第6話 かぞく
5月10日
ピヨピヨ。ピヨピヨ。
「おはようございます。森林さん、明日、5階西の眼科病棟に移動になります」
(おー、やはりそうなったか。)
「わかりました!!!」
旅行雑誌。読むというよりは、目の見え方を確認するための物となった。左目で見ると、本文の小さな文字はやはり全く見えない。中サイズの文字も見えなくなってきた。表紙の大文字はまだ見えている。。。。
廊下側にあるベッドの、廊下側の壁側に、木製のロッカーが並んでいる。早々に荷物をまとめて、明日の転棟の準備をした。
5月11日
10時。
5西病棟へ転棟した。2505室。6人部屋の右側。真ん中のベッド。両側をカーテンで仕切られており、暗い。狭い。鬱になりそうだ・・・
「担当になります。甲賀です。よろしくお願いします。調子はどうですか?」
「だんだん見えなくなってきています」
「そうなんですね。何か困ったことなどあったら、いつでも言ってくださいね。今日から点滴の時間が変わります。朝の9時、夕方5時、夜の1時です」
「わかりました。お願いします」
とても感じのいい優しい看護師さんで、体の力がふっと抜けた。表情、声のトーン、かける言葉。小さなことかもしれないが、その一つ一つが患者の気持ちを大きく動かす。
昼過ぎに、彩音、パパ、母、唯ちゃんがお見舞いに来た。唯ちゃんは年の離れた彩音の従妹だ。
皆で2階へ降り、長い渡り廊下を歩いて2号館へ移動した。そこからエレベーターで地下へ向かうとまた長い渡り廊下がある。それを進むと患者さんやご家族用のレストランがある新館に入ることができた。レストランでは、皆、好きなものを頼んだ。丼ものやカレー、ラーメン、軽食などがあった。
母。
「どう?」
「左目は泥水の中を泳いでいるような感じだよ」
「ひゃー。」
「網膜がはがれる可能性が高いからしばらく入院だって」
「はがれないようにしてもらいなさい」
実家がある長野から昨日来て、彩音とパパにごはんを作ってくれた。私の腫れた目と少しやせた体を見ていかにも心配そうだった。
(ごめんなさい。逆に倒れませんように。)
唯ちゃん。
「しーちゃん、たいへんだねえ」
叔母の私のことをしーちゃんと呼ぶ。
まだ就職したばかりの23歳。にこにこしている。東京へ出てきたばかりだが、元気そうだった。
(社会はきびしいよ。がんばってね。)
彩音。
「ママも食べる?」
「ママはお昼ご飯食べちゃったから、おなかいっぱい。彩音は好きなの頼みなさい」
「ん-。マグロ丼」
なぜか、大人が好きそうな食べ物を好み、特に刺身、冷奴、みょうが、らっきょうが好きだ。昨日は久しぶりに母の手作りハンバーグを食べたと言っていたが、最近はパパと二人でコンビニごはんを食べてがんばっている。今日は、私の近くでなんだかもじもじ、くねくねしている。甘えたいだろうに人前では甘えない。
パパ。
(んー。一番いつもと変わらないかな・・・。)
「学校と学童にもママが入院したこと知らせておいたよ。彩音がんばっているって連絡帳に書いてあった。」
“俺、すごく頑張ってる感”を出していた。
皆さんご迷惑をおかけします。よろしくお願いします・・・・。
深夜 窓際のベッドが騒がしい。カーテンの向こう側、同じく廊下側の患者さんのところへ看護師さんが来ている。
「発疹出てないですか?熱はないですか?予防接種してありますか?」
どうやら感染症疑いらしい・・・。話の内容からすると風疹のようだから、私はとりあえずだいじょうぶだ。眼科で手術予定の入院だったのに、感染症をもってきてしまったので、その患者さんそのまま強制退院となった。
(窓側へ移動できるかも!)
私にチャンスが訪れた。
5月12日
深夜1時
「点滴しますね。」
夜中の点滴は、部屋の電気はつけず、床頭台の電気と看護師さんが持ってくる懐中電灯を点滴棒につるして行う。
深夜2時 点滴が落ちなくなったらしくて、針の差し替えとなった。若い看護師さんが来たが、針がうまく刺さらなかった。かなりねばっていたがなかなか刺さらなかった。そして遂に男性ベテラン看護師が現れた。
「どう?右?左?どっちがいい?」
妙になれなれしい
「できれば左でお願いします」
「左ね。」
その後は無言。ポンポンと私の手をたたくと、暗闇の中、あっという間に針を刺し、
「はい。終わりねー」
と去っていった。
(おー、職人だ。)と思った。
6時
ピヨピヨ。ピヨピヨ。病棟は変われど同じ小鳥のさえずりと同じ音楽が流れる。
11時
担当看護師 甲賀さんが来た。今日は彼女の出勤日で、さらに私の担当だ。
「森林さん、窓側のベッドへどうぞ」
さすが甲賀さんだった。私の気持ちを分かっていた。
(やったー!うれしい!本当にうれしい!)
「ありがとうございます」」
14時
今日は日曜日。パパと彩音がまたお見舞いに来た。
彩音。今日はやたらとべたべたしている。私のベッドを占領して、横になっている。
「ママ、このベッドいいね。ずっと寝てるの、ずるーい。」
「学校はどう?」
「運動会の練習してる。」
「何やってるの?」
「ダンスの練習。簡単だよ。もう覚えた。」
「わーすごいね。明日もやるの?」
「そうだよ。」
「明日の準備しないとだめでしょ。早く帰らないとね。」
「今日はずっといる。帰らない。」
よしよしをいっぱいして、抱っこして、爪を切ってあげて・・・。
なかなか帰ろうとしなかったが、二人も夕ご飯を食べたり、明日の準備をしたりしないといけない。
病院の玄関まで、見送ることにした。彩音の背中を見る。涙が出て止まらない。お見舞いに来てもらって、泣いている患者さん、そういえばあまり見たことがなかった。
(みんながまんしているのかな。)
病棟に戻るまでに涙をふいて、冷静を装い、部屋に戻る。明らかに鼻声だった。しばらくすると甲賀さんが来た。
「娘さん、来てたんですね。何年生ですか」
「3年生です。」
「パパと二人でがんばっているんですか」
「はい。ずっとコンビニご飯みたいです。」
「わあ、そうですよね。ママがいないとたいへんですよね」
「そうですね。早く退院できるといいんですけど。もうすぐ運動会もあるんですよ」
甲賀さんには泣いていたのがバレていると思った。