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夏のおもいで

きんぎょになったおはなし

作者: 村野夜市

こはるちゃんの住む町では、夏になると9のつく日に夜市が立ちます。

けれど、先週は、こはるちゃんは夜市には行けませんでした。

お盆休みで、お父さんお母さんと三人で、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのお家に旅行に行っていたからです。

田舎にはおじさんおばさんやいとこたちもいて、海に行ったり、盆踊りに行ったりしました。

一週間はあっという間に過ぎて、帰ってきたこはるちゃんは、田舎のお土産をどっさり持って、お母さんとりっちゃんのお家を訪ねました。


こはるちゃん、おかえり。


玄関口でそう言って出迎えてくれたのは、りっちゃんのお母さんでした。


これ、お土産です。


そう言ってお母さんが紙袋を手渡すと、おばちゃんは袋のなかを覗いて、まあ、まあ、と声をあげました。


こんなぎょうさん、悪いわあ。

まあ、上って、冷たい麦茶でも飲んでって。


おばちゃん、りっちゃんは?


いつもこはるちゃんが遊びにくると、真っ先に玄関で出迎えてくれるりっちゃんがいないので、こはるちゃんは、ちょっと心配になりました。


奥におるよ。


おばちゃんはなんだか意味ありげに笑って言いました。


こはるちゃんとずっと会えんかったから、すねてんねん。

ちょっと行って、なぐさめたってな?


こはるちゃんはサンダルを脱ぐと、勝手知ったるりっちゃんのお家にすたすたと上りました。


・・・りっちゃん?


りっちゃんは奥の部屋で立ったまま、金魚の水槽をじっと睨んでいました。


それは、いつぞやの夜市でこはるちゃんのもらった金魚でした。

こはるちゃんはりっちゃんのお家の庭の池に放すつもりだったのですが、りっちゃんは、それだと猫や鳥に狙われるからと言って、わざわざ水槽を買ってもらったのです。

それは、ちゃんと水草や空気ポンプもついた、立派な水槽でした。

水槽の底に置いてある空気ポンプは、空気の泡で水車がくるくる回る仕掛けになっています。

ポンプの下はアーチ形をしていて、そこを金魚たちは通り抜けていきます。

その様子はまるで竜宮城で遊ぶ魚たちのようで、こはるちゃんもりっちゃんも、とても気に入っていました。


りっちゃんに金魚のお世話係に任命されたこはるちゃんは、あれから毎日、金魚のエサやりにりっちゃんのお家に来ていました。

ただ、先週の一週間だけは、おじいちゃんおばあちゃんのお家に行かないといけなかったので、お世話係をお休みさせてもらっていました。

その間、お世話係はりっちゃんがするから、かまへんよ、とおばちゃんは笑って言ってくれたのですが・・・


りっちゃん、おはよう。


こはるちゃんはりっちゃんの前に回り込むと、にこっと笑いかけました。


これ、お土産。


特別にりっちゃん用に買ってもらったお菓子のかごを渡そうとしましたが、りっちゃんは受け取ってくれません。

それどころか、そのまま黙ってあっちをむいてしまいました。


こはるちゃんはめげずに、反対側に回って、もう一度りっちゃんに笑いかけました。


こっちは、金魚の。


そう言って差し出したのは、綺麗な貝殻のたくさん入ったジャムのビンでした。

田舎で海に行ったときに拾った貝殻です。

金魚の水槽に入れたらさぞかし綺麗だろうと思って、たくさん拾ったのを、おばあちゃんがジャムの空きビンに入れてくれたのでした。


これ、水槽に入れてもいい?


ビンのふたをあけながらこはるちゃんが尋ねると、りっちゃんは、あわてたように、ああ、あかんあかん、と言いました。


ちゃんと消毒してから入れんと、金魚が病気になるから。


そうなん?


こはるちゃんは驚いて、ふたを開けようとしていた手をぴたりと止めました。

こはるちゃんには、ビンのなかの貝殻が、急に、金魚を病気にするばい菌のかたまりのようなものに見えました。


ごめんな、うち、貝殻がそんな怖いもんやと思えへんかってん。


こはるちゃんは、震える声でそう言うと、急いで貝殻を捨てに行こうとしました。

それをりっちゃんはあわてて引き留めました。


ああ、待って待って。

ちゃんと消毒すれば大丈夫やから。

そんなあわててほかさんといて。


りっちゃんのあわてた声に、こはるちゃんは足を止めて振り返りました。


ほんまに?金魚、大丈夫?


大丈夫や。任しとき。


りっちゃんは、どーんと胸を叩いてみせました。


こはるちゃんがおらん間、金魚のお世話係はりっちゃんがちゃあんとやっといたんやから。

ほら、金魚も全部、ちゃんと元気やろ?


うん!


胸を張るりっちゃんにこはるちゃんは力いっぱい頷いてから、金魚の水槽を覗き込みました。


みんな、元気やね。

楽しそうに泳いどる。


そうやろそうやろ。


ここん家にもらわれて、りっちゃんにお世話してもろて、金魚、よかったな。


そうやろそうやろ。


りっちゃんは嬉しそうに頷いてから、こはるちゃんのほうへ手を出しました。


その貝殻、後でちゃんと消毒してから入れるから。

それ、ビンごとちょうだい。


ほんまに、ええのん?


こはるちゃんは背中に隠したビンを、恐る恐るりっちゃんに差し出しました。

りっちゃんはビンを受け取ると、からからと振りながら中を覗き込みました。


うわぁ、綺麗な貝殻やなあ。

ようけ拾たんやね?


うち、金魚になにかお土産ないかな、思うて。

いっしょけんめい、拾たんよ。


こはるちゃん、うらしまたろうみたいに、もう、りっちゃんのことも金魚のことも忘れてしもたと思とった。


りっちゃんはちょっと寂しそうにそう言いました。


そんなん、忘れへんよ!

忘れるわけないやん。

田舎行っても、海行っても、ああ、ここにりっちゃんもおったらええのになあ、てずっと思とったよ。


こはるちゃんがそう言うと、りっちゃんは、にこっと笑いました。


そっか。


そこへ、むこうからお母さんの声がしました。


こはるちゃん、りっちゃん、ジュース入れたから、こっちおいでな。


は~い、とふたりはお返事をして、仲良くジュースを飲みに行きました。


***


その夜。


こはるちゃんは、気がつくと、水槽のなかにいました。


水槽を照らす青い光が、ほんのりと辺りを明るくしています。

目の前には、小屋くらいの大きさの竜宮城があって、ぷくぷくと泡を出していました。

こぽこぽと水の音がしていて、どうやら水のなかにいるみたいなのに、息は苦しくありません。


そのとき、竜宮城の下を、さぁぁぁっと、大きな魚が通り抜けていきました。

背中に乗れそうなほどのその大きさに、思わずこはるちゃんはびっくりして腰を抜かしそうになりました。

けれど、泳ぎ去る後ろ姿は、間違いなくあの夜店の金魚です。

見上げると、上のほうで泳ぐ金魚の影が、ちらちらと見えていました。

どうやら、金魚が大きくなったのではなく、自分が小さくなって、あの金魚の水槽にいるらしいと、こはるちゃんは気づきました。


水槽の底には、白い石が敷き詰めてありました。

その石の上に、色とりどりの貝殻が混ざっています。

うんとこしょ、と一個持ち上げたら、貝殻はこはるちゃんの顔くらいの大きさがありました。

とっても大きいけれど、その色には確かに見覚えがあります。

りっちゃん、約束通り、貝殻、入れてくれてんや、とこはるちゃんは思いました。

そこは、不思議な海の底のようで、とても綺麗な世界でした。


水槽のなかには、ところどころに、ふわふわと水草が植えてありました。

水草についた小さな泡が、さあっと、いっせいに水面目指して上っていきました。

泡を追いかけるように、つい、っと足元を蹴ると、ふわり、とからだが浮きました。

そのままゆっくり足を動かすと、すぃーっと、動いていきます。

その動きが楽しくて、こはるちゃんはしばらくの間、無心になって遊んでいました。


さんざん遊んで遊び疲れたこはるちゃんは、水草につかまってちょっと休憩することにしました。

この世界は水槽のなかなのだから、どこかにガラスの壁があるはずですが、さっきからいくら泳いでも、壁に辿り着きません。

広い広い水槽の世界でした。

金魚たちは、はるかかなたの上のほうで、ちらちらと泳いでいます。

そこまで上っていこうかと考えてみましたが、大きな金魚がちょっと怖くて、近付くのはためらってしまいました。


さて、これからどうしようかな、と考えていたときでした。


あれぇ?こはるちゃんやん。

なんでそんなとこ、おるん?


突然、世界を震わせるくらい大きな声が、どこからか響きわたりました。

びっくりしたこはるちゃんは、あわてて水草の陰に隠れましたが、声は、あはははは、と笑いました。


隠れたって無駄やで。

ちゃあんと見えてるもん。


そう言うと、水槽の上から、大きな大きな手が、ずいっと下りてきました。


ほら、こはるちゃん、おいで?


そう言って、手はこはるちゃんを捕まえようとします。

こはるちゃんは怖くなって、大きな手から逃げ回りました。


どないしたんな?

こはるちゃん、りっちゃんやで?


そう言う声は確かにいつものりっちゃんの声なのですが、捕まえようとする大きな手は怖くて仕方ありません。


そのまま、こはるちゃんと大きな手はしばらく追いかけっこを続けました。

逃げ回るこはるちゃんを、手はどうしても捕まえることができなくて、しばらくして、大きなため息が降ってきました。


こはるちゃん、りっちゃんのこと、忘れてしもたん?


その声があまりに悲しそうだったので、こはるちゃんは思わず、そこへ立ち尽くしました。


忘れへんよ?


小さな声で、そうつぶやきました。

すると、水槽のむこうにぼんやりと、大きな大きなりっちゃんの顔が浮かび上がりました。


・・・りっちゃん?


こはるちゃんが恐る恐る尋ねると、大きなりっちゃんの顔は、にっこり笑いました。


そうやで、こはるちゃん。


その笑顔は、大きくても、いつものりっちゃんのままで、もう怖いとは思いませんでした。


なんでまた、そんな小そうなって、そんなとこおるん?


大きなりっちゃんはこはるちゃんにそう尋ねました。


分からへん。気がついたら、こうなってた。


こはるちゃんがそう答えると、大きなりっちゃんは、あはははは、と笑いました。

それから、ああ、そうや、となにか思いついたように言いました。


ちょっと待っといてや。

すぐ、そっち行くから。


えっ、とこはるちゃんが思った次の瞬間にはもう、隣にりっちゃんが立っていました。

上半身はいつものTシャツ姿ですが、下半身は、なんだかひらひらして足首まである長いスカートをはいています。

スカートはりっちゃんの好きな青い色をしていて、ところどころ、ちら、ちら、きら、きら、と光を反射していました。


・・・りっちゃん?


そうやで、こはるちゃん。

よう、おこし。

昼も遊んだのに、夜も一緒に遊べるなんて、なんや、今日はええ日やなあ。


りっちゃんは、この上なく上機嫌で、こはるちゃんのほうへ手を差し出しました。

こはるちゃんは、その手を取ろうとして、少し考えてから、言いました。


りっちゃん、今日はなんか、変わったスカートやねえ?


りっちゃんはきょとんとして、それから、けらけら笑い出しました。


こはるちゃんかて、変わったスカートやで?


りっちゃんに言われて、こはるちゃんはあわてて自分の姿を見回しました。

こはるちゃんもいつの間にかひらひらきらきらする長いスカートをはいていました。

こはるちゃんのスカートは赤い色をしています。

ちょっと金魚みたいやな、と思ってから、はっとしました。


これ、スカートや、ない?


にんぎょ、言うねんで。


りっちゃんは笑って教えてくれました。


それからふたりは、思う存分、水槽のなかを泳ぎ回りました。

りっちゃんに手を引っ張ってもらうと、さっきより、もっと、ずっと早く泳ぐことができました。

さっきはちょっと怖かった金魚も、りっちゃんと一緒だと、すぐ近くまで行くことができました。

ふたりを見た金魚は、大きな目をぽっかり見開いて、ちょっと驚いているみたいでした。


遊び疲れると、ふたり並んで貝殻の上に座って休みました。


それにしても、なんでうちら、金魚になったんやろう?


金魚やのうて、人魚やけどな。


りっちゃんはそう言って笑いました。


まあ、ええやん。楽しいし。


まあ、ええか。楽しいし。


ふたりは同時にそう言って笑いました。


うち、いっぺん、金魚になって、水槽のなかで遊んでみたいて思うててん。


それは夢がかなってよかったなあ。


でも、大っきいりっちゃんの手は怖かったなあ。


それは、ごめんやったな。

もう、びっくりささへんから。


りっちゃんはそう言って、こはるちゃんの手をぎゅっと握りました。


そうや、こはるちゃん、せっかくやから、お土産、あげるわ。


お土産?


そうそう。


りっちゃんは、きょろきょろと辺りを見回すと、あったあった、と大きなピンク色の貝殻を拾ってきました。


これ、そっち持って。


こう?


そうそう。


ふたりして半分ずつ持つと、りっちゃんは、めりめりと貝殻をふたつに分けました。


これ、半分ずつ持っとったら、ずーとずーと仲良しのおまじない。


ずーとずーと仲良しのおまじない?


そうそう。


こはるちゃんはお面に被れそうな大きな貝殻をしげしげと眺めてから、にっこりしました。


分かった。うち、大事にする。


それを聞いたりっちゃんも、負けないくらいにっこりしました。


***


翌朝。

目を覚ましたこはるちゃんは、なんだか楽しい夢を見たなあ、と思っていました。

金魚になって泳いだような気もしますが、細かいところは覚えていません。

りっちゃんも出てきたような気がしますが、どこに出てきたのかは分かりませんでした。


あれ?


ふと、枕元に小さなピンク色の貝殻が落ちているのに気づいて、こはるちゃんはそれを拾い上げてしげしげと眺めました。


ビンから落ちたんかなあ?


こはるちゃんは首を傾げると、貝殻をひきだしの宝箱のなかに大切にしまっておきました。










読んでいただきまして、有難うございました。

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