【コミカライズ】宝石の歌声を知る男装令嬢は、あやかし旦那さまに溺愛される。〜烏の執着心は幸せと安らぎに満ちていました〜
「紫苑、とびきりいい石が手に入った。どんな風に加工するのがよいか、一緒に考えてくれるかい?」
「旦那さま。大和の国でも帝都一と名高い宝飾店の主人が、意匠の相談を素人にするのはよろしくないかと」
「紫苑がずぶの素人なら、この世界の誰も宝石の加工なんてできややしないよ。ほらこの石の歌を、願いを教えておくれ」
洋装の美青年に声をかけられた紫苑は、掃除の手を休めると深々と頭を下げた。
「承知しました。少々お時間をくださいませ、旦那さま」
「旦那さまだなんて。煕通と呼んでくれて構わないのに。ほら、呼んでごらん。煕通って」
「……恐れ多いことです、煕通さま」
「まったくつれないね。それにしても、紫苑はいつ見ても細すぎる。よし、せっかくだしうなぎでも食べに行こう」
「自分はまだ仕事が。それに石の歌を聞くのでしょう?」
「いや、食事が先だ。みんな、紫苑にご飯をたべさせてきてもかまわないね?」
「どうぞいってらっしゃいませ!」
(たくさん食べたところで、これ以上背が伸びることも、筋肉がつくこともないのに。困りましたね、私は本当は女なのだと告げたなら工房から叩き出されてしまうのでしょうか)
うきうきと嬉しそうな煕通に手を引かれながら紫苑は密かにため息をついた。
***
紫苑はもともと華族の令嬢である。そんな彼女が男装をする羽目になったのは、家に後継ぎとなる男子が生まれなかったためだ。正妻の他にも何人も妾を抱え、それでも女ばかり生まれて後がなくなった父親は、紫苑を男として届け出たのである。紫苑が当主となった後は、姉たちが生んだ子どもを養子としてとらせる予定だったらしい。
ところがまさかの事態が起きた。なんと本物の男子が生まれたのである。ここで紫苑が女に戻り、姉たちのようにどこかに嫁ぐという話になるなら、紫苑はまだ我慢することができた。だが、両親たちは紫苑を外に出すことを嫌がった。自分たちの不正が明るみに出ることを恐れたからではない。紫苑が持つ特殊な力が家から失われることを恐れたのだ。
紫苑には石の歌声を聞く能力があった。紫苑の生まれた家は、代々鉱山を所有している。紫苑の能力を使えば、採掘を効率的に行うことができるのだ。そのため家族は紫苑を嫁には出さず、死んだものとして戸籍から抹消し、家に繋ぐことにしたのだ。
家族にとって予想外だったのは、紫苑が思ったよりも行動的だったことだろう。生まれてからずっと男として暮らしてきた紫苑は、世界が広いことを知っていた。だから身の回りの荷物と、密かに貯めておいた資金を持って家から逃げ出したのである。
帝都に到着した紫苑が今の主人である煕通に出会ったのはあくまで偶然だ。洋装の美青年が大通りで探し物をしていることに気が付いた紫苑は、最初は見なかったことにしようかと思っていた。しかし仕立ての良い服が汚れることも厭わずに懸命に探す様子に、つい声をかけてしまったのである。
『どうされました?』
『新婚のお客さまの結婚指輪から落ちてしまった金剛石を探していてね』
『この大通りで落とされたのですか?』
『そこがわからないんだ。お客さまがいらっしゃる店の中をくまなく探したものの見つからず、一縷の望みをかけて通りを探しているところさ』
『指輪などを落とすと、持ち主の不幸の身代わりになったなどと言いますが、新婚ならやはり見つけて差し上げたいですね』
石の歌声を聞くことができる紫苑は、石を大切にするひとの笑い声も好きだった。新婚夫婦が大事にしている結婚指輪の石なら、きっと素敵な歌声が聞こえるはずだ。
『わかりました。ちょっと頑張ってみます』
『え?』
『すみません、少しお静かに』
しろくひかるは ねじりうめ
へびのうろこに あまいかし
うみのはてから つれられて
ようやく あえたよ かたわれに
甘い、喜びにあふれる石の声。持ち主から離れて嘆くのではなく、かといって持ち主の元に戻ることを拒むでもなく。ただ再会の嬉しさに震えている。
(ああ、なんて美しいのかしら)
石の歌声に共鳴して、身体が動いていく。大通りに面している宝飾店のわきを通り過ぎ、裏手にある工房に身体をねじ込んだ。
『おい、どうやって工房に入り込んだ? おかしいな、普通は表の店の方で止められるんだが。招かれてなけりゃ、ここには入れんぞ』
『ええと、あの』
『わたしがいるから気にしなくていいよ。今、店の方で失せもの騒ぎがあってね、彼女はその探し物を手伝ってくれているのさ』
だが、隣にいた洋装の美青年が職人たちを手で制してくれた。ちらりと横目で見つめると、なぜか目があってしまい顔が熱くなる。
(髪も瞳も大和ではよく見る色のはずなのに、どうしてか目が離せなくなってしまう。こんなとき、烏の濡羽色と表現するのでしょうね)
しろくひかるは ねじりうめ
みみにきこえる あめのおと
うみのはてより おいかけて
ようやく みつけた きんのくに
寄せては返す波のように、繰り返し聞こえる歌声に耳を澄ませる。ねじり梅とは、きっと台座のことだ。海の向こうからやってきた白く光る宝石は、金剛石のこと。蛇の鱗の意味はわからないが、近隣の土地神は白蛇さまだと聞いたことがあるから、持ち主は何か縁があるのかもしれない。ゆっくりと、けれど迷いなく歩みを進めて……。
『見つけた』
紫苑の声に反応したように、ふたつの石の歌声が綺麗に重なった。世界にりんと涼やかな音が走る。
『もう見つけたの?』
『片割れに会えて嬉しいと高らかに喜びを歌い上げていましたから』
まだ磨かれていない金剛石の原石のそばに、きらきらと輝く金剛石の裸石が並んでいた。美青年がルーペを取り出し、確認している。
『ああ、これは以前この店で準備した金剛石で間違いない。よかった、急いで直さなくては』
『その石ですが、隣の石も一緒に連れて帰ってあげないとまたすぐに逃げ出してしまいますよ』
『逃げ出す? そういえば君は、先ほども石の歌声が聞こえると言っていたね』
『ええ。もともとふたつでひとつの石だったのでしょう。ようやく片割れを見つけたのですから、無理に引き離さず重ね付けできる指輪などに加工すべきかと』
『なるほど……。いい商売になりそうだ』
にやりと笑う美青年を前に、紫苑は自分のやらかしに今さらながらに気が付いた。搾取されるか、気味悪がられるか。けれど目の前の美青年から出たのは労いの言葉だった。
『いやあ、とても助かったよ』
『それはよかったです。では、自分はこの辺で』
『これからどうするの?』
『まあどこか適当にぶらぶらと』
『ねえ、君さえよければずっとここにいなよ。絶対に大切にするから』
『ですが』
『大丈夫。ひとを見る目はあるんだ。とりあえず、今は先ほどの奥さまの話し相手をしておいてもらえる? わたしが相手をすると旦那さまの悋気で絞め殺されてしまうからね』
『先ほどの石の大きさといい、愛されていらっしゃいますねえ』
『まあ、男っていうのはそういうものだよ』
(紹介状なしでまともな就職先を見つけることは難しい。それならば、利用されようともここで働くべきなのかもしれない)
『……では、よろしくお願いいたします』
しばらく逡巡した末、紫苑はこの宝飾店の工房で世話になることに決めたのである。
***
工房での生活は、非常に心地よいものだった。気さくな職人たちに可愛がられながら、石の声を聞き装飾品の意匠を考える。そして煕通はことのほか紫苑を大切にしてくれた。あまりにも優しいので、時々紫苑は勘違いしてしまいそうになる。煕通は自分を特別に想ってくれているのではないかと。ただ、石の歌を聞く能力が重宝がられているだけなのに。
「紫苑、わたしの分も食べてごらん」
「煕通さま、さすがにそんなに入りません」
「だが紫苑は細いから、見ていて心配になる。もっと食べて大きくならなくては」
「さすがにこれ以上、背は伸びませんよ」
「でも肉付きが良い方がわたしはいいと思うからね。口を開けて。あーん」
上から下まで見つめられて、紫苑は顔を赤くする。女だと言い出せないのは自分のせいだが、煕通の幼い頃のものだという和装を着ていれば、問題なく男に見えるのは何となく悔しい気がした。
「紫苑はうなぎが好きだね。美味しそうに食べる顔が本当に可愛らしい」
「そうですね。煕通さまと一緒にいただくと余計に美味しく感じてしまいます」
「よし、やはり追加でもっと注文しよう」
「だから、これ以上は入りませんってば」
(どうしてこんなに素敵な方が、結婚もせずにふらふらしているのかしら。もしかして、おおっぴらにできない相手がいらっしゃる?)
どうしてだか、煕通が別の女性の隣で微笑んでいる姿を想像すると苦しくなった。頭を振って気持ちを切り替える。
「先ほどここに来る前に、少しだけ石の歌を聞いたのですが」
「おや、彼らはもう歌っていたのかい」
「はい。ただ、意味があまりよくわからなくて。歌詞から想像すると、どうも白いドレス姿になるようなのですが……」
紫苑にできるのは、あくまで石の歌声を聞くことだけ。海の向こうの装飾や服飾に詳しいわけではない。
「それならば彼らの望み通りになるように準備をしておこうか」
「煕通さまは、彼らがなりたいものがわかったのですか?」
不思議そうに尋ねる紫苑に、煕通がうなずいた。ただでさえ甘い美貌がさらに輝いていて、うっかり見惚れてしまう。
「あれはもともと結婚指輪に加工しようと思っていたんだ。和装ではなく洋装が似合うと思っていたんだが、彼らにもその心づもりがあったか。君に石の歌を聞いてもらって安心したよ」
「煕通さま、今回はずいぶん慎重ですね」
「絶対に成功させたいからね」
(よほど大事な方の結婚式なのね)
こんな豪華な花嫁衣裳を準備できるのは、ごく一握り。店に来たことがある客の顔を思い出そうとしているのに、なぜか花婿として煕通の顔が浮かんでしまう。
(やっぱり変ね。お腹が痛くなる前に早く帰らなくては)
慌ててお茶を飲み、紫苑は固く目をつぶった。
***
「近くまで来たのに寄ってくれないなんてつれないじゃない」
「ああ、大蜘蛛の。どうも」
「どうもじゃないわよ。例のドレスの話なんだけれど。爽やかに無茶を言ってくるのやめてくれない?」
「おや、加工できないと?」
「できるに決まってんでしょうが!」
婀娜っぽい女性に声をかけられた煕通が、珍しく愛想よく対応していた。そのやり取りを見て、紫苑はさっと顔を青ざめさせる。
(煕通さまにお似合いの美しい方。あの距離感は、お客さまではない。もしかして……)
じゃれ合うようなふたりの姿を見ていられなくて、紫苑は煕通に早口で話しかけた。
「煕通さま、お邪魔になりますし自分は先に戻ります」
「紫苑、ひとりでうろうろしては危ないだろう。もう少し、待っていなさい」
「ですが、石の使い道も考えたいので」
「だが」
「それにちょっとお腹も痛い気がしますので! すみません!」
「紫苑! はあ、言うことを聞かない子だね。危ないから、大通りをまっすぐ帰りなさい。何かあったら、わたしの名前を呼ぶように。すぐに駆け付けるからね」
(まさか、煕通さまの結婚相手の嫁入り道具作りに携わることになるなんて……)
紫苑は痛む胸をそっと押さえる。煕通に抱いている気持ちは拾ってもらった恩義だと思っていたけれど、ようやっと確信した。自分は煕通に恋をしている。自分ごときが、好きになってよいひとではないのに。
(石の歌を聞いて、お役に立てるだけで幸せだったはずなのに)
羽織紐につけられた烏玉をいじくりまわしつつ、ため息を吐いたその時だった。
「おい、こんなところにいたのか!」
あまりにも乱暴で、けれど聞きなれた怒鳴り声。前を向けば、昔よりも少しやつれた父が紫苑を見下ろしていた。
「まったく、探したぞ。手間をかけさせやがって」
「何の話をしていらっしゃるのか」
「お前が大通りの宝飾店で働いていることはわかっているんだ。ふん、伝手を作るとはやるじゃないか。あの店は評判がいい。石の価値がいまいちでも、あの名前があれば飛ぶように売れるだろう」
(このひとは何も変わっていない。石の掘り方についても散々話をしてきた。いつか掘り尽くしてしまう時のために、新たな産業を生み出さなければならないことも伝えてきた。けれど、ひとの話も聞かないまま好き放題で、立ち行かなくなるのは当然)
「弟……期待の息子殿はどうなさいました」
「末っ子長男というのはやはり駄目だな。甘やかされて、まったく役に立たん。鉱山はもう駄目だから、土地を浄化し、新たに産業を作るにはどうしたらよいか他所で学んでくるのだとさ。さあ、もう一度お前を後継ぎにしてやろう」
(あの家のいびつさは私が逃げたことで均衡を保てなくなったのでしょうね。でも、弟はまともに育ってくれた。それだけで十分です)
家を出るまでの間、大切なことを弟に言い聞かせてきた。その種がしっかりと芽吹いたことにほっと胸を撫でおろす。
「お断りします。自分は、そちらのご家庭とは一切関係がありませんので」
「ふん、連れ帰ってしまえばこちらのものだ。さあ、来い!」
「やめて、放してください!」
こんなときに限って警察はいない。手を振りほどくことも叶わず、引きずられそうになったそのとき。上空から黒い集団が勢いよく飛び込んできた。烏だ。いきなり現れた烏の大群が、明確な敵意を持って紫苑の父親を攻撃している。
「ぐっ、何だこいつらは。ええいやめろ、つつくな!」
細かい事情はわからぬまま紫苑はこの隙に工房の中に駆け込んだ。工房に入ると、煕通の匂いに包まれたような気がする。ここにいれば大丈夫なのだとなぜかそう思えた。
***
その日、夕方になっても煕通は帰ってこなかった。あの婀娜っぽい女性と盛り上がっているのだろうか。紫苑のしょんぼりとした雰囲気が伝わるのか、お昼頃まで大合唱していた石たちも今はすっかり静かなものだ。
(おそらく実家の財政は破綻寸前……。やはり、煕通さまにお伝えするべきでしょうか。ですが女であることを告げれば、もう煕通さまのおそばで働くことはできなくなるかもしれない……)
そんなことを考えながら、ぼんやり原石を眺める。まったく仕上がっていない下書きを机に戻したところで表が騒がしいことに気が付いた。
「何を言っているのやら話にならない」
「だから、うちの息子を返せと言っている。後継ぎをさらったあげく、下男扱いとはとんでもない話じゃないか。そこにいるのはわかっているんだ! 出てこい!」
紫苑の父はどこかで安酒をひっかけたのか、酷く酔っぱらっていた。せっかく築き上げた自分の場所を、また父親がめちゃくちゃにしていく。例の女性のこともあり、紫苑はすっかり心が折れてしまった。
(これ以上、煕通さまに迷惑はかけられません……)
「……いい加減にしてください」
「ほら、いるじゃないか。手間をかけさせて。ほら、紫苑帰るぞ!」
だがそこで、煕通が割り込んだ。紫苑をその背にかばうようにして彼女の父を睨みつける。
「もう一度確認しようか。あなた方が探しているのは、紫苑という後継ぎの息子で間違いないね?」
「だから、そうだと何度も言っている」
「ならば、やはり人違いだ。彼女は、わたしの可愛い婚約者だ。紫苑という男などここにはいない。どうぞお引き取りを」
「きゃっ」
いきなり抱きしめられて、紫苑は目を白黒させる。煕通が何を言っているのか、紫苑にはよく理解できない。
(女だと、知られていた? それに今、煕通さまの背中に黒い翼が見えたような)
「彼女が可愛らしい女性だと、一目でわからないほうがどうかしている。ちなみに彼女にわたしの着物を着せていたのは、男避けも兼ねてのこと。烏は独占欲が強いのでね」
「何を言っている?」
「あの日、綺羅星のような彼女を見つけたんだ。誰にも取られたくなくて、すぐさま大事に抱え込んだよ。日々を懸命に生きる彼女は美しく愛おしい。それなのに。彼女の父だからと情けをかけたのが間違いだった。さきほど彼女を痛めつけたその汚い手は、不要だね?」
「ぐあああああ」
紫苑の父の右腕がどす黒く染まりみるみる朽ちていく。そのまま道端に倒れ込んで悶絶する姿を見て、紫苑は慌てて煕通を止めた。
「煕通さま、いけません!」
「どうして? 紫苑はこんな父親でも、やっぱり大事なのかな?」
「違います。店や工房にいる石たちに、こんな下衆の声を聞かせたくないんです。彼らの歌声が汚れてしまいます」
「なるほど。紫苑は綺麗なものが好きだからね」
父親の悲鳴が止まる。どうやら気絶してしまったらしい。
「紫苑に免じて、命だけは助けてあげよう。約束を違えぬように、呪いをかけているから心配はいらないよ」
紫苑はそのまま煕通に抱きかかえられ、煕通の私室へと連れられた。
***
「紫苑、昼間も本当に心配したのだよ。ああ、消毒しておこうね」
昼間、父親に掴まれてうっすら赤くなっていた手首に唇を落とされる。恥ずかしさに頬を染めていると、そのまま頬にも口づけされた。
「煕通さま!」
「何をそんなに慌てている?」
「だって、婚約者だなんて聞いていません!」
「わたしは最初に紫苑に会った時に求婚したけれどね。ずっとここにいてくれと言っただろう?」
「てっきり商売の役に立つから、石の歌声を聞く能力を使って働いてくれという意味かと思っていました」
「まさか。確かに石の歌を口ずさむ君は本当に綺麗だけれど、わたしの願いは君が君らしくあることだからね。それじゃあ君は、わたしが着物を着せたり、食事を手ずから食べさせる意味は何だと思っていたんだい?」
「持ち物も少ないし、貧相な身体付きなので気の毒に思われているのかなあと」
「なるほど、全然伝わっていなかったことはよくわかった」
煕通に抱きしめられると、紫苑はそのまますっぽりと黒い翼に包まれてしまった。
「やっぱり翼が」
「わたしはとある地方の土地神である烏の血を引いていてね。先祖返りとでも言うのかな。兄弟たちよりも、烏の力がずっと濃いんだ。恐ろしいかい?」
「いいえ、とても綺麗です」
「嬉しいね。まあ、わたしよりも紫苑の方がずっと綺麗だけれどね。烏は綺麗なものが好きだから大事に囲って、宝物を独り占めするんだよ」
烏という生き物は大変頭が良く、実は非常に執念深い。そんなことがちらりと脳裏をよぎったけれど、煕通に唇をついばまれて紫苑は何も考えられなくなった。
***
「入ってもいいかな?」
「煕通さま? どうぞ」
扉の向こうから煕通が現れ、紫苑がにっこりと微笑んだ。
「紫苑、綺麗だね」
「なんだか恥ずかしいです」
「大和の国では、ドレスでの挙式は最近始まったばかりだからね。みんなきっと紫苑を見てうっとりするよ」
ちなみに今回の結婚式は、烏の血筋が結婚式を挙げる、お相手は白蛇にゆかりのある少女だ、ドレスは大蜘蛛の倅が手を貸したと、界隈で話題になったらしい。
「まさか、あの綺麗な方が男性だったなんて」
「あの男にとって性別なんて無意味なんだ。大事なのは美しいかどうか。実にわかりやすい」
「今度直接お礼を言わせてください」
「駄目だ、わたし以外と口をきいてほしくない」
「煕通さまって、意外と心が狭い?」
「あやかしの男は、嫉妬深いと前にも話しただろう?」
幸せそうに微笑む紫苑を脅かすものは、もういない。紫苑の実家は、あの後すぐに没落した。爵位を国に返上した上で、紫苑の弟が政府の命を受けて、土地の管理と清浄化に努めることになるのだという。
「弟の話でも?」
「当然。ああ、紫苑が他の男の話をするから、寂しくて死んでしまいそうだ」
「煕通さま、首元に痕をつけてはいけません!」
「わかっている。夜が来るのを楽しみにしているから」
紫苑は以前よりも大胆になった煕通の甘さに翻弄されるばかり。
烏印の宝飾店は、その後も帝都でますます有名になった。店で結婚指輪を作ると幸せになれると言われて、大層繁盛したのだそうだ。
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