第1話 突然の発症
5月1日
朝から左目の調子が悪い。少しぼやけて見える。黒い点もいくつか見える。
(私,飛蚊症なのか?もう若くないし・・・。)
5月2日
やはり今朝も左目の調子が悪い。かすんでいるけど、朝はいつもどおりにコンタクトレンズを装着して出勤することにした。そして、いつでもコンタクトをはずせるように、眼鏡をかばんへ入れた。
こんなにきれいな空の今日は、目のかすみが昨日以上に気になる。職場までの道。私は左側に鶴見川を見ながら、自転車で土手を下流へ向かって走って通勤する。川沿いに並ぶ桜の開花は年々早まり、今年は4月の1週目ですべて散った。今は緑の葉がきれいな季節だ。大きなマンションの脇道を右へ曲がり、鶴見川の土手を降りた。横浜市深志病院の敷地へ入ると自転車を置き、職員用玄関を入った。職員カードをタッチして打刻し、更衣室でスクラブに着替えた。私が働くリハビリテーションセンターは2階の一番西側にある。リハビリテーション部の隣は検査科。さらに東側は各科の外来診察室が並ぶ。
「おはようございます」
リハビリテーション部の控室に入ると、すでに8人のスタッフが電子カルテを見ながら仕事にとりかかっていた。この病院に入職した時から、私はリハビリテーション部の最年長で、課長補佐という役職にいる。
カルテで今日の私の患者予約を確認すると、外来が5人と入院が8人。
(いつもどおりの数だな。)
今日の患者さんのカルテを見る。医師の診察の内容や、検査結果などを見て、前回のリハビリ時と変化がないか、医師の治療方針はどうかなどを確認しておく必要がある。
9時になり、最初の患者さんは右橈骨遠位端骨折の外来患者さんだ。受傷から6週間たって、指の動きは良好。手関節もだいぶ動くようになってきた。日常生活でも使えているし、今のところ順調だといえる。
9時20分からの患者さん。左上腕骨近位端骨折。
(ん-。硬い。家で運動していないんだろうな。)
屋内にいると、屋外ほど目のかすみは気にならなかった。
その後も、外来患者さんを3人、入院患者さんを3人のリハビリをして午前中は終了した。お昼休みものんびりはしていられない。午前中の患者さんたちのカルテを入力する。このご時世、こんなに働いたらダメなのでしょうね。働き方改革とはなんぞや。自分のことだけを言うと働くのは好きだし、働かないと患者さん良くならないし、楽しく働ける人、働きたい人は働いたっていいのではないかとも思う。みんな働かなくなったら、日本はどうなるのだろう。ストレスというのは働く量とは別のところにもあるはずだ。。。そんなことを考えている私のところへ後輩たちがやってきた。
「森林先生、頸髄損傷の患者さんの食事動作を一緒に見に行ってもらえますか?自助具作ろうかと思うんですけど。」
「いいよー。明日、一緒に行けるように予約を入れておくね。15時でいい?」
第3次救急をもつこの病院には、あらゆる疾患の患者さんがやってくる。患者さんの状態は日々変化していくので、ゆっくりと考えている時間はない。必要な支援をして、必要なものを提供していかないといけない。若いスタッフには、臨床で教えてあげないといけないことも多い。
午後はまず、昼休みに処方が出た新患さんのところへ行くことにした。左の中大脳動脈領域の脳梗塞。昨日の発症。医師のカルテには失語があると書いてあった。
「中村さーん。リハビリです。森林といいます。よろしくお願いします。血圧を計りますね。目を開けてください。聞こえますか?」
血圧は安定していて、意識レベルも上がってきている様子だったので、離床をして車椅子に乗ってもらった。右上下肢の麻痺は重度で、まだ一人で座ることもできず、介助量はかなり多かった。明日は私は休日なので、代わりのスタッフに来てもらい右上肢の練習と高次脳機能の評価、座る練習をしてもらうことにした。申し送りはカルテに記載した。
その後16時45分まで最後の患者さんをみて、医師や看護師と話をしていたら、リハビリテーションセンターへ戻ってきたのは17時を過ぎてしまった。カルテを入力して、書類を作成して、終わったのは18時だった。
(今日はもう帰ろう。結局1日中コンタクトをしたままだったな。)
目が良くなる気配はなかった。
帰り道、春から2年生になった彩音を学童にお迎えに行き、家に帰った。
「ママー。今日はドッチビーボーやったよ。2人も当てたんだよ。」
「すごいねえ。ボール投げるの上手になったもんね。」
1日はあっという間に過ぎていく。