9話【波乱はいつでも衝撃と共に】
商業都市ランドル。そこは、ロイス王国最大規模の都市で、常に人々の活気で賑わっている。
だが、光が強いほど生まれる影も大きくなるのが常であるように。この街にも、仄暗く、人目に触れられない部分が広がっている。
そんな街の路地裏に鳴る軽い足音、不安定な呼吸。
「はっ、はっ、に、げなきゃ…」
頭に獣人特有の耳をぶら下げた、幼い、黒髪の少女が、入り組んだ路地裏を、右に左にただ走る。
目的地があるわけではない。ただ、今は逃げなければならない。
そんな脅迫じみた意識に従い、走り続ける。
だが、体力も限界が近づいてきている。
後ろから反響する怒号も、次第に鮮明に聞こえてきている。
もうダメかもしれない、そう弱気になった少女の目に、うっすら光が見えてくる。
出口へ辿り着いたのだと、そう直感する。
幾年ぶりかの光に顔をしかめつつ、残った体力を使い切るつもりで走る。
そうして出口を抜け、彼女を待っていたのは。
何かにぶつかった、衝撃だった。
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「ルミリ!あれ、あれは何なんだ!?」
「何って、カボラの実だよ。ハルト、ちょっとはしゃぎすぎじゃない?」
「ごめんごめん、初めて見るものばっかりだからさ!俺のテンションもボルテージマックスでオーバーヒートしかけなんだよ!」
「てん、おーばー…?いつも以上に何言ってるかわかんないよ、ハルト」
ランドルの街に到着して10分ほど、とてつもないはしゃぎようのハルトと、呆れた様子のルミリ。
はしゃいでいるのが従者で、呆れているのが雇用主だというのだからおかしな話だ。
だがそれも仕方がない。何せ異世界の商業都市、当然ハルトの見たことのない品物ばかり。
健全な高校生男子であれば、少しばかり胸が躍るのは自然の摂理というもの。
それにしてもテンションが振り切っているハルトは、他の品物についてもルミリに説明をせがむ。
「あれ!あの首輪は?」
「あれは反魔輪、自分に向けられた魔法を打ち消せるものだよ。首についてる魔法石の数だけ打ち消せる」
「かっけぇ!魔法石ってのは?」
「元魔の濃い地域で自然に発生する、元魔がたくさん籠もった石の事だよ」
「なるほど…ん?あれってリンゴか?」
「あれはリゴルの実だね。ハルトの地元じゃリンゴっていうの?」
「そうそう、こっちじゃそう呼ぶんだな。じゃ、あの砂糖か塩かわからないのの名前は?」
「あれはシュガーだね」
「砂糖だけ何の捻りもないのはなぜなのか…」
ルミリと楽しい…というより、ハルトが1人だけ楽しんでいるショッピング。
完全に見たことのないものばかりというわけでもなく、いくつか見たことのあるようなものもある。
考えてみれば、魔法や魔力が存在していて世界観が中世っぽくて、ちょっと色んな種族がいるだけで、空気は普通だし水も普通だ。
育つ植物にそこまで大きな違いはないのかもしれない。
「リンゴと砂糖があるならリンゴ飴とか作れるかな…ルミリ、屋敷に深めの鍋とかある?」
「あるにはあるけど、長く使ってるからちょっと古いんだよね…。欲しいならリゴルの実とシュガーと合わせて買って帰っていいよ?」
「ほんとか!俺がこっちに持ち込む知識の第一弾は決まったな、こりゃ」
「よく分かんないけど、ハルトお料理とかするの?楽しみにしてるね!」
少し先を歩いていたルミリが、こちらを振り返ってにっと微笑む。
ハルトの趣味にドストライクな美少女の笑顔、突然の殺傷力にハルトはKO寸前になる。
「しょ、初日にこれを喰らっていたら死んでいたかもしれない…ルミリ、恐ろしい子ッ…!」
「悪ふざけってことがわかるから無視していい?」
「俺的には結構マジに刺さったんだけどなぁ」
無視をしていいか許可を取るところに良い子さが隠せていない。すげなく接するのに慣れていないのがよく分かる。
「そういうところに、惚れ込んだんだけどな」
「突然惚れたとか言わないでよ、恥ずかしい」
「何か言った?とかお約束しない上に、恥ずかしがってるの凄くいい!グッジョブ!」
「街中なんだしあんまり離れないでね〜」
「あぁ!待って!ご主人様!」
ハルトの発言を聞いた上で聞き流し、スタスタと歩いて行くルミリ。
このやり取りも何回しただろうか。ルミリが王女様になったら伝統芸能として登録してくれないかな。
…それにしても、やけに人目が気になる。
少しうるさいのは否定できないが、会話の音量としてはおかしくない範囲のはず。
なのに、先ほどからハルトを見る周囲の視線が冷たい。
「ねぇ、ご主人様。なんかやけに冷たい目で見られてる気がするんだけど、何でか分かる?」
「そりゃ、ボクは『カゲロウ』を使って見えづらくしてるから、他の人から見たらハルトは1人で喋ってるように見えるよ。そのせいじゃない?」
「そのせいか!普通に『カゲロウ』の事忘れてたよ、馬鹿だ俺!」
つまり、側から見ればハルトは、1人ではしゃいで1人で説明を聞いたようなフリをして納得している、とてつもない変人なわけだ。
それは周囲の視線が突き刺さっても仕方がない。
「あんま目立って衛兵さんのお世話になるのもよろしくない、はしゃぐのもそこそこにしとくかっ…」
突如、頭の中でチリッと音が鳴る。
未来が見える、合図だ。
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「とにかくありったけの毛布を敷き詰めろ!できるだけ広く、薄くだ!」
そういって指示を出すハルト、コクリと頷くルミリと、知らない少女。
何故かはわからないが、必死に毛布を敷き詰めているらしい。
場所は恐らく、ランドルの街、その一角だ。そこかしこから声が聞こえてくる。
何故、毛布を敷き詰めているのか。
この少女は誰なのか。
その答えが出る前に、景色が薄れて…
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意識が、現実に戻ってくる。
「っと、やっぱ急に来るな、これ」
突然の未来視に少し立ち眩む。
さっきの映像、よく分からないがあまり重要でもなさそうだ。ランドルに居たようだし、恐らくそこまで遠い未来でもないだろう。
一応、頭の片隅に留めておこう。
「大丈夫?ハルト。急に立ち止まったけど」
ハルトを心配したルミリが、小走りで駆け寄ってくる。
「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと幻覚見て立ち眩んだだけだから」
「そう?それなら……え?それホントに大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、いつもの軽口」
ひらひらと手を振って健在ぶりをアピールしてみせる。
「ならいいけど、本当かと疑うからやめてね、そういうの」
「分かりました、ご主人様」
ご主人様呼びに慣れてないようで、ルミリは「う」と変な声をあげて、全くもう、と言いたげな足取りで歩いて行く。
俺も行くかと、歩き出そうとした、その時。
「きゃっ!」
路地裏から飛び出してきた少女が、ハルトの足にぶつかった。
「おっと、ごめんね、君。大丈夫?立てる?」
少女の身を案じ、声をかけるハルト。
帰ってくる言葉は、大丈夫か否か。その二択だと思っていたハルトの耳に滑り込んできた言葉はーー。
「お願いします!助けてください!お兄さん!」
ーーハルトを巻き込み繰り広げられる、波乱の火蓋を切るものだった。