2.お嬢様のお母様
短期連載なのでぽいぽい上げていくよ!
遡ること三年半、アルカーシア・バールグラウが十二歳六ヶ月の春。
「アルカーシア……可愛いアリィ。ごめんなさいね。お母様、病気には勝てなかったみたい。魔法なら誰にも負けたことがないのに……」
アルカーシアの母にして先代女子爵、稀代の魔法士ウィステリアは、三十三歳の若さで病に倒れた。
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ウィステリア・バールグラウ女子爵。
それは十年前、圧倒的な魔力で国境戦線を押し戻し、二百年ぶりに西方地域を取り戻した英雄の名である。
本人が西方の辺境領地を持っていたわけでもないので、本来なら出陣する必要のなかった戦い。
しかし「隣国が農繁期に攻めてきたんで頭に来た。収穫前の麦を荒らすのは許さない」というだけの理由で、義勇軍として国境戦線に駆けつけた女傑である。
他地域の領主としても、六歳の娘を持つ母としても、常識を蹴飛ばす行動であった。
タカノーミャ西方辺境伯領は、バールグラウ子爵領と同じく国の穀倉地帯を担う仲間であり、それが収穫期を前に踏み潰されるのは我慢がならなかった、食べ物を蔑ろにするヤツはぶちのめして良いに決まってるでしょ――と後に語っている。
絶大な魔力があり、魔法士としての技量も高く、周囲から見るとやや謎の沸点を持ち、決断力と行動力のある姉御であった。
ウィステリアの大暴れは、伝説と言われるほどの戦績を叩き出した。
――曰く。
交戦地域に到着したその日に、無尽蔵の魔力で毎秒魔法を撃ち込み、敵前線を壊滅。
撤退部隊を単身追撃し、街道には敵の死体が間断なく続いていた。
追撃の果てに、国境線の外にあった敵後方陣地を特定し、魔法連打で徹底破壊。
そこに運悪く着いたばかりの輜重部隊第二便も襲撃、物資を根こそぎ頂戴した。
自国内に戻った時には、ピンクの髪が返り血で赤黒くなっていた。
農地を荒らされたタカノーミャ辺境伯の目の前で、アイテムボックスから全ての押収品を取り出し進呈。
その資材と食糧により、辺境伯家は即座に領軍を再編成できた。
ウィステリアを伴ったその反攻は、かつての最大領土であった西の大河まで国境線を押し戻すことに成功。
味方からは『常勝女神』『聖痕のない聖女』と讃えられ、敵からは『人の形をした災厄』『ツノのない魔族』と怯えられた。
さらには「パンは一等小麦で焼く法律があるけど、パンケーキなら二等小麦でも美味しいわよ」と、穀倉仲間のよしみで二等小麦を融通した。
以降しばらく、タカノーミャ辺境伯領では「パンがないならパンケーキを食べればいいじゃない」という言葉が流行った。
一度の交戦で出たあまりの被害に、隣国は境界領土を奪還するのを諦め、ついには停戦条約が結ばれた。
五百年ほど前から散発的に続いていた国境防衛戦が、ついに片付いた歴史的瞬間である。
外交官曰く、その動機は「あんなバケモノに反攻されたら帝都まで届く。帝国がなくなる前に今すぐ停戦したい」であった。
――これで尾ひれが付いてないのだから、英雄に祭り上げられるのも仕方ない。
それでいてウィステリアは上位貴族になることのデメリットをよく理解しており、子爵から伯爵に陞爵する話を即座に断った。
「……まさか陞爵を断る貴族がいるとはとは思っておらなんだ。しかし王家が功臣に報いぬと言われては困るから、何も与えないわけにもいかん。バールグラウよ、何を望む? 無礼は問わん、率直に申せ」
「それでは、子爵領の北に隣接している王領の、複合鉱山の利権を頂きとうございます」
「ふむ。あれは開発の手が足りずに塩漬けにしていたか。構わんが……銅と鉄と金しか出ぬぞ?」
魔法の触媒になるため利用価値の高い、聖銀や魔銀が出る鉱山もある。魔法士ならそういった鉱山は垂涎のはずだ。
また、別の王領には岩塩が取れる鉱山もある。人間は生きていくためにどうしても塩が必要なので、自領で採れるにこしたことはない。領主であれば誰もが塩を望むはずだ。
自家消費分に留めることなく、掘れば掘るほど莫大な利益を生むものたち。
そちらでなくて良いのか、と試した王に、ウィステリアはぶっちゃけた。
「銅も鉄も金も出るなら僥倖でございます。それに、魔法士が聖銀や魔銀の採れる山を賜れば、やれ謀反の準備だなんだと讒言が飛び交うでしょう。陛下も事実確認で動かねばならず、こちらとしても事実無根なのに家業が止まる、どちらも面倒になるのが目に見えているではございませんか?」
「なるほど、一理ある。そして素直じゃのう」
「王家への忠誠心を疑われないため――と綺麗な感じにボカすことはできますが、ハタチそこそこの小娘が言うと薄っぺらく聞こえるものと愚考いたします」
「ははは、違いない! よし、その素直さに免じて、望みの山は王領丸ごとくれてやろう。代替わりしても返す必要はない。鉱毒の恐れがあって農業には使えぬが、精錬用の土地も、その燃料に必要な大森林もある。我が国をより良くするために、励むがよい」
「ありがたきお言葉、伏して感謝申し上げます」
論功行賞の場で王を爆笑させるなど前例がない。
おかげでバールグラウ子爵領は向こう三百年、他領への輸出品に困らなくなった。
代わりに輸入した食糧と石材で、領内各拠点の備蓄を増やし、拠点相互を結ぶ輸送道路を舗装したことも知られている。
当然ながら、民からの人気は青天井。
そして、論功行賞も戦後処理も終わった後に。
前回の国境戦線で亡くなった弟の墓に参り「姉ちゃんが仇とったぞ」と報告した。
それがウィステリア・バールグラウという女である。
その早すぎる死に、子爵領の民でもない平民まで数日喪に服したほどの、正しく破天荒の女傑であった。
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そんな「殺しても死なない聖女」とまで言われた英雄を蝕んだのは、進行の早い病だった。
特効薬は存在しない。何を投薬しても、薬の影響を見極める前に患者が死んでしまうためだ。
医者も、薬師も、癒法士も、神官も、誰も手が出せない。
発病の条件も未判明。この時代の医術ではお手上げの、まさに死病である。
ウィステリアも例に漏れず、発症から瞬く間に内臓機能の数割を持っていかれていた。
英雄を失いたくない魔法士協会と国が手を尽くしたが、病気を専門とする癒法士ですら、誰もが唇を噛んで首を振った。
「おかあさま、死なないで……わたくし、わたくしが力になれたら……」
アルカーシアも治癒魔法の使い手だ。
稀代の魔法使いであった母の魔力量と、治癒魔法の使い手が頻出する父方の血を引いて、既にいっぱしの癒法士であった。
肉が抉れようが骨が一部足りなかろうが無傷まで回復できる『再生級癒法士』だが、アルカーシアに治せるのは負傷のみ。病気の母を前に、子爵令嬢は己の無力を噛み締めていた。
治癒の力が発現したって、もっとも救いたい人を救えないなら何のための力だと、涙も枯れよとばかりに泣いた。
(病魔に侵された内臓をごっそり切り取って『負傷(内臓欠損)』にしてしまえば、再生が有効かもしれないけれど……)
そう考えはしたが、愛する母の腹をかっさばく度胸が令嬢にはなかった。失敗してしまったら、その瞬間が母親の最期になる。
仮に術式が有効だとしても、一歩間違えば自分が母にトドメを刺すことになる。
そんな覚悟は到底持てず、十二歳の精神では想像にすら耐えられなかった。
たった今思い付いた、動物相手にすら一度も練習したことのない術式を、いきなり肉親に施せるほど彼女の精神はおかしくなれなかった。
せめて動物実験をする時間が欲しかったし、可能なら母に施術する前に人間でも練習したかった。
終身懲役の決まっている犯罪奴隷を買い付ければ人体での実践も許されるが、そんなに都合よく転がっているものでもない。
金を弾んでも手配に数週間かかると言われ、アルカーシアは膝をついた。
ただただ、進行の早い病であることがあらゆる選択肢を奪っていた。
結局、一介の子爵令嬢にできたのは、女子爵が今すぐ教えると決めた内容を一刻も早く吸収することだけだった。
死を前にして覚悟を決めたウィステリアは、領地における領主の覚悟と知識を、社交界における貴族家当主の立ち回りと肚の据え方を、貴族魔法士としての振る舞いを、学院で学ぶより一足先に仕込んだ。
自分の娘は学院在学中から既にその役目を全うせねばならないことを、母は理解し、憂いていた。
心得がなければ食い散らかされる――それが貴族の世界であると知り尽くしているから、少しでも伝える時間がほしかった。
そのため、意識が朦朧とする苦痛緩和の薬は全て断った。
亡くなる当日まで、噛み締めた奥歯が砕けるほどの苦痛に耐えながら、娘に知識を伝え続けた。
そうして、穏やかな春のある日。
この先数十年は国防の要であったはずの女は、呆気なく、静かに逝った。
アルカーシアは母を、自らの属する貴族家の当主を、もっとも頼りになる先輩魔法士を、永遠に喪ったのだった。
アルカーシアは、子爵令嬢だった。
当主が死んだ時のために予備として残されている当主弟妹の娘ならば『子爵家令嬢』だ。
あるいは当主の庶子を邸に迎えて、嫡子同様に生活させていても『子爵家令嬢』には違いない。
大切な娘を嫁がせたくないがどうしても差し出さねばならない時によく使われる手だ。
だがアルカーシアはそんな半端な地位ではない。
当代の子爵家女当主の嫡子長女、つまり『子爵の令嬢』であるから、真正の『子爵令嬢』である。
ゆえに、領地の本邸でも、王都邸でも、彼女は「お嬢様」と呼ばれていた。
未婚で未成年なのだから、本来はあと数年、そう呼ばれるはずだった。
それが、母ウィステリアを亡くした日。
気を落として邸に帰宅した彼女に、玄関ホールに整列した使用人たちが一斉に跪いた。
「お帰りなさいませ、お館様」
爵位を継げるのはまだ先でも、現在ここで一番偉いのは次期子爵。公式身分は子爵令嬢にして領主代行。
アルカーシアの子供時代が十二歳と六ヶ月で終わったことの、それは象徴的な光景であった。
そして同時に、彼女は悟った。
「早く家を継がなければいけないのに、悠長に五年もかけて学んでる場合ではありませんわ。一刻も早く学院に入って、十六の誕生日で卒業すればいいのではなくて?」
斯くして、入学前から繰り上げ卒業特例を悪用する気満々のご令嬢が誕生したのだった。
結婚したら子爵『令嬢』ではなくなるけど、
(元)子爵令嬢、ならウソはついてないアレ。
80代でも元JK理論。