名前と原稿用紙(2)
加奈は、一人暮らしのワンルームマンションで、ダラダラとテレビを見ていた。
日曜日の夜で、明日が休みだと思うと気分は開放的だった。さっそくジャージを気着て、髪の毛も雑に結ぶ。メイクなど速攻で落とした。女はメイクがマナーなんて誰が決めたんだろう。男女平等で働けというなら、全部平等にして欲しい。
部屋はシンプルで、可愛いものなど何一つなかった。少し前に本屋で見た断捨離の本にハマり、服や本などもほとんど処理してしまった。家具はテーブルとベッド、小さな洋服箪笥しかなく、白を基調としているので殺風景だった。透明人間には相応しい部屋なのかもしれない。加奈は自虐的にそんな事を思ったりした。
食卓がわりにしている小さなテーブルの上には、缶ビールとナッツ類などのおつまみもあった。正直、酒でも飲まないとやってられないところもある。
テレビは全く面白くない。防犯やクレーマー対策から、バスの運転手が名札を廃止するというニュースだった。バスの運転手がインタビューに答えていて「名前を掲げてプライドもってやってた。クレーマーは仕方がないが、SNSで名前を晒された同僚もいる」とため息をついていた。運転手の表情からは、複雑な心境が滲み出ていた。
確かにプライドもって名前を掲げていたら、良い気分ではないのかもしれない。そういえば子供の頃に見たアニメ映画で、ヒロインが神隠しにあい、名前を奪われるシーンはあったのを思い出す。
名前なんて単なる言葉なのに、自分の存在意義みたいのと結びついているのかもしれない。ポリポリとナッツ類を齧りながら、相変わらず名前を間違われている自分の存在意義も消えていきそうだった。
次のニュースはAIに技術を紹介するものだった。自分がやっているような事務職は今後十年存在しているような気がしなかった。自分なりに仕事をしてきたつもりだが、明るい未来は想像できなかった。技術革新で仕事を失った場合は自己責任なのだろうか。酒のせいかわからないが、加奈はいつになくイライラとしていた。
そんな時、スマートフォンに通知が届いているのに気づいた。婚活アプリで、やり取りすている男から届いたものだった。最近登録したもので、何となくダラダラと何人かのとやり取りしていた。自称医者など明らかに詐欺っぽい男もいて、あまり楽しめなかったが、一応メッセージのやり取りは続いていた。
その中の一人と、「マサさん」という人からカフェで会わないかというメッセージが届いていた。自称・小学校教員の男で、顔もメッセージも特に面白くない。加奈も人の事を言えないが、存在感は薄い男だった。
近所にある人飽田市にあるカフェを提案されていた。飽田市はあまり治安も良くない。行きたい気分ではなかったが、これで透明人間から脱却できる?
そんな事も思うと、これに賭けても良い気がしていた。酒のせいで、気が大きくなっている面も大きいのかもしれない。反射的にオッケーに返事をし、明日の午後に会う事になった。
テレビでは、コロナ感染のニュースが流れ、新宿の駅前あたりの映像が流れていた。マスク姿の人混みを見ていると、なんだか全員が透明人間のように見えてきた。マスクをして黒いスーツ姿のサラリーマン風の男を見ていると、そもそも人間なのだろうかという疑問も出てきた。
ファミレスに行くと、配膳ロボットが食事を運んでくる。スーパーや100均もほとんどセルフレジになってしまった。AIの技術が発達し、困ったことがあれば人に聞くよりスマートフォンを出す方が早い。妊娠や出産もLGBTに人に配慮し、人工的にできる技術が出来るかもしれないというニュースも見た事がある。
だんだんと人が要らない社会になっている気がすた。加奈だけでなく、誰もかれも透明人間になっていく未来しか想像できなかった。上司に名前を間違われて、誰でも出来るような事務職をしている自分の未来は、全く明ルクは感じられなかった。
加奈は再び酒を飲み、呟く。
「マスクもめんどーい。正直外したい……」
そう呟きながら眠気が襲い、少しの間眠っていた。