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名前と原稿用紙(3)

「遅い……」


 加奈は、カフェの窓際で、腕時計を見ながらつぶやいていた。婚活アプリで知り合ったマサさんの誘いで、こうしてカフェに来てみたが、時間を過ぎても、相手は現れない。


 指定されたカフェが、飽田市の駅前にある個人経営のところだった。夫婦で営業しているようで、メニューや店内の雰囲気はレトロで素朴だった。メニューを見ると、モーニングは五百円でデザートまでついている。


 今はカフェのメニューに気をとられている場合ではない。アプリで知り合った婚活相手がこない。メッセージも何度か送り返していたが、その返事もなかった。


 だんだんと注文したアイスコーヒーがぬるくなっている。氷は小さくなり、紙のコースターはちょっと濡れていた。コーヒー自体は水出しで美味しかったが、今の状況では食事を楽しめる感じでもない。


 隣の席ではカップルらしき男女がイチャイチャとしていた。まだ大学生ぐらいの男女だが、全く人目も気にせず、マスクもしていない。透明人間の加奈が、チラチラと彼らを見ても無視されていたが。


 カップルの女の方は、髪の毛を巻き、メイクみしっかりとしていた。やはり彼氏に会うから気合いを入れてうるのだろう。一方、佳奈は通勤スタイルに近い格好だった。一応上はピンクのカーディガン、下はスカートにしてみたが、どちらも色が薄い。余計に自分が透明人間になったような気がした。


 マスクも二重にしていて息苦しくなっていたが、隣のカップルを見ていると、自分の方が正しいとか言いたくなってしまう。きちんとマスクをしてルールを守っている人の方が損をしている気がして、イライラとしてくる。テレビのニュースでは、マスク警察という存在もいるらしいが、正義感というよりも案外自分のような気持ちでやってる人もいるんじゃないだろうか。人は自分が出来ずに我慢している事を他人がやっているとイライラするらしい。大学の授業でやった心理学で、そんなような事が書いてあった。


 そんな事を考えているうちに時間はすぎるが、婚活相手は一向に現れない。再びアプリから相手にメッセージを送ろうとしたが、なぜかブロックされていた。


「は?」


 思わずイライラした声が出るが、透明人間状態の加奈の声など誰も拾わない。隣のカップルは相変わらずだし、店内には新しく客が入店し、店員たちも忙しそうだった。


 このタイミングでブロックされたという事は、相手は色んな女に声をかけ、ダブルブッキング状態だったんじゃないだろうか。加奈は保険だった可能性がある。そう思うと、無力感を持ってしまった。結婚から透明人間に脱却しようとしたのは、無謀だったのかもしれない。だったら、どうすれば透明人間から脱却出来るのかと考えたが、そに答えはわからない。


 アイスコーヒーはもっと温くなり、氷が溶けたせうで味も薄まっていた。とりあえずこれ以上カフェに留まるのは、違う気がした。


 加奈は財布を取り出すと会計を済ませ、カフェから出た。


 まだ春だと言うのに日差しが高く、それだけで気分が悪くなってきた。


 駅に向かって歩くが、暑さでふらふらとしてくる。昔から暑いのは得意ではなく、幼稚園に頃、バスに置き去りにされた光景のありありと頭の中で蘇ってきた。


 いくら声をあげても、誰も答えてくれない。日差しや喉の渇きに死ぬ思いだったが、大人達はヘラヘラと笑っていた事を思い出し、さらに気分が悪くなってきた。


 足元がふらつき、ろくに歩けないが、誰も声などかけない。道には若い男女、主婦らしき女性、サラリーマン風の男がいるが、まるっと無視されていた。


 そんな彼らもマスクをしていて表情は全く見えない。自分も透明人間だという自覚もあるが、道行く人も人間には見えなくてなっていた。ファミレスで見た配膳ロボットを連想してしまった。


 暑さで脱水症状のようなものも出てきて、これは病院に行った方が良いかもしれないと思った瞬間、突然目の前の光景が変わっていた。


 確かに飽田市という土地の駅前にいたはずだ。ごちゃごちゃと商業施設が立ち並び、風俗やパチンコ屋もある治安もあまり良くない所だったはずだが、なぜか海辺の街にいた。


 目の前に広い海が広がり、蒼い空も見える。風も心地よく、暑くはない。むしろ爽やかだった。


 あり得ない光景だった。この辺りには海なんてないはずだし、あまりの暑さに幻を見ているのかもしれない。


 今、ライトノベルの流行りの異世界転移というものなのかもしれない。そう思うと、色々と腑に落ちる。異世界転移のライトノベルでは、冴えない主人公が異世界ではヒーローやヒロインになっていた。透明人間の自分にはピッタリな光景なのかもしれない。


 加奈は少し自嘲しながら、おでこの汗を拭う。他に人はいないようだったが、少し先にカフェのような建物が見えた。


「お手紙カフェ・ミコトバ……?」


 そんな名前のカフェだった。アイボリーカラーの外観のカフェだが、屋根は藍色で、背景にある海とマッチしていた。目の前には普通の郵便ポストも置いてあった。よく見ると「天国行き」という表示がしてあった。


「て、天国?」


 それを見ていると、足がすくんできた。異世界転移ではなく、異世界転生なのだろうか。一度死んだ? 


 確か異世界転生もののライトノベルでは、一度死んだ主人公は、天国みたいな場所を経緯し、神様からチート能力を貰って異世界に生まれ変わっていた。


 という事は、自分は熱中症で死に、今は天国みたいな場所にいるという事?


 だんだんと怖くなってきた。カフェに行きたいわけでは無いが、ここに入店するしか無いようだった。このカフェの店員だったら、何か知っているかもしれない。

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