神様の定規(5)完
その一週間後、マキはお手紙カフェ・ミコトバの扉を開けていた。
あれ以来、妹は精神的ショックも大きくずっと入院したままだった。犯人も捕まっていない。アイドルの握手会でも似たような犯行がたくさんあるらしく、警察も関連性を調査している所だった。
マキも不安な毎日だが、妹の事が心配で、自分に容姿なんて、どうでも良くなっていた。本来ならカフェには行かず、病院に行って看病するべきだが、気持ちは乱れていた。少し眠れなくもなっていた。あのカフェに行けば元気になれるかもしれないと考えた。
自分の悩みなど、どうでも良くなっていたが、どんな解答が貰えるのか気になった。それに美味しい料理も気になる。今日は、昼ごはんを食べてきたので、ケーキセットというのを注文してみたい気分だった。
「いらっしゃいませ」
カフェに入ると、美琴さんに出迎えられた。相変わらずの不器用そうな笑顔だったが、少しホッとしてしかった。メニューを受け取り、店内の中央にある大きなテーブル席に座る。
他に客もいないようで、窓辺からは静かな波音が響いていた。この辺りに海は無いはずだ。このカフェのある場所は、もしかしたら異世界やかくりよなのかもしれないが、地図を見れば帰れるし、細かいところはどうでも良くなっていた。母の実家近くでは子供が神隠しにあっていた噂もあるが、案外こういった世界にいた可能性もある。
「美琴さん、今日はケーキセットを。カフェインレスコーヒーでお願いします」
「かしこまりました!」
美琴さんは笑顔でいうと、しばらくしてプレートに載せたケーキを持ってきた。三角形のショートケーキとスコーンがお皿に乗せられていた。カフェインレスコーヒーのいい香りもする。
妹の事で落ち込んでいたマキだったが、この美味しそうなケーキプレートには、負ける。ふわふわと甘いケーキはあっという間に食べ終わり、スコーンにはクリームやジャムをつけて食べた。案外スコーンは甘さ控えめめで、いくらでも食べられそうだった。
何気なく、文房具コーナーへ行き、シールや付箋を眺めてみた。前き来た時よりも若干減っているようで、案外客も来ているのかもしれない
ちらっとカウンター席の方を見ると、美琴さんは席に座って何か本を読んでいた。キラキラとした目で読書をしていて、話しかけづらい雰囲気だった。
掲示板の方に目をやると、前回書いたマキのお悩み相談の便箋が貼ってあった。その隣に美琴さんからの解答も、書いてある。花柄の綺麗な便箋に、綺麗なまっすぐな字が書かれていた。
「質問ありがとうございます!
容姿の悩み。それは永遠の女性のテーマです。でも、美人だからといって必ずしも幸せになれるとは限りません。美人はモテますから、優しいイケメンも物足りなく見え、オラオラ系やヤンキーに惹かれがちです。また、犯罪などの被害にも遭いやすいでしょう。ストーカーは困ったものです」
ここまで読み、マキは思わず俯いてしまった。一方的に妹を羨んでいたが、妹なりに苦労はあったようだ。それに、顔がいいだけでは幸せになれると限らないのかもしれない。
続けて美琴さんの回答を読むと、聖書の言葉が引用してあった。
「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(新約聖書マタイ5章8節より)。
これは、イエス・キリストの山上の説教で語られた言葉の一部です。この中では、悲しむ人や飢え乾いている人を幸いだと語られています。美人が幸いです、とは書いてありません。天の国の価値観は、この世とは全く逆なのでしょう。
たぶん、この世の価値観では、美人は幸いなのかもしれません。でも神様の価値観では、違うのかもしれません。私はそんな神様の基準、定規を持ってみたいと思います。ちなみにうちでは左利き用の定規、雲型定規、三角形の定規もあるので、色々遊んでみてね♪」
それを読んでいたら、少し気分は軽くなってきた。自分はブスなのが悪い気もしていたが、世の中の価値観だって歪んでいる可能性だってゼロではない。
誰かを「美人」という価値観にすれば、美容整形や化粧品も売れるのかもしれない。そんなものに自分の幸せの基準を合わせていた事にだんだんと恥ずかしくなってきた。もし、神様がいて、その価値観があるのなら、美人じゃなくても良いのかもしれない?
「お客様、どうでしょう?」
気づくと美琴さんが、マキのそばに立ち、様子をうかがっていた。
「うん、良かったと思う。定規見せてくれますか?」
「かしこまりました!」
美琴さんの少々気の抜けた笑顔を見ながら、マキの心はふわりと軽くなっていた。あれほど美について悩んでいた事は、馬鹿みたいに思い始めていた。
左利き専用の定規を見てみる。数字が右からふってある。普通の定規とは待った別物だった。美琴さんによると、自分で数字が書き込める定規もあるらしい。
神様の定規があったら、どんなものなんだろう。きっと自分の基準では想像がつかないものだろう。そんな事を考えていると、心はさらに軽くなっていた。