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悪役令嬢の取り巻きの場合①

 セシリー・オルブライト子爵令嬢は転生者である。彼女は生まれたときから前世の記憶があった。なので自分が前世で読んだ小説の世界に転生したことに気づいていた。

 その小説はファンタジー世界の学園を舞台にした恋愛モノで、自分はヒロインに婚約者を盗られる悪役令嬢の取り巻きの一人として小説に登場していた。悪役令嬢はオルブライト子爵家の寄親の令嬢だったので、セシリーは悪役令嬢に全く逆らえなかったのだ。

 セシリーは悪役令嬢に命じられるままヒロインを虐めたのだが、それを悪役令嬢の婚約者に見つかってしまい、虐めの責任を問われて真っ先に退学処分を受けてしまった。その後は一切小説には登場しなかった。

 小説には登場しなかったので自分がどうなったのかは分からないが、常識的に考えて幸せになれたとは思えない。当然セシリーは回避策を考えた。

 寄親と自分の家との関係は、セシリーの力では変えることはできない。だから学園に通うようになった時点で詰む。セシリーは学園に通わずに済む方法を考えた。

 実は学園は高等教育という位置づけで義務教育ではない。なにか理由があれば通わずに済ませることはできる。だが学園への進学率は八割を越えており、しかも両親は教育に熱心だ。両親を説得するのは容易ではない。

 考え抜いた末、セシリーが採用した理由は領地の経営を手伝うというものだった。オルブライト家が治める領地にはこれといった産業がない。目玉となる新たな産業を興すことは喫緊の課題だった。前世の知識で内政チートを行い実績を上げれば両親を説得できると考えたのだ。

 さっそくセシリーは両親に、進学ではなく領地経営を手伝いたいと希望を伝えた。だが当然、両親はいい顔をしなかった。

「領地のことを案じてくれるのは嬉しいけどね。ぼくたちとヒューイに任せてくれればいいんだよ」

 ヒューイはセシリーの兄の嫡男である。すでに学園を卒業して両親の手伝いをしている。

「そうよ。あなたは学園に行って、お付き合いを広めて、いいお婿さんを捕まえなさい」

 母は良い家に嫁ぐのが貴族令嬢の幸せという価値観の持ち主である。母も子爵家の元令嬢で、実家と同格のオルブライト家に嫁いだことをちょっとだけ後悔していた。

 両親がそう言うのも無理はなかった。セシリーはまだ十三歳なのだから。前世の分も通算すると両親より年上だが、彼らは当然そんなことは知らない。

 こういう両親の反応を予想していたセシリーは、対策をちゃんと用意していた。

「ではわたしが学園に入学するまでの二年間で成果をあげましたら、その後も領地の経営を手伝うことを認めてくださいますか」

「たった二年でかい? なにか具体的な策でもあるのかね?」

「実は、これを作って売りたいと思っています」

 そう言ってセシリーはあらかじめ用意していたプレゼン資料を家族に配った。

 セシリーは前世では会社で事務員として働いていた。MO(*1)の資格を持っていたのでプレゼンの資料作りは何度も手伝わされた。どういう資料ならプレゼンが通りやすいかはよく知っていたのだ。

 資料を見て驚いている両親に畳み掛ける。

「わたしが特産品として売り出したいのは保温瓶です。温かいお湯や飲み物を入れても冷めない瓶です」

 前世の魔法瓶である。この世界には魔法が実在するので、誤解を招かないようにと言い換えることにしたのだ。

 セシリーが魔法瓶を選んだのには理由がある。たまたま魔法瓶の構造を知っていたからだ。魔法瓶は容器を二重にして中を真空にすることにより、高い断熱性能を実現した(うつわ)だ。構造と原理が簡単なので、ものづくりの経験がなく技術に疎いセシリーでも知っていた。

 前世(ちきゅう)の歴史では、魔法瓶が登場したのは19世紀後半。分野によってばらつきがあるが、この世界の技術レベルは前世の中世(5~15世紀)の範囲に収まる。この世界では魔法瓶は立派なオーパー(*2)なのだ。

 なろう系作品のこの手の定番といえばそろばんだが、セシリーはそろばんが使えない。小学校の算数の授業で触った記憶はあるが、授業の内容はほとんど憶えていない。加減算のやり方はさすがに分かるが、乗除算となるとどうやるのか見当もつかない。自分でも使い方が分からない商品を売れるとはさすがに思わなかった。

 なろう系の定番には手押しポンプもある。レバーを上下させると井戸の水を汲み上げるアレだ。だがセシリーは手押しポンプの構造を知らなかった。

 セシリーのプレゼンに圧倒された両親は、セシリーの提案を認めた。


 両親はセシリーの提案を認めたものの、セシリー一人で保温瓶を作れるとは思わなかった。そこで懇意にしている商人から人材を借りて、セシリーに補佐役としてつけることにした。

 セシリーについたのはクロフトという手代の一人だった。

「お初にお目にかかります、セシリーお嬢様。私はクロフトと申します。お嬢様が商売を始められるとのことで、私がお手伝いをすることになりました。どのような商売をお考えでしょうか?」

 へりくだっていたものの、貴族の子供に何ができるとクロフトは腹の中で思っていた。

「これを作って売るのよ」

 プレゼン資料を見せられたクロフトはやはり驚いた。

「魔法を使わないのにお湯が冷めない瓶が作れるのですか?」

「そうよ。まずは試作品を作りたいから、これが作れそうな職人を紹介してくれる?」

「はい。ところで瓶を作る材料は何でしょう?」

 そう言われてセシリーは前世の記憶をたどった。

 魔法瓶は最初はガラス製だったが、20世紀後半にステンレス製に置き換わった。ステンレス製の方が軽くて衝撃に強く、量産に向いていて安価に作れたからだ。前世でセシリーが物心ついたときには、魔法瓶はすでにステンレス製だった。

「……金属よ」

 セシリーは魔法瓶が金属製だとは知っていたが、その金属がステンレスとまでは知らなかった。もっとも知っていたとしても意味がない。地球でステンレス合金が発明されたのは20世紀初頭で、この世界にはまだ存在していない。

「それでは食器や調理器具を作っている鍛冶職人がよろしいでしょう。付き合いがある工房を手配します」

 セシリーは見学も兼ねて自分が工房を訪問したいとクロフトに伝えたが、貴族の令嬢が工房に押しかけるのはかえって迷惑になるということで、オルブライト邸に二人の鍛冶職人が呼ばれた。

 これを作ってちょうだいと渡された資料を見て、鍛冶職人たちは驚いた。セシリーは驚かれるのには慣れ始めたが、職人から予想外の質問をされて自分が驚くことになった。

「これはどうやったら作れるのでしょうか?」

「えっ! 作れないの?」

「二重の容器というのは作ったことはありませんが、工夫すればなんとかなると思います。ですが中の空気を抜くというのは、どうやったらできるのか、見当もつきません」

 ポンプを使えばいいと言いそうになって、セシリーは気がついた。この世界でポンプを見たことがないのだ。

 哲学上の概念としての真空は紀元前からあったが、実際に真空を作れるようになったのは17世紀、真空が工業に利用されるようになったのは18世紀である。つまり最低でも17世紀の知識と技術がないと真空は作れないし、魔法瓶を量産しようとすると更に18世紀の技術が必要になる。セシリーはそのことを知らなかった。

 セシリーが黙り込んでしまったので、恐る恐る職人が先を続ける。

「炉の火力を上げるために空気を送り込むふいごという道具はありますが、逆に空気を抜く道具というのは聞いたことがありません」

「……それはこちらで考えておくわ」

 そう言ってセシリーは職人を帰らせたあと、クロフトに質問した。

「魔法を使えば真空を作れるかしら?」

「魔法は専門外ですのでお答えできません。魔法ギルドに相談するのなら手配いたします」

 結局、魔法ギルドから魔法使いを呼ぶことになった。

「風魔法を使えば空気を操れますが、空気を抜く風魔法というのは存在しません。空気の移動は循環が基本ですので。どうしてもと仰るのなら新たに魔法を開発することになりますが、それなりに時間と費用がかかります」

「開発する場合の時間と費用の見積もりを出してもらえるかしら」

 後日、魔法ギルドから送られてきた見積書を見てセシリーは鼻白んだ。スケジュールは年単位で、費用は両親から与えられた予算をオーバーしていた。

「これは使えないわね」

「同感です」

「真空はあきらめる。空気を入れたままにしましょう」

「それで大丈夫ですか?」

「性能は多少落ちるけど、保温効果はあるはずよ」

 セシリーは前世の寒冷地では窓ガラスが二重になっていたことを思い出した。空気は比熱が大きいので、閉じ込められた空気は断熱材になると聞いたことがあった。

 再び鍛冶職人が呼ばれた。

「空気を抜かなくていいから、これを作ってちょうだい」

「材料は何にしますか?」

「……何が選べるのかしら?」

「銅か鉄が無難だと思いますが」

 金属の特徴など知らないセシリーに選べるはずもない。職人に丸投げすることにした。

「あなたたちが作りやすい方でいいわ」

「かしこまりました」

 職人たちは加工しやすい銅を選択した。容器の外側と内側を別々に鋳型で作って、後から二つを接着する方法を採用した。


 発注してから一ヵ月後、職人が試作品を納品に来た。

 セシリーの目の前には二個の試作品が出された。

「あら、二個も作ったの?」

「こちらは銅製、こちらは鉄製です」

「そう」

 職人は銅製の容器にお湯を注いだ。

「どうぞ、容器に触ってみてください」

 言われるままにセシリーは容器に触れてみた。

「温かい?」

「最初に熱湯を入れて試したときは、火傷しそうになりました」

 鉄製の容器でも同じことをした。

「銅のものほどではないけど、やはり温かいわね」

「はい。蓋をして放置したところ、どちらの容器でもお湯は冷めてしまいました」

「つまり、失敗したのね」

「申し訳ありません!」

 職人たちは頭を下げた。

「これは設計図を提供したこちら側の責任よ。あなたたちが謝る必要はないわ。クロフト、約束した代金の二倍を払ってあげて」

「二倍ですか?」

「試作品は二個納品されたから」

 これを聞いて職人たちは恐縮した。

「そ、そういうわけには参りません!」

「こちらの設計図に問題があったせいで、試行錯誤しなければならなかったのでしょう。労働にはきちんと対価を払わないといけないわ。そうやってお金を落として領地の経済を回すのも、領主一家の努めなのよ」

「ありがとうございます!」

 職人たちは感激して帰っていった。

「お嬢様、これでよかったのですか?」

「ここでケチケチしたせいで、今後の協力を得られなくなる方が痛手になるわ」

「ご慧眼です」


 金属は熱伝導率が高い。特に銅は高い。お湯によって温められた内側のパーツの熱は、すぐに外側のパーツに移動してしまったのだ。更に外側のパーツから周囲の空気に熱が逃げたため、保温効果が得られなかった。

 これを防ぐには内外のパーツを直接接着せずに断熱材を挟むか、そもそもガラスなどの断熱材で容器を作ればよかったのだが、セシリーを含め誰もそれに気づかなかった。


 こうして異世界魔法瓶の開発は失敗に終わった。

*1 マイクロソフト オフィス スペシャリスト

*2 OOPARTS(Out of Place Artifacts)、その時代には存在しないはずの人工物

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