6話【ルミリの家庭事情】
ヴランと別れた後、人形に気付き顔をしかめたハルトは、そのままあてがわれた部屋の扉を開ける。
「やあ、待ってたよ」
と、物憂げな美少女が声をかけてくることもなく。部屋はもちろんがらんどうである。
まあ、そんなに立て続けにイベントが起こられても困るというものだ。
「…ん?なんか俺、臭くない?」
不意に、自分の体から異臭を感じ取る。
よくよく考えたら、血が出まくって冷や汗だらだらで、その上1日風呂に入っていない。
意識すると…ヤバい。なんか急に体がベタベタして気持ち悪くなってきた。
しかし、俺の腹の傷は完治していない。湯船に浸かろうものなら、間もなく痛みに顔を歪めることとなるであろう。
どうしたものか。
悩んでいると、ハルトの部屋のドアから「コンコン」と音がした。
「ハルトー?入っても大丈夫かな?」
ドアの向こうから耳に滑り込む心地よい声。
ルミリの声だ!
「い、良いよ!オッケー!スタンバイできてるよ!」
「半分以上何言ってるか分からないけど、良いってことね。失礼します」
ガチャリと音を立てて入ってきたルミリの服装は、起きた時に見たものとは違うものだった。起きた時に見たのはどちらかというと寝巻きみたいな感じだったのだが、今はシンプルな装飾のスカートに、動きやすそうな服、その上にパーカーのような上着を羽織っている。
うむ、これは中々ぁ、いいんじゃあ無いですかね?元気っ子みたいな感じになっていてぇ、とても高得点ですよ、これはぁ。
「な、なんかボクを見る目が怖いよ、ハルト」
「おっと、これは失礼。少々見惚れていました」
「みと…!はいはい、そういうのは好きな子に言ってあげてね」
おかしいな。ちゃんと好きな子に言ったんだが怒られた。
日本にいた時は小っ恥ずかしくて言えないようなセリフだが、俺もやる気になればやる奴なんだな。
だから赤くなるな!顔!
「で、ハルト。体洗うよ」
あら、タイムリーな提案ですこと。だが、傷の事を考えると風呂は難しいだろう。したがって、タオルとかで体を拭くことになると思うのだが…
「もしかして、ルミリが拭いてくれるのか!」
「違うよ!拭くものなんて持ってないでしょ?」
確かに、彼女の手には何もない。であれば、もしかして強制的に風呂にぶち込まれるのだろうか。
痛いのは嫌よ!私!
「浄化魔法で体を洗うんだよ。お風呂に入るのが一番だけど、今入れないでしょ?」
「あ、魔法で洗うのね…」
そうだった。ここは夢と魔法の異世界ファンタジー。不便なことは魔法でどうにかしちゃえるのだ。
「浄化魔法っていうのは、この世のケガレ、ヨゴレを綺麗に出来ちゃう魔法のことね。」
「それなら風呂に入るよりもそっちの方がいいのでは?」
「綺麗にはなるけど、お風呂入った方が気持ちいいでしょ?体ぽかぽかになるし」
「確かに」
うーん、多分魔法の方が確実に綺麗にはなるんだろうけど、やっぱりお風呂に入った後の多幸感はこっちでも重要視されてるんだな。
「じゃあ行くよ?『クリンザ』!」
「おお…!」
俺の体を光が包む。何だか憑き物が落ちていくような感覚と共に、体に付いていた汗や血が消えていく。
「確かにスッキリした!ありがとうルミリ!」
「当然の事だよ、君がそうなってるのはボクのせいだし…」
ありゃ、まだ気にしていらっしゃる。
ルミリは刃物なんか刺さらないくらい頑丈な体なのに、俺が勝手に飛び出して刺されて、介抱までしてもらって、その上側近として雇ってもらってるんだ。
むしろ俺の方がお礼を言わないといけないくらいなのに。
「そうだ、渡すものあったんだ!」
ルミリがゴソゴソとポケットの中をまさぐる。
「はい!これ!」
ルミリが俺に手渡してくれたのは、一枚の紙…否、一枚の地図であった。
「それ、この家の見取り図ね!迷子になっちゃうといけないと思ってさ!」
なんと、地図かと思ったのは見取り図だったのか!馬鹿みたいに広いから分からなかったぜ!
ルミリの「どう?気がきくでしょ?」とでも言いたげなドヤ顔が可愛い。だが、もう迷子にはなったんだよな。
「この家にはね、至る所にティーゴって名前の研究者の部屋に繋がる仕掛けがあるんだよ!あんまり不用意に触ると危ないからね!」
「ごめん、ルミリ。さっき部屋抜け出してティーゴの研究室に一回入っちゃった」
「え!?」
「ついでに、変な仮面つけたヴランって人形師にも会った」
「ええ!?」
すまん、ルミリ。俺はオープンワールドゲームとかだと常に動き回ってイベント拾いまくる奴なんだ。
「そ、そうなんだ…じゃあその2人の紹介はいらないかな。他にも色んな人がいるけど、必要な時にその都度説明するよ」
「あ、そうだ。この国の当主争いって、どんな方法で決めるの?やっぱり民主主義的な方法で投票とか?」
「そうそう、2年後にみんな一斉に投票するんだよ。誰がこの国の当主に相応しいかは、この国の人間全員に委ねられるべきだしね」
それまでに功績を積んでおけば有利…って感じか。国民からの信用をどれだけ勝ち取れるかの戦いだな、これは。
…あれ?三女のルミリがこの家の代表に選ばれてるのはなんでなんだ?
「ルミリって三女だって話だよな?普通、ルミリのお姉さんとか、他の兄弟とかが当主争いに参戦するもんじゃないのか?」
「お姉さま達は死んだよ」
「ああ、そうなん…っていやいやいや、え!?」
死んだの!?そんなあっけらかんというもんじゃないだろ!それ!
「そういえば話してなかったね、うちの家のこと。実はうちザケイル家の兄妹は、もうボクしかいないんだよ。僕が死んだら根絶やしだね、あはは」
「あははじゃないけど!?」
「まず、男兄弟が狙われてね。長男のカエバ兄様が死んだのを皮切りに、どんどんやられていったよ。それでも、長女のナトル姉様の意向で当主争いからは降りなかった。女でも女王様にはなれるからね。で、どんどん殺されて、気づけばボクだけさ」
「そ、そうなのか…でも、ルミリはまだ当主争いから降りる気はないのか?」
「うん。お姉様たちがみんなやられて、僕以外の肉親がみんないなくなって。そんな状況で争いから逃げたくないんだよ。ここまでやられて黙ってるほど、ボクはお人好しでも腰抜けでもないつもりだからね」
「そんな…!ルミリしかいないんじゃ、君が死んだらこの家は崩壊じゃないか!狙われる!」
「ううん、逆なんだよ。僕一人の力じゃもう無理だってみんな思ってる。だから狙われることも無くなってたんだけど…」
「誰の手先か分からないけど、ナイフの男に狙われた…ってことか」
「そうなんだ、何でかは分からないんだけど…僕が一向に降りる気がないから、目障りに思った人がいるのかもね。」
目障りに思った…そんな気まぐれみたいな理由で命を奪われなきゃいけないなんて、馬鹿げてる。
「と、ごめんね、なんか暗い話になっちゃって。いずれは言わなきゃいけなかった事なんだけどさ。」
「いやいや、元はと言えば俺が何の配慮もせずに聞いたのが悪いんだし…でも、また狙われ始めたんなら、あの男だけでハイ終わりって事はない…よな?」
「多分、そうだろうね。…ハルト、側近の件、取り消すなら今のうちだよ。正直ボクは長く生き延びれるとは思えないし、ボクが死ぬのにキミが巻き込まれるのも本望じゃない。だから…」
「だからこその側近だろ?」
「!」
「このままじゃいずれ殺されちまうかもしれない、なら俺が守ってみせる!肉壁にしても薄っぺらいし、喧嘩で勝てる相手なんてそこらの子供くらいのもんだ。でも、ルミリは俺が絶対守ってみせる!」
「…」
「だから、俺は君の側近でいるよ。そもそも、側近になってからはまだ何も起きちゃいないし、契約半日で辞職ってどんな根性無しだって話だ」
「…まぁ、キミがそういうなら無理に辞めさせようとはしないけど…本当に、ヤになったら辞めてくれていいからね」
「逆に、俺のこと嫌になって突然クビとかやめてね?」
「そんなことしないよ!」
暗い会話が軽口の応酬に変化していくと共に、ルミリの顔にも活気が戻っていく。
ハルトはそんなルミリの顔を見ながら、心の中で呟く。
――俺がこの子を、女王に押し上げてやる。