新・私のエッセイ~ 第208弾 ~ 英訳版『たからもの』における、翻訳術の難しさについて
・・・まぁ、皆様にお伝えしたいことは、お題目のとおりなんですが、
普段から英文に親しんで、実際に海外の友人たちと英語でやり取りしておるぼくではありますが・・・
やはり、本格的な物語の文章を、英語・日本語間の双方向で、適切かつスマートに翻訳していくというのは、けっしてラクな仕事じゃありませんね。
とくに、英語の場合は、
ここで、過去、何度もお伝えしてきましたように、世界中の国で、意思疎通を円滑かつスムーズにしていくために、
極限まで文法を・・・なかんずく、名詞・形容詞などの「格変化」「性・数」、そして、動詞の曲用(= 語尾変化・語形変化)の項目をそぎ落として、簡略化しようと試みた結果・・・
皮肉なことに、英文そのものが、複雑化・立体化した場合におきましては、
非常に、「解釈」があいまいになり、いかようにも意味が取れてしまうような、実にいやらしくて、やっかいな文章が、あふれかえってしまうことになっています。
これが、大昔の英語である『古英語』なんかですと、「格の概念」がしっかりと根付いておりますから、
英文解釈が、ただひと通りに限定・決定されて、なんら、文の意味解釈に迷う必要がありません。
ドイツ語やロシア語・ウクライナ語などの、名詞の「格変化」に厳しい言語なども、同じことがいえますね。
また、英語はですね・・・
やたらと語彙・・・つまり、単語・熟語や、特有の「成句」や「似たような表現のバリエーション」が多いし、
「語法(= 単語の文中での使われ方)」なんかも、
「前置詞」なんかが、やけにエラそうなツラして、でしゃばってからんできて、無駄に、異常に発達してしまっています。
それで、ヨーロッパの数ある言語中、最も難しい部類の言語になってしまっている、ということなんですよ。
それは、話法も同じです。
格変化の概念が薄れ、語順で文章が成り立っているものですから、
主語・述語・被修飾語などの意味合いをハッキリとさせないことには、欧米人にも通用する、きちんとした文章が書けないんですね。
まぁ・・・ダラダラと「ウンチク」を書いてしまいましたけど、
そういった事情や経緯もありますので、
なかなか、『たからもの・英訳版』の執筆が進まなかった・・・というのは、ただの言い訳になっちゃいますかね??
今後、会話や手紙の文章の翻訳が、急激に増えてきますので、
ますます翻訳の難易度が上がってきます。
「部品やパーツは極めてシンプルなくせに、そいつらが、いざ、組み合わさってくると、やたらに解釈が難しくなる、いやらしい言語」・・・コレが、現代英語なんです。
これからが、本当のぼくの「腕の見せ所」って感じでしょうか・・・?
m(_ _)m