20話【バーバヤーガ】
ーー暗い、暗い、澱んだ水の中を歩いているようだ。道標を求め、出口を探し、当ての無い道を踠きながら進んでいる。身体が泥に包まれているかのように重く、肢体に意識が届き切らない感覚にやきもきする。
腕を振っても、抵抗を感じるだけで何にも引っかからず、空を切るだけだ。足を前に出しても、足裏に伝わる感覚は無く、下へ落ちながら前進しているようだ。
そうして、深い深い黒の中、何処までも落ちてゆきーー。
「…長いっ!」
「ほぶっ!」
声が響いたと思うと、何かに叩かれたような衝撃が頭を揺らす。その衝撃に目をぱちくりさせ、頭を振り、周りを見渡すと、見覚えのない光景が広がる。
何処まで続いているかわからない真っ白な空間に、顔を隠した女性が佇んでいる。この人は誰だろうか。先程の声、何処かで聞いたことがあるような…
「ったく、鈍臭いねぇ、アンタは。このバーバヤーガの前で寝惚けて阿保面晒すなんて、時代が時代なら極刑さね」
『バーバヤーガ』、確かに彼女はそう言った。そしてその名前は、ハルトの天輪として映し出されたものと同じ名前だ。そうか、聞いたことがあると思った声、この声は意識が途切れる前に聞こえたものだとハルトは気付く。
「こ、こは…?」
「ここはアンタの精神の中。アタシがアンタに天輪になってからはアタシの住処になってるけどね」
「精神の中…?よく分からんがまぁ良いや、で、あんたは誰なんだよ?バーバヤーガって何だ?」
いきなりの出来事に、話をうまく飲み込めないハルト。それもそうだろう、ついさっきまで教会の中にいたのに、気づいたら自分の精神の中らしい真っ白な空間に『バーバヤーガ』を自称する女性と2人きり。幸い話を通じるらしい、現状を把握するため、ハルトは話を促す。
「それを理解するには少し昔話をしなきゃいけない。聞くかい?」
「まあ、そりゃ聞くけども」
「そうだよねぇ、断ってたら精神を破壊するところだった」
「思ったより大事な二択だったのかよ今の!!」
何気ない選択が命運を分かつものだったと知り、ハルトは絶叫する。
そんなハルトをよそに、『バーバヤーガ』は話を続ける。
「アタシは遠い昔、世界で名の知れた魔女だったのさ。あの頃は良かったよ、道行く人間たちがみぃんなビクビクしながらアタシを見て。取って食いやしないってのにねぇ、何かして来ない限り」
そう言ってケタケタと笑う『バーバヤーガ』、その魔女とやらが今自分の天輪となっているのはどういう事なのだろうか。そう思ったハルトだが、今は取り敢えず話を聞く事を優先する。
「で、特に悪事もせずに7人の子供達と平和に暮らしてた時、人間に神と崇められてる、あの忌々しいジジイがアタシの事を討伐しにきやがった!アタシは何もしてないってのに、ただ高名な魔女を殺した英雄って名前が欲しいだけでね!腹立たしいったらありゃしない!」
そう言って地団駄を踏む『バーバヤーガ』。その仕草を見ていると、確かに人間味に溢れているように見え、魔女と言っても人間とそう変わらないのだと思う。
「その上あのジジイ、アタシの可愛い子供達を洗脳して自分の手下にしやがった!今じゃセラペストの『七聖』なんて呼ばれてるけど、あの子達は元々アタシの子なんだ!何としても取り返したい!…そこで、アンタの中に天輪として入ったのさ」
先程までハルトを見ずに小芝居チックに話を続けていた『バーバヤーガ』が、ハルトの方に首を向け、語りかけてくる。
顔は布で隠されており見えないが、神に対する明らかな怒りが伝わってくる。
「俺の中に入ったって…何でだ?自分の手で復讐でもすれば良いだろ、俺みたいなヒョロガリに頼らなくても」
「アタシだってそうしたいところだが、神のジジイが仕掛けた封印のせいで、この世界のあらゆる物に干渉できなくなったんだ。意識だけ残してる所に性格の悪さが出てるね、神とやらが聞いて呆れる。…でも裏を返せば、この世界の存在じゃなければ干渉出来る。そこで、他の世界から渡ってきた人間に目をつけたのさ」
神を嘲るように口から空気を漏らす『バーバヤーガ』、なるほど別の世界からやってきたハルトになら封印の効果とやらは発揮しないわけだ。嫌がらせで意識を残していたのかは分からないが、神とやらもこの抜け穴は予測していなかったのだろう。そうでなければ完全に封印してやるはずだ。
「って、ちょっと待て。てことは、俺がこの世界に来たのってあんたのせいか?」
「いーや、それはアタシじゃないさね。昔からたまーに紛れ込むんだよ、異物が。そもそも連れて来れるならこんな弱そうなの選ばないさ」
「うぐ、それはそうか…」
もしかしてと思った可能性をバッサリと切り捨てられ唸るハルト。この世界に連れて来た犯人が分かれば交渉の余地があるかと思ったのだが、この分では元の世界に戻るのは難しそうだ。
「ルミリ達と離れるのは名残惜しいから、それでも良いっちゃ良いんだけどな…で、あんたは俺に何して欲しいんだ?」
「そうさね…出来れば神を殺して欲しいが、流石に無理そうだ。だから、アタシの子供達の魂を解放してやってくれないかい?」
「ああ、例の『七聖』ってやつか?でも、そいつらも強いんだろ?」
「当たり前じゃないか、アタシの子だよ?…というのは冗談にしても、7人の子供達にはアタシの持ってた能力を一つずつ授けてある。あの子達が生まれた時代には天輪なんてなかったから、身を守る手段として渡したんだが…ここに来て首を絞めるとはね」
天輪がなかったというのは、その時代は神がいなかった為だろう。セラペスト信者の女性の話によると、天輪というのは神からの授かりものらしい。神がいない時代には存在しなかった物なのだろう。
「で、その能力って?」
「今説明してもアンタ覚えられないだろう?戦う時になったらキチンと説明するさ、安心しな」
「え、戦うのか?」
「ああ、解放するしか言ってなかったね。…『七聖』を全員、殺して欲しい」
「こ、殺して良いのか!?」
予想外の言葉に驚愕するハルト。解放すると言っていたから、呪縛を解いたり、『バーバヤーガ』が触れてどうにかするのかと思っていた。
「あの子達はもう何百年も生きてる、体は普通の人間とそう変わらないのに。その理由は、神のジジイがあの子達の体を作り変えたからだ。でも、身体が耐えられるようになっても、魂はそうじゃない。だから、解放するために殺してやって欲しいんだ」
「…分かった。考えとくよ」
「そうしてもらえると助かるよ」
そう言って礼を言う『バーバヤーガ』の態度には、少しの憂いが見える。流石に自分の子供を殺して欲しいと願うのは堪えるのか、もしくはいつまでも魂を囚われている自分の子供を案じているのか。どちらにしろ、複雑な親心が垣間見える。
「じゃ、アタシの力についてちゃんと説明しようかね。アンタが未来視だと思ってる力は、アタシに残った最後の力。…『時空操作』さ」
「『時空操作』!?そんな大層なものだったのか!…でも、俺そんな力使えた事ないんだけど」
「そう、今のアタシは封印されて本来の力を使えない。だから今は未来を見る事しか出来ないし、その未来も無作為だ。力が使えるようになったらアンタに見せてやってるけど、どこを見るか決められない。ある程度どこまでなら見れるって上限はあるけどね」
なるほど、だからよくわからない所の未来が見えたり、変なタイミングで見えたりしていたのか。確かにドンピシャピンポイントで見えることは少なかった気がする。
「…ん?でも最近は結構的確な場所が未来視で出てくるよな」
「そう、そこだよ。アタシにも理屈は分からないが、アンタの天輪として忍び込んでしばらく経ったから馴染んだのかもね。ちょっとずつ力の制御が効くようになってきたんだ。その分見せれる回数は減っちまったけどね」
「正直そっちのが有難いな、どうでも良い所何回も見せられても困るし」
最初の方は、屋敷で何かしている未来ばかり見えて、特に役立つことも少なかった。…待て、唯一役に立ったことがある。しかも未だ不可解な点もあるところで。
「俺、日本から来たって言ったら死ぬ未来が見えたんだけど、あの時から操作できてたのか?あと何で死ぬんだ?あれ」
「ああ、あれはアタシが見せた幻覚だよ。実際は死にゃあしない」
「へー、そっか…じゃねぇよ!!何てもん見せてくれてんだあんた!!」
あの時からハルトは、自分が日本…ひいては異世界からやってきたことをおくびにも出さないように努めてきたと言うのに、その努力の全てが意味のない物だったと切り捨てられた。
ならば、あの時ティーゴの目の前で嘔吐したのが本当にただ突然気分が悪くなっただけの奴になったではないか。
「何でそんなことしたんだよ!てか幻覚見せたり出来んの!?」
「今のアンタとアタシは文字通りの一心同体、アンタの意識下に潜り込んで、未来が見えたように見せかけるなんてわけないさね。それと、これは必要なことなんだよ。言っても大丈夫と分かったからって、言いふらしたりするのはよしな」
「そりゃなんでだよ!」
理不尽に自分が死ぬフェイク動画を見せつけられて憤慨するハルト。『バーバヤーガ』はそんなハルトを嗜めるようにしてから話を続ける。
「アンタが異世界から来た異物だってバレたら、アタシが潜んでるって神が勘付くかもしれない。アタシがいるってバレたら恐ろしいよ、いきなり雷が降ってきて焼き焦げるか、足元に地割れが発生して深い穴に落ちるかもしれない」
「怖えな!それなら確かに言わないほうがいいわ!」
「だろう?だから許しておくれよ、必要悪だったのさ」
「そういうことなら…まぁ…」
自分の生き死にもかかった問題だったと知り、納得する。本当に死んでしまうより、自分が死ぬ映像を見せられるほうが幾分かマシだ。気分は最悪だったが。
「さて、アタシの身の上とアンタにして欲しいことは大体言い終わったかな。アンタから質問は?」
「そうだな…あ、俺の他にも転移者っていたんだろ?何でそいつらに取り憑かずに俺の天輪になったんだ?」
「いやぁ、何人か居たんだがね…なぜか全員、異常なほど強力な天輪を授かってて、アタシが入り込む隙間がなかったのさ」
「他の奴らは転生特典のチート能力貰ってんのかよ!何で俺にはそういうのなかったんだ!?」
「さぁ?そいつは神に聞いてくれ。アタシとしては好都合だから文句はないよ」
「ぐぬぬ…俺もチート能力で無双したかった…」
もはや叶わない夢に想いを馳せながら悔しがるハルト。異世界転生モノのお決まりであるチート能力、ハルト以外にも適用されているのかと思っていたが、どうやら他の転生、もしくは転移者はもれなく授かっているらしい。
だが、異世界から来た異物に神が大層な能力を授けるというのには違和感がある。ハルトにだけそれが適用されなかったのにも。
「おや、そろそろ時間らしいね。もっと馴染めばまた話せるようになるだろうが、今はここまでだ」
「あ、おう。じゃあまたな」
僅かな違和感が胸にしこりとして残るが、たいして気にする事ではないと思い込む。そもそも今は、明後日に迫る打倒ジーニス作戦について考えるべき時だ。考えても無駄な、余計な思考に時間を使うべきではない。
「そうだ、言い忘れた。アンタがご執心の亜人の娘、あの子は……」
「え?何!?めっちゃ気になるのに聞こえねぇ!!」
「ーーー!ーー…!」
『バーバヤーガ』がルミリについて言及したと思った瞬間、辺りが暗くなっていき、『バーバヤーガ』もその闇に呑まれていく。
声がだんだん遠ざかり、肝心の部分だけ聞こえずに、更なる疑問が積み重なっただけで終わる。忘れていたということはさして重要な問題ではないと思う…というより、そう思いたい。
そうでないと、ただでさえルミリ関連の話なのに、重要な話となると内容が気になってまともに寝れなくなってしまう。
そんなことを考えていると、やがて辺り一面が真っ暗闇に染まり、また身体が澱んだ水の中に浸かっている様な感覚が襲ってくる。ここに来た時にも同じ様な感覚があったが、何度経験しても嫌なものだ。
来た時と同様、腕を振っても抵抗を感じるだけで何も触れない。足で地面を踏み込もうとしても、沈んでいくのみで地に足をつけた時の押し返してくる感覚もない。掴みどころのない空間を踠いていると、意識が遠のいてくる。
そしてそのまま、闇の中に、意識が呑まれていきーー。
ハルトの意識は、また途切れた。




