第9話 帰ってきた英雄
「ジャネット様、聞きまして!?」
テシターノ男爵令嬢カゲリナが、私の席にやって来た。
ここは王立アカデミー。
貴族の子女が基本的な教養と王国の歴史、そして将来のためのコネクションを設ける場所である。
すっかり私の派閥みたいなのの一員となったカゲリナは、毎朝私の席まで足繁くやって来ては、うわさ話を教えてくれる。
婚約破棄される前の私だったらわずらわしかっただろうが……今は結構重宝しているのだ。
世の中の動きを知らないと、大変なところで損をすることになる。
エルフェンバインの醜聞事件で、コイニキールとローグ伯爵家の繋がりを知らなかったばかりに、私は事件の渦中に叩き込まれ、婚約破棄を父が知って激怒する前に状況を解決する必要に迫られたのだから。
「ジャネット様!」
「ああ、はいはい。どうしたのカゲリナ」
「ついに帰ってくるんですって! あの方が!」
「あの方?」
私が全く察する様子もないので、カゲリナが仕方ないなあ、という顔をする。
ちょっとイラッとするが、こういう性格なのだ彼女は。
強いものには絶対逆らわないので、明らかに他意は無いのだろう。
「ホーリエル公爵家のドッペルゲン様ですよ! 王都最強の剣士! ついに悪魔の征伐から戻られたんです!」
「ああ、その名前は聞いたことあるわね」
ホーリエル公爵家は、王家の従兄弟に当たる。
そこの嫡子であるドッペルゲンは、優れた剣の才能を発揮し、王都最強と呼ばれていた。
実際に彼は、幾つもの成果を挙げた。
王都付近で暴れまわる盗賊団を壊滅させ、隣国であるイリアノス教国の聖堂騎士との練習試合で見事な勝ちを収め。
見世物小屋の猛獣が逃げ出したときには、これを打ち倒して国民の安全を守った。
その成し遂げてきた成果が輝かしいものばかりで、人々からは英雄、と呼ばれていた。
あまりに有名な人物なので、私も知っていたほどだ。
実際に会ったことは数えるほどしかないけれど。
「そのドッペルゲン様がどうしたの? 悪魔征伐って……」
「ジャネット様がこちらにいらっしゃる前でしたからねえー。アルマース帝国との国境に、悪魔が出たんですよ! それが暴れてるっていう話があって、私たちの英雄がついに討伐に向かったんです! それで帰ってきたんです!」
「へえ……。だから今朝方は、赤の通りが賑やかだったのね」
商業地区である赤の通りは、いつもたくさんの人が行き交っている。
だけど、今日の人出は一段とすごかった。
何かのお祭りかと思ったほどだ。
「皆様! 授業の時間ですわよ!」
「行けない! 先生が! ジャネット様、また休み時間に! でもどうしてジャネット様、そんな講堂の隅っこに座るのですか? 中央に来て皆様と一緒に学ばれたら……」
「カゲリナ嬢!」
「は、はぁい!」
カゲリナが慌てて席に戻っていった。
アカデミーの教室は、基本的にこの大講堂が一つだけ。
専門的な講義を受けたい人は、併設されている賢者の館に行き、授業を担当する賢者に教えを請う。
賢者としても、将来的には自分を召し抱える可能性がある貴族の子女が相手だ。
優しく丁寧に教えてくれる。
中にはそうではないひねくれた賢者もいるが。
いや、かなり多いが。
今回教壇に立つのは、年若い女性で、すらりと背が高く、チェック柄の上着にスカートを身に着けた、鼻が高くて猛禽のような印象を受ける……。
「……シャーロット……?」
「では本日の講義を始めましょう! 講師はわたくし、ラムズ侯爵の娘シャーロットが行いますわ。講義内容は……王都に発生する犯罪の傾向について」
とんだところで、この変わった友人と再会した私。
彼女の講義は刺激的で、楽しいものだった。
シャーロットはどうやら、サービス精神旺盛らしい。
貴族たちに当てては、提示した犯罪の答えを要求する。
当てられた生徒は立ち上がって答えるのだが、誰一人として回答を口にできない。
全て意地悪問題みたいな、ひねくれた犯罪がテーマになっているようだ。
「皆様! 往々にして事件は発生致します。これは、わたくしたちが人である以上仕方のないことですわ。ですけれど、人が悪意を持って生み出した犯罪は、容易に解決ができます。そこに人の意思が働いていますもの。ですがここに……偶然が絡んで事件となると……解決は極めて困難になって参ります」
エルフェンバインの醜聞事件を、シャーロットはほんの数日であっさりと解いてみせた。
婚約破棄の背景、そして裏で蠢いていたローグ伯爵の派閥。
これを明らかにし、国王陛下の目の前で糾弾して見せたのだ。
あれは彼女にとって、簡単な事件だったらしい。
私としては、人生の一大事だったのだが……。
ここで、鐘が打ち鳴らされた。
正午を告げる合図だ。
シャーロットは話の半ばで切り上げ、手を叩いた。
「講義は終了です! 皆様、ごきげんよう!」
さっさと立ち去っていくシャーロット。
この講義はきっと、彼女が生活費を稼ぐために引き受けたのだろう。
後で聞いた話では、彼女は侯爵家からの支援を受けずに自活して暮らしているらしい。
侯爵令嬢が。
自活。
お金をもらえる範囲の仕事でなければ、講義をすることに興味はない、ということか。
彼女は去り際に、私を見てウィンクしてきたので、どうやらこちらに気付いてはいたらしい。
なんだか呼ばれたような気もするので、私は荷物をまとめて彼女の後を追うことにした。
うかうかしていると、カゲリナとグチエルに捕まって、ずーっと世間話を聞かされることになる。
普段ならば私の情報源になるところだけど、今日のところは勘弁してもらいたい。
「シャーロット!」
講堂の外に飛び出して名前を呼ぶと、「はい、こちらにおりますわ」と真横から彼女の声がした。
「うわあ」
びっくりして飛び上がると、私より頭半分くらい背が高い彼女が笑った。
「思っていたよりも早く飛び出して来られましたので、わたくしもびっくりしました! ジャネット様への観察が、まだまだ足りませんわね」
この、謎解きを愛する風変わりな令嬢は、そんな事を言うのだった。