第7話 眼科病棟での毎日
5月13日
蟻ケ崎大学病院2号館。5階西病棟の2505室は廊下から病室に入ると、左側に3台、右側に3台ベッドがあり、ベッドはすべてピンク色のカーテンで仕切られている。
南向きで、窓からは目の前に3号館の建物、東側に目を向けると京急線が走るのが少しだけ見える。
西側には美鈴駅周辺のビル。天気が良ければ富士山が見えることもある。
家や職場、橋の上、電車の窓、羽田の展望台、どこからでも外の景色をながめるのは、もともと好きなのだが、今は室内を見ているときよりも目の濁りがわかりやすいので、少し落ち込む。でも、窓から見えるあの街中へ早く出たい。
雑誌で文字の見え方を確認する。小さな文字はまだ見えない。中文字は少し見えるようになってきたような気がする。
夜は共有スペースに21時までいられる。共有ペースには、ダイニングテーブルが6台と椅子が20客程置いてある。お茶とお湯の給湯器があり、いつでも飲むことができた。5西病棟に来てから、夕食後はここで過ごし、ほうじ茶を飲みながら音楽を聴いたり、英語ニュースを聴いたりして過ごすことにしていた。
今夜は70代くらいの男性が一人お茶を飲んでいる。私は、なぜか普段はあまり聴かない韓国アーティストZeroの曲をリピートして聴いた。なんだか心に染みる。
21時。夜の廊下を部屋へ向かって歩き、まっすぐ前を見てみると、その景色はまだ茶色く濁って見えた。
5月14日
17:00 この日はぶどう膜外来上原先生の診察があった。
「先週の状態だけは覚えていますのでね。もう一度診察させていただきますね。網膜がはがれる寸前で手術になります。剥がれそうかどうかは今から診てみますね。黒いのが増えていると思うんですけど、それは抗ウイルス薬がウイルスをやっつけているときに出てくる症状です。ここでステロイド使いましょう。ちょうどいいタイミングだと思いますよ。もう少しよくなれば、経口に変えられるかなーというところです。あと1週間は点滴させてくださいね。」
「はい。ありがとうございます。」
(やっぱり専門医。頼れる・・・。)
(それにしてもこの先生誰かに似ている・・・・誰かに・・・・。)
前の病院の先輩・・・半側空間無視とPusherで有名な先輩に雰囲気がとてもよく似ていた。興味のある分野に対して常に興奮気味に話してくるところや、話し方がとてもよく似ていた。
病院での生活は退屈だ。検査、外来診察がある日はまだいい。それがないと点滴の差し替えしかない。私は毎日シャワーの予約を入れることにした。他の患者さんはそれぞれみたいだけど。
5月16日
8:30 教授回診
普通の回診は、先生たちがぞろぞろと患者さんの部屋を回る。眼科の総回診は、患者が順番に教授の前を回る。ひとりひとり順番に教授の前に座って、目をのぞいてもらう。
「まっすぐ見てください。上見てください。右上、右、右下、下、左下、左、左上」
「はい。次の人。」
「まっすぐ見てください。上見てください。右上、右、右下、下、左下、左、左上」
それにしても眼科医が・・・・15人?!本当に眼科が大きな病院だ。
13:30 ご近所の渡会さんがお見舞いに来てくれた。
パパと彩音にご夕食をおすそ分けしてくださるとのこと。二人は大したものを食べていないのだろうから、本当にありがたい。
学校の送り当番も交代してもらった。本当に本当にありがたい。
本も持ってきてくれた。持ってきてくれた小説は、なぜかママが死んじゃう物語だ・・・・?!気持ちはありがたい。もう少し左目が見えるようになったら読んでみよう。
5月17日
16時 研修医君の診察に呼ばれた。研修医君が診察している最中に深志病院の長谷川先生が現れた。
「森林さん?森林さん?森林さんかな?」
「わー!先生!」
「元気?」
「体は元気です」
「ちょっと、僕にも診せてね。まだ濁ってるねー」
「オペの可能性はまだあるんですか」
「どうかなー。今は網膜剥がれてない」
「退院はまだですかね」
「んー。今深志病院へ戻ってこられてもね、どうしていいやらという感じなんですよ。深志では手術できないからね。」
しょんぼりだ。
「また来ると思います」
(・・・って、それまで入院しているということか・・・)
「今まで、送られてきた患者さんを治療したことはあるんだけど、まさか自分が初診で出会うとはね。初めてだからね。気になってね。」
なるほど。やはりかなり珍しい病気らしい。
「今、たまたまもう一人急性網膜壊死の患者さんいるんだよ。妊婦さんでね。抗ウイルス薬が使えなくてね。網膜剥離しちゃうかもな・・・。」
自分が置かれているのが、運が良かったところなんだと思った。知らない人のことながら、妊婦さんのことを思うと泣けてきた。赤ちゃん産まないといけないし、産む前にママは片目失明だなんて。切ない。
人生はいろいろで、生きていくのは大抵の人にとって厳しい。