一般的だ。
朝と夕は学院前の馬車溜まりが混み合うため、あえて少し歩き、道が空いた所に自宅の馬車を待機させておくなどのテクニックもある。
学院は王城の敷地の一部にあるため、そのエリアに平民が入り込むこともない。平民による営利誘拐のリスクがないので、悪くはない手段である――稀にある、敵対派閥による危害目的の連れ去りを除けば。
もろもろのリスクを考えて、学院に通うのに馬車を使うことを好まないならば、王城内の寮で生活する方法も選べた。
アルカーシアはこれまでも分邸に住んでいたが、毎日王城に通うことはなかった。それゆえ入学前の準備で見落としていたことが、この馬車関連である。
入学から十日間はレンタルの馬車で通学したが、これまでに十日連続で馬車をレンタルしたことなど無い。思ったよりも急速にかさむ経費に、少し焦りが出た。
これから三年間使うことを考えたら王都邸でも所有した方がいいのかしら……と考えが及び、二つの見積もりを取った。
『テーンジーナの自宅で一頭立ての貴族用箱馬車を持つ場合の、エサ代(地方からの輸送品)を含めた一年間の維持費』
『分邸として借りている貴族向け集合住宅からもっとも近い駐馬場の年間契約費』
二枚の見積書を見た彼女は、真顔で家令に命じた。
「寮に入るから荷物の準備をお願いね。あと、侍女の選定も」
侍女は一人だけ帯同が許されるが、それを含めても寮での生活費の方が遥かに安かった。
領主代行として既に倹約の精神が芽生えつつあったアルカーシアの、最初の大きな節約は自分のための馬車であった。
在学中の様子はと言えば、繰り上げ卒業前提の促成栽培カリキュラムが組まれ、教師陣はおろか先輩たちまで協力した。
もちろん下心はある。
自分達は卒業したところで、まだ次期当主やその予備に過ぎない。
つまり、身分は変わらず令息や令嬢でしかない。
しかし自分達より三歳から七歳も幼いこの新入生は、卒業と同時に親と同じ、当主そして領主の立場になる。
たとえ子爵家だろうが当主の座が確約されているなら、彼女が困っている今こそ恩を売る。
そして自分が当主になった頃に、大きく返してもらおうと考える者。
次期当主の予備として入学はしたが、兄や姉に子供が生まれればほぼ用なしになる者たちは、身の振り方を真剣に考えた。
領主になる予定の子供に媚を売ってでも、子爵領で役職を貰えれば……と判断した者。
あとは単純に、小さい子が頑張っていて応援したくなった者もいる。
この年代における七歳下は、とてもピヨピヨして見えるので。
同級生のひとりである男爵令嬢などは、実年齢はアルカーシアより三歳年上であるのに言動はむしろ幼く、良くも悪くもよく絡んできた。
当初「アタシ庶子系ヒロインなのに、アタシより可哀想なのやめてよね」と意味の分からないことを言ってはむくれていた。
が、別段被害もないので適度に放置し、適度に受け答えしていたら懐かれてしまったアルカーシアである。
貴族令嬢らしくない奔放な振る舞いは、口だけでなく下半身にも及んだが、まだ婚約者のいないアルカーシアは「男という華に舞う蝶々のようですわね」と面白がった。
なにより、ピンクのボブヘアーを揺らして闊達に笑う彼女は、外見も内面も少し母に似ていて、懐かしい気持ちにさせた。
この男爵令嬢は、多忙極まる学生時代を送るアルカーシアにとって、確かに一服の清涼剤だった。
そんな数多の支えもあり、はたして通常五年かかる課程をなんとか三年で詰め込み、十六歳の誕生日と共に繰り上げ卒業と襲爵を実現させた――それが先月の事である。
非常にオープンかつアグレッシブな、学院史に残る特例制度の悪用であった。
学院時代をしっかり書くとすげぇ長くなる気がした。
ので、こういう感じに。
書きたいエピ(ピンク髪とのどつき漫才)はあるけども、終わらないのが目に見えている……!